『女装する女』

『女装する女』
湯山玲子
新潮社

読後の感想
ひところのバブルを表したような本だと感じました。消費が美徳、のような、悪く言うと軽薄で空虚さもあわせて感じました。常に他者視点が入っているのが若干気になりましたが。
しかし、女性が女性を見るときの視点というのは、やはり本質を良くついていると思います。その意味では、男性は読む価値ありかも。

印象的なくだり
ネイルのよろこびとは、仕事において全く必要のない装飾が、真剣勝負の指先にキラキラ踊っているという”遊び”が精神的に心地よく、一種のガス抜きになっているからにほかならない。校則が厳しい学校で、生徒たちが先生の目の届かないソックスのワンポイントや髪型のディテールに心血を注ぐことと全く同じ心持ちと思ってよい(P025)。

(前略)男同士の性愛ポルノ、読み手の女性が誰に感情移入をするかというと、攻めの男にも、また、受け身の男にも、そして、そのふたりをのぞくようにしてみている第三者にもそれが可能なのだ。そこには、女である私という確固とした自我は限りなく存在せず、それだからこそ、物語の関係性の中に楽々と入っていくことができるともいえる。「私の物語だから好き」から、「私が登場しないから好き(だし、おもしろがることができる)」へ。女とか男とかはあんまり関係ない私が、「女を装う」ことを楽しむという女の女装と、ボーイズラブの物語で自由に萌えの立ち位置を変える読み手の女性の感覚は、自我の温度が低い、という
点で大変似ている(P053)。

本当に占い師が前世を見ているのかどうかはわからない。しかし、見ず知らずの人が目の前の自分の印象から、ひとつの物語を語ってくれるという体験は、大変に興味深いものに違いない(P071)。

高度消費情報社会の状況下では、女性を女性たらしめていたいろんな幻想の鎧がひとつひとつ外されていくわけで、外された後にむき出しになった本体そのものは実は思ったよりもたくましく、自由で、とんでもない個性と欲望が普通に存在したというだけだ(P222)。