『アルジャーノンに花束を』

『アルジャーノンに花束を』 (1978年)
早川書房
ダニエル・キイス
小尾芙佐

読後の感想
白痴の青年が手術を受け知能だけが天才になってしまう。その過程で、青年は今まで自分を取り巻いていた環境を客観的にみれるようになってその真の意味を知るようになりました。この流れは、悪い方向への想像力をかき立て、さらに自分に置き換えて背筋がちょっぴり寒くなりました。そして、頭の中の記憶は実は作られたもので、実際に確認すると真実は異なる、といった風に、事実は一つでもその意味は複数という点に、おかしさと怖さを感じました。怖さというのは、「努力して勉強する(向上心)」というテーゼをこの小説は、そうではないこともあると空想の形で示してみたからです。しかも、空想だけではなく、「実際のあなたの周りは、あなたが幸せだと思っていても、他の人はあなたを見下している。無知故にバカにしている」という十分ありうることを示唆しているからです。
それにしても、一人称の文章にはぐいぐい引き込まれます。

印象的なくだり
IQというのはまだよくわからない。ニーマー教授によれば知能がどれだけあるかをはかるものだそうである-店屋で目方をはかるはかりのようなものだ。だがストラウス博士は大議論をしてIQは知能をはかるものではないといった。IQはどれだけの知能を得られるかを示すものであって計量カップの目盛りのようなものである。カップ中味を入れなければならない(P046)。

ぼくは何もいいたくはないが、IQがなんであるかどこにあるかわからないのだとしたら-IQがどれだけになったということがどうしてわかるのだろうか(P046)。

以前、彼らは私を嘲笑い、私の無知や愚鈍を軽蔑した。そしていまは私の知能や知性ゆえに私を憎んでいる。なぜだ?いったい彼らは私に何を望んでいたのだ?(P089)

あなたが知能を高めることをあたしは望んでいたわ。あなたに力を貸し、あなたと苦労を共にしたいと思ったわ-ところがあなたは、あなたの生活からあたしを締めだしてしまった(P101)。

私のアリスに対する気持は、私の学習の流れに逆らって、崇拝から愛へ、好意へ、感謝へ、責任感へと転じていったとのだということがようやくわかった。彼女に対する混乱した感情は私をうしろに引き戻し、むりやり押し出されて錨を切られる恐怖から彼女にしがみついていたのである(P103)。

アリスや私自身に関する詳細の大半を私用のファイルにしまっておいたことを神に感謝する(P127)。

そうして私はほとんど忘れていた。
人々が私を笑いものにしていたことを知ったのはつい最近のことだ。それなのに、知らぬ間に私は私自身を笑っている連中の仲間に加わっていた。これが何よりも私を傷つけた
(P155)。