『ひとを<嫌う>ということ』

『ひとを<嫌う>ということ』
角川書店
中島義道

読後の感想
他人に嫌われたくない、でも他人を嫌ってしまう。他人を嫌いなのに、「嫌い」とばれると軽蔑され自分も嫌われる。
多くの人はこのように思って、感情をコントロールしているのでしょうけど、中にはこの偽善に耐えられない人もいる。
著者の中島さんはこういった考え方なんだろうなと感じました。
あるべきままの感情を受け入れる、人を好きになるように嫌いになろう、という思想は、そのままは受け入れられませんが、自分の考え方の一つの転換を生み出してくれました。
それにしても、作者の潔癖症には呆れを通り越して感心することしきりです。

印象的なくだり

私は諦めるほかないのです。そして、嫌われているといううことを大前提として、それを受け入れることしかないのです。
この残酷さの中で生きてゆくしかないのです。なぜなら、私自身も同じように振舞っているのですから。
日々、刻々と不特定多数の人々に冷たい「まなざし」を向けている。そして彼らを勝手に裁いている。彼らをさまざまな理由で嫌っている。
批判している。場合によっては、嘲笑している。見下している。軽蔑している。妬んでいる。非難している。
しかも、たとえ聞かれてもほんとうのことは言わないのですから(P027)。

とりわけ、嫌いな人とどうつき合うべきかは大きな問題です。まずは常識から。
ありとあらゆる言い訳を連ねて、その人に会わないように全身全霊コレ努め、ジワジワと当人にそれとなくわかってもらう方法。
私は意図的にこの安全な方法を採らないようにしています。
その生殺しのような残酷さ、しかもこれしかないという自己正当化のずるさに麻痺してしまいたくないからです。
相手を傷つけたくないからという素振りをしながら、じつは自分が傷つきたくないからであることは明瞭であり、しかも追及されたらいつでも「私がXを嫌っているなんてとんでもない」と言えるのですから。
その計算高さ、自己防衛のずるさに耐えがたい
(P029)。

誰でも、嫉妬が自尊心を骨抜きにする、つまり敗者であることを自認する感情であることを知っているのです。
それが、人々によって狭量な醜い感情とみなされていることも残酷なことです。
ですから、嫉妬に狂う人は絶対にそれを認めない。
「羨ましいなんて思っていない!嫉妬なんかしていない!」と叫ぶのです。ここで、嫉妬を認めたらすべてが崩れてしまう。もはや生きていけないのです(P096)。

誰でも知っていることです。
「愛と憎しみの原因が等しい」とは、エヴリーヌのように、かつて自分が愛していた夫の美点Pそのものが、憎しみの原因になるということ。
その場合「記述」が決定的に変わることが重要です。
かつて「如才ない」と意味づけていた夫の性格が「自己防衛」となる。
「用意周到」と意味づけていた性格が「狡猾」となり、「快活」が「軽薄」に変わるのです。
なぜ、この場合「嫌い」に拍車がかかるのか?それは、自分が夫を愛したことそのことに対する屈辱感を相手に全部ぶつけるからです。
自分がこんなに精神誠意愛したのに、相手は報いてくれなかった。
こうした惨めな境遇に突き落とした原因としての相手を激しく憎むのです。復讐の一種でしょう(P116)。

持てる者と持たざる者との会話(P129)

この場合、絶対にへりくだることはない。まして謝ることはない。
あなたは自己点検した結果何の落ち度もないのですから、どこまでも堂々としていればいいのです。
これは大層重要なこと。あなたが、あなたへの「嫌い」の理不尽さにもかかわらず、摩擦を避けようとして相手に服従することは何の解決にもならない。私の経験からしても、ますますその人との関係をまずくするだけです。
相手はますますあなたを理不尽な仕方で支配しようとするでしょう。
そして、あなたは納得して服従しているわけではないのですから、いつも不満と恨みによって全身が充たされ、それが重なって彼(女)の理不尽さにいつか耐えがたくなる。
そのうち、それが相手への新たな憎しみとなって、あなたは相手と一緒にいられなくなる。
あなたがそこを去らねばならなくなる。相手の思うつぼです(P138)。

若くから世に出たモームであればこそ、叙述は真に迫っています。彼はまたなかなか言えない真実を語っている。
成功は人々を虚栄、自我主義、自己満足に陥れて台なしにしてしまう、という一般の考えは誤っている。
あべこべに、それはだいたいにおいて人を謙譲、寛容、親切にするものである。
失敗こそ、歩とを苛烈冷酷にする(P152)。

私の「思想」は「ひとを好きになることと同様ひとを嫌いになることの自然性をしっかり目を向けよ」と書いてしまえば一行で終わってしまうほど簡単なものです(P188)。

「『ひとを<嫌う>ということ』」への1件のフィードバック

  1. 武田鉄矢率いる海援隊の歌の一節に、
    「人を憎みきらねば、愛しきることも出来ない」
    があり、当時初めて聞いたときは衝撃的でした。私のような八方美人タイプには^^。
    よく言われるように、好きと嫌いは表裏一体で、「好き」の反対は「無関心」ですので、やはり「嫌いになること」は「好きになること」とほぼ同意かと思ってます。

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