『パラサイト・シングルの時代』

『パラサイト・シングルの時代』
筑摩書房
山田 昌弘

読後の感想
価値観の変化という抽象的な原因ではなく、経済的な自由が失われるといった具体的な事象をを非婚化の理由と論じた点が秀逸でした。普段見落としがちな現象に対するネーミングセンスは抜群です。

印象的なくだり
社会科学では、自分の意志を貫くことができないという現象を重視する。売買の自由があっても、好きな値段で物を買うわけにはいかないし、職業選択の自由があっても、なりたい仕事にみんながつけるわけではない。主権は国民にあっても、自分に都合のよい法律を作れるわけではない。なぜなら、全ての人が自由な意志を持つからである。自由な意志を持った人が集まっているのが「近代社会」である。自由な意志、各人の選択が相互作用して作られる現象、その法則やトレンドを発見し、予測するのが社会科学(経済学、社会学、法政治学)の仕事なのである(P014)。

私たちのグループで、若者のインタビュー調査(少子化の心理、社会的要因研究会)の結果見えてきたのは、結婚をあきらめるほどやりたい仕事についている女性は少ないという事実である(P083)。

まず、少子化の原因が未婚化にあることを押さえておこう。女性一人当り生涯に産む子ども数を推計したものを「合計特殊出生率」という。この数字は、高度成長期(一九五五~一九七三年)には、だいたい、二・二程度であった。つまり、女性一人当り、平均二人から三人産んでいた計算になる。未婚率と同じように、オイルショック後からこの数字が下がり始め、一九八九年には、一・五七と戦後最低となり、一九九八年には、一・三八まで下がっている。
しかし、この数字を単に、結婚した女性の平均出生児数と思ってしまうと、誤りである。国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、ここ三0年間、結婚した夫婦が産む子どもの数は、ほとんど変化がない。
ということは、日本で少子化が進んでいる「直接の原因」は、未婚者が増え、その未婚者が子どもを産んでいないことにある(P100)。

親の経済的利用可能性が、豊かさを決める要因になっているという事実が、若者の社会意識に対して、計り知れないほどのマイナスの影響を与えている。それは、近代社会を支えてきた「メリットクラシー」の理念が崩壊する可能性である。
メリットクラシーとは、能力主義と訳されたりする。自分の能力によって社会的地位が決まるという理念である。つまり、(ある分野で)能力のある人が、(当該分野での)高い地位を占めるということであり、「機会均等」の理念と結びついている。すべての人に機会が開かれ、能力のある人が実力を発揮すれば、上の地位に就くことができるという考え方である。
その対極にあるのが、アリストクラシー(貴族主義)であって、自分の生まれ(親の地位)のよって、自分の地位が決まってしまうシステムである(P118)。

昔、心理学で、青年期は不満が大きくなる世代で、親を始めとした大人に反発する時期だと習った。また、社会学者ケニストンが「
ヤング・ラディカルズ」と呼び、既成の秩序に反抗する存在として若者を捉え、それが、社会を変革するエネルギーになっているというのが定説であった。
しかし、今となってみると、当時、青年が反抗していたのは、青年期が相対的に貧しい時代だったというのが理由にあったからではないか。青年は、年配者が持つ「既得権」に反抗していたのだ。「反抗」「ラジカル」は、青年期の特徴とすることは誤りであることが、パラサイト・シングルによって実証されたともいえる。昔の青年は貧しく、実際、やりたいことがなかなかできなかったから、反抗したり、夢の実現に向けて努力したり、社会の変革を求めて運動していたのだ(P131)。

子どもを早く独立させて、自分の力で生きていけるようなしつけ、教育をするのが理想とされる(P142)。

日本では今まで、高学歴女性は高学歴男性と結婚した後、専業主婦化していた。そして、収入の相対的に低い男性と結婚した女性は、家計補助のため共働きするので、夫婦の合算収入の差は、大きくならない。実は、これが、日本社会が総中流化が進行した理由なのである(P152)。

パラサイト・シングルは、結婚や子育てに夢を抱いていないわけではないのだ。いや、夢を抱いているから、結婚できないのだ。
女性にとって都合がよい夢は、男性にとって避けたい悪夢になり、男性にとって都合がよい夢は、女性にとって古臭い男の論理に映る。
客観的にみれば、パラサイト・シングルがもつ夢は、実現不可能な都合のよいものにみえる。しかし、本人たちにとっては、「当然」なのである。なぜなら、現状よりも豊かでない生活、現状よりも自由でない生活、現状よりもゆとりのない生活を「夢」みる人などいないからだ。夢をみるのなら、現状よりも「よい」と思える生活でなくてはならない。
 夢をみればみるほど、一生、夢だけみて終わる可能性が高いのだ
(P183)。

パラサイト・シングルの多くは、何も考えていないかもしれない。いや、将来のことを考えると暗くなるから、考えないようにしているのかもしれない。そして、いつかは、誰かが現れて結婚できるに違いないと根拠のない希望を持ちつづけ、もしものためにと場当たり的な対応をするが、根本的な状況を変えようとしない(家を出ようとしない)。
パラサイト・シングルの状態は、日本社会が陥っている状態に似ていないだろうか。現在、経済的にたいへん豊かであるが、将来はあまり期待が持てない。いつかは、景気が上昇に転じるのではないかと根拠のない希望を持ちつづけ、場当たり的対策は立てるが、抜本的な痛みを伴った改革は先送りにしようとする。
パラサイト・シングルは、一種の既得権を持った存在である。豊かな親という既得権に依存し、その既得権を手放そうとはしない。既得権にしがみついたまま、それ以上のうまいことがどこかにないかと夢をみている(P188)。

「『パラサイト・シングルの時代』」への1件のフィードバック

  1. 本日の県内ニュース
    「五郎島金時、出荷が始まりました。明日の昼には県内の店頭に並びます。」
    帰省しております。五郎島プリン、購入しました。

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