『貧困の克服―アジア発展の鍵は何か』

『貧困の克服―アジア発展の鍵は何か』
集英社
アマルティア セン, Amartya Sen, 大石 りら

読後の感想
ノーベル経済学賞を受賞したセン博士の講演録を一冊の本にまとめたもの。様々な講演をつぎはぎしてまとめたものなので、重複しているところは否めない、と割り引いてもちょっとやっつけ仕事感が漂う一冊でした。
とはいえ何度も登場する「民主主義」という単語は、経済と政治が切り離せないことをはっきりと指し示していると強く感じさせるのに十分でした。政治的に翻弄されてきた人生を垣間見た気がしました。

印象的なくだり
私たちは新たな出発点を模索しなおすべきなのかもしれません。しかし、この地域の成功の基礎となった豊かな創造性を大切にしながら、今までの努力のうえに新たな努力を積み重ねてゆくのも理にかなった方法です。「新しいものは古いものから生み出されるべきある」と、私は重要な意味をこめて主張するつもりです(P018)。

(前略)詳細な分析の結果、日本および東アジア、東南アジアの経済発展プロセスには、注目に値するいくつかの新しい特色があることが明らかになっています。
第一の特色は、変革の主な原動力としての基礎教育が重視されていたことです。
第二の特色は、教育・人材養成・土地改革・信用供与などによる基本的な経済エンタイトルメント(人々が十分な食糧など得られる経済的能力や資格)の広範な普及です。これによって、市場経済が提供するさまざまなチャンスへのアクセスが拡大しました。
第三の特色は、開発計画において、国家機能と市場経済の効用の巧みな組み合わせが行われたことです。
さらに根本的なことがあります。これらの地域における成功の土台となったのは、私たちが生きている世界は多種多様な制度から成り立っていること、さまざまな自由がそれらの制度に依拠しているからこそ自助あるいは他者を助ける能力を発揮しうること、そういった暗黙の了解なのです。このさまざまな自由のなかには、市場経済の整備とともに社会的チャンスの創出、社会基盤の充実、個人の潜在能力の発展などが含まれます(P020)。

市場メカニズムが大きな成功をおさめることができるのは、市場によって提供される機会をすべての人々が合理的に分かち合う条件が整備されているのみです。それを可能にするためには、基礎教育の確立、最低限の医療施設の整備、それから、土地資源が農業従事者にとって欠かせないものであるように、あらゆる経済活動のために不可欠な資源を広範に分かち合い自由に利用できること、などが実現されなくてはなりません(P022)。

十九世紀半ばの明治維新当時のことです。ヨーロッパが一世紀をかけて経験してきたような近代的な工業化や経済発展は、日本ではまだ緒についたばかりでした。それにもかかわらず、日本人の識字能力の水準はヨーロッパを凌駕していました。明治時代(一八六八~一九一一)における日本の発展初期においては、このような人間の潜在能力の発展が主眼とされました。たとえば、一九0六年から一九一一年にかけては、日本全国の市町村予算の四三%が教育費にあてられていたわけです(P024)。

これから経済発展をはかろうとする貧しい国において、基礎教育と医療のために財源をふくらます”余裕”がはたしてあるのかという疑問がしばしば出されています。これは検討に値する疑問ではありますが、次のような適切な答えが用意されています。貧しい国では賃金が安く、労働コストは相対的に低くなります。そして、豊かな国に比べるとその差はしばしば大きいものです。基礎教育と医療もまた多くの人々の労働に依存していますから、豊かな国に比べて、貧しい国ではそのコストがずっと安くすむことになるのです(P028)。

ある国が民主主義に適しているか適していないかを決める必要はありません。人々は民主主義のプロセスを通して民主主義に適合してゆかねばならないのです(P104)。

インドネシアの弱者たちにとっては、すべてが上昇気流に乗っている時には、民主主義がなくても全然構わなかったかもしれません。しかし、経済危機の分担の不平等が拡大するにつれて明らかになった民主主義の不在は、弱者たちの発言力をさらに弱めて無力化してしまったのでした。保護する役割としての民主主義は、それが最も必要とされる時、絶対に欠如してはならないものなのです(P117)。

民主主義の価値は、人間的生活におけるその本質的な重要性、政治的誘因の創造におけるその手段的役割、欲求・権利・義務の要求の度合いと可能性の理解を含む、価値の形成におけるその構成的機能にあります。これらの長所の特徴は、地域性がないことです。規律あるいは秩序を強調してもいないのです。価値の異質性はおそらくすべての主要な文化をもっとも特徴づけているにように思えます。文化的論争は、今日の私たちに可能な選択を排除してもいなければ、実際にきつく制限することもありません(P134)。

西洋の眼差しから非寛容な伝統と決めつけられているイスラムの伝統である寛容の精神について論じています。いわゆる「アジア的価値論争」について、センが鋭く指摘しているように、誤った他者理解は誤った自己理解に結びついているものです(P154)。