弾けないギターを弾くんだぜ

 タイトルは、電気グルーヴの楽曲より(タイトルと本文は関係ありません)。

 なんだか寝付けないのでツラツラと最近思ったことを(消すつもりはないけど)書いてみる。350mlのビール二本分のアルコールを摂取しているのでそのつもりで。

 年金。納めたのに記録が残っていないので納めたことになっていないというのが本来の問題のはず。いつのまに、社会保険庁の職員の賞与返納の話に?擬人化怖い。
 あたかも社会保険庁という人物がいて、その人が悪い→所属する職員が悪い、の思考?感情論としては理解できるが、論理的には、きちんと仕事をしてきた職員にまで賞与返納を迫るのはいかがなものか。現行の内閣の支持率が下がるのもよく分からん。原因はかなり前なのだから、今の内閣の責任とは直結しないだろう。いまの内閣の対応が、という問題なら納得するが、現在の内閣として過去の問題を指摘されても、「可及的速やかに対処する」以外の答えがあるとは思えん。で、どんな対応すれば満足するわけ?と思わないでもない。

 テレビのニュース番組。やたら、目に付くのが街の人の声、みたいな感じで、意見を述べている人。なぜいつも番組の報道趣旨と似ているんだろうね、不思議不思議。どうせ、番組の趣旨に合わない意見は削除されているのだろうな、と思う。

 ガス爆発とか食肉偽装とか歯磨き粉とか。かつての護送船団方式から規制緩和になって、自分の選択が正しいのかどうかを常に意識する必要性が生じたように感じる。例えばかつてなら一定の質は保たれていたので、どこを選んでも同じようなもの、という場合が多かったのかもしれない。でも、規制が緩和され、競争が激化すると選択するほうは自分の目を信じる(まぁ、選ぶにあたってある程度の情報は自分で得るとしても)場面が増えたのかな、と思う。企業努力でコスト削減して、価格が安くなったのかどうかを立ち返ってみよう。閑話休題。冬になると、干し芋が食べたくなります。中国産250gで198円。茨城産200gで298円。ここ五年以上茨城産しか買っていません。自分の選択眼を信頼していますから。まぁ、それも産地表示が正しいという前提の下ですが。

 仮にもプロ野球の選手に向かって、「まーくん」はないだろう。幼児に退行してるのか、社会全体が?それとも、子供が商業の対象になってきている現象が顕著になっただけか。いずれにせよ、余り気持ちのよいものではない。