『ラジオのこちら側で』
ピーターバラカン
岩波新書
読後の感想
ピーターバラカンさんに対して、どんなイメージを持っていましたか?
僕の中では単にYMOと仲の良いおじさん、日本語の達者なおじさんというようなイメージでした。
でも、実はとってもラジオを愛しているおじさんでした(親しみを込めておじさんと)
中でも
・ラジオを愛しているエピソード
・文化の違いに戸惑うエピソード
・好きな音楽に対する真摯な気持ちが表れるエピソード
は、心温まるハートフルな話ばかりです。
その中でも一番強い思いは
いい音楽を若い世代に聴いてもらいたい、知ってもらいたいということだと思いました。
科学技術が発達してみんな聴きたい物が聴きたい時にネットで検索できて聞けるようになり、CDを買ったりなど物に執着がなくなってきてきているけれど、そもそも音楽のタイトルやアーティスト名などを知らないと検索できないし探せない。
ラジオは能動的ではなく受動的なメディアとして、いいものをたくさん流しておけば、誰かがそれを手に取ってくれるかもしれないそれらを探すきっかけとなって、それを元にして検索したりできるかもしれない。
そのためには、誰かに届くと信じて、ずっといい物を提供していかないと行けないわけです。これはとても大変なこと。
音楽を紹介する司書のような、ソムリエのような能力のある人材を育てることも、必要なはずです。僕の同世代の細野晴臣も、坂本龍一も、驚くほど真剣に、次の世代にいい音楽を受け継ぎたい、と思っています。自分の若いころに輝いていた音楽への郷愁もあるけれど、今の若い人たちには、まだ彼らが出会っていない、いい音楽を知ってほしい、と感じているのです。
「昨日の※時ころに、こんな〜♪〜曲が流れていたのですが、なんという曲か、教えてください」「運転していて印象に残ったのですが、曲名をききそびれて・・・・・・」というメールが届くと、ラジオから、「たまに流れてくる」という偶然の出会い、きっかけとしての役割にあらためて気づきます(P.204)。
印象的なくだり
時には、マニアックとか、ディープとか、コアとか、敷居が高いとか、いろいろなことを言われますが、むしろ過剰な説明なしに、ごく自然にいいと思う音楽をかけるほうが、リスナーの支持が得られると思っています。
たとえば、「マリの音楽です」と簡単に紹介して曲を流す。最初は「何?マリってどこの国?」と戸惑われても、とくにあれこれコメントせずに一〇回もかければ、ああ、マリの音楽ね、と音楽をうけとめられるし、抵抗感もなくなるものです。「グリオ(専業の語り部=歌い手)とは」とか、「コラ(西アフリカ特有の弦楽器)という楽器は」と毎回説明するより、アーティスト名とタイトルを紹介して音楽をどんどん聴いてもらった方が、ずっといいと思っています(P.104)。
言うまでもなくその後、パーソナル・ステレオが主流になって、今やウォークマンよりも、iPodやiPhoneの天下です。ぼくも持っていますが、電車の中や歩きながら聴くことは滅多になく、むしろiPodと特にiPadは、イヴェントの仕事に使います。生DJをする時は多数のCDを持ち込まなくとも、必要な曲をiPadに取り込めば、それでこと足ります。iPadのイヤフォーン・ジャックからケーブルを会場の音響設備に接続すれば、意外にいい音でスピーカーから聞こえます。やはり、音楽は皆で聴きたいものです(P.202)。