『お言葉ですが…〈4〉猿も休暇の巻』

『お言葉ですが…〈4〉猿も休暇の巻』
高島俊男
文藝春秋

読後の感想
言葉遊びが大好きな人にはたまらない一冊です。正字のお話から、語源、歴史まで幅広い知識の洪水に圧倒されて、非常にわくわくします。皮肉やさんで、ウィットに富む文章にチクリとやられ、クスリとします。索引が着いているところがうれしいです。ちなみにタイトルは、salmon cucumberより。

印象的なくだり
雑誌を見ていたらあるかたが、童謡「赤とんぼ」の三番、「十五でねえやは嫁にゆき、お里のたよりもたえはてた」についてこう書いていらっしゃる。「へーえ」と意表をつかれた。
<現在では十五歳で嫁に行くなどとは考へられないし、小子化で十五歳の長姉が離れた何番目かの弟を背負つて子守りをすることもなくなった。>
筆者は昭和三十七年生れの高校教諭とある。
意表をつかれたのは、このかたは「ねえや」を姉と解していらっしゃるからである。これがそのまま掲載されているところを見ると、編集者もそう考えているのであろう。
わたしはずっと、「ねえや」というのは子守りにやとわれた少女だと思っていた。
多分それでいいのだと思う。
「赤とんぼ」を作った三木露風は兵庫県龍野の人で、わたしはその隣町の者であるが、このあたりでは姉のことを「ねえちゃん」「おねえちゃん」とは言うけれど、「ねえや」とは言わない。一般にもそうであろう。
わたしが子どものころには、農村で子守りにやとわれる少女というものはもうなかった。しかし明治二十二年生れの露風が小さいころにはあったであろう。それが「ねえや」である(P031)。

謙遜は往々にしてかたちを変えた自信の表明である。痛切なひけめは到底それを謙遜として口に出し得ないはずであった(P239)。