『大人のための勉強法』

『大人のための勉強法』
PHP研究所
和田 秀樹

読後の感想
成熟した依存、教訓帰納という概念は勉強だけではなく、教育する側からの視点としても非常に有用でした。
こういった本を繰り返し読むことによって、勉強の重要性を自分の中で高めていこうと強く感じました。実用的といようよりも、理念の本。
難解でもなく、とっつきやすいなと好印象でした。
和田秀樹さんの本は恥ずかしながら初めて読みましたが、非常に論理的で読みやすく、すっと頭に入ってきました。自分の中では、ポスト野口悠紀雄(文筆という意味で)って印象でした。

印象的なくだり
英語の読み書きの能力といっても、もう数年たてば、英語の翻訳ソフトが十分実用に耐えるようになるはずだという反論もあるだろう。知識が多いに越したことがないといっても、インターネットでいくらでも知識を引くことができるのだから、自分で覚える必要はなくなる、むしろ余計な知識などもっていれば邪魔だと考える人もいるだろう。
ここが大きな落とし穴なのだ。みんなが英語をしゃべれない時代、たとえば戦後の混乱期には、アメリカ兵の二号さんや米軍キャンプの使い走りをして、片言でも話せるようになれば、「通訳」とし通用した。教養や知性よりも、英語を多少でも知っていることのほうがはるかに価値があったわけだ。しかし自動翻訳ソフトができれば、英語を日本語に直し、日本語を英語に直す「翻訳」能力は英語力ではなくなる。むしろ、もとの日本語が説得力や論理性、あるいは教養を感じさせるものでないと、相手に優れた人間と感じさせることができなくなる。そして相手のことも、それだけ勉強する必要が出てくるのだ。
(中略)
情報がインターネットで引けるようになったことについても同様なことがいえる。情報がたくさん入手可能になるほど、その分野についての概括的な知識や理解が必要になる。私だって、精神医学領域、特に精神分析については、たとえば、論文のタイトルや抄録を読んで何がいいたいか大体わかるし、どの分野について検索すればいいかの筋道も大体立つ。でも、これがイスラムの文化史についてのレポートを書けという課題であれば、いくら情報が入手可能であっても、どの説が本当で、どの説がまゆつばかの区別もつかない。全部の情報に一通り目を通さないといけないので、膨大な時間がかかってしまうだろう(P021)。

人間は新たな問題にぶつかった時に、その解決のためにあれこれと推論を行う。この推論の際に人間の脳は無から有を生むものではない。これまでの経験や習ったことから、現在のシチュエーションや問題に使えそうなことを探してきて、あれが使えるんじゃないか、このやり方のほうがいいんじゃないかとあれこれシュミレートしてみて、その場での問題を解決するための答えを出すわけである。つまりこれまでの経験や学習によって得られた知識を用いて推論を行うわけだ。ただし、このプロセスが意識されないこともあるので、問題をみてすぐに解法が推論できた場合などに、思いついた、つまり無から有を生んだ気になることがあるのである(P045)。

ブラウンという認知心理学者によると、問題解決にかかわるメタ認知には次のようなものがある。
①自分の能力の限界を予測する。
②自分にとって今何が問題かを明確にできる。つまり同じわからないという場合でも、何がわからないのかが明確にいえる人はメタ認知能力があることになる。
③問題の適切な解決法を予測する。そしてその具体的な解決の計画を立てる。この場合、解決法が複数ある場合は、どれが有効かの判断ができるのもメタ認知能力である。
④点検とモニタリング。これが自分の認知パターンを上からみる作業ということになる。
⑤活動結果と目標を照らし合わせて、実行中の方略を続行するか、中止するかを決める。つまり、このまま続けていってできるのか、それとも別のやり方にするほうがいいのかの判断力もメタ認知能力なのである(P050)。

(前略)自分が知識がなくても、その知識のある人と知り合いであったり、知識のある人に聞いたりする能力があれば、自分のもつ以上の知識を外部ハードディスクのように用いることができる。つまり推論の材料としての知識はアウトソーシングできるのだ。たとえば、経済学者が心理学者の話を聞きながら、経済学者の立場でその心理学の知識を用いて推論をすることは可能である。一人の力で知識を増やそうとするより、知識のある知り合いを増やすことができる対人関係能力をもっているほうが、現実の問題解決能力がある人間ということになるし、おそらくは、後者のほうが「頭のいい」人間と目されることだろう(P057)。

自己心理学の祖、ハインツ・コフートの考え方では、人間の発達の目標は、親への依存関係から自立していくというものではなく、親や別の人間との依存関係を未熟な依存から成熟した依存に変え、周囲の人間を心理的にうまく利用できるようにするというものである。つまり成熟した依存関係がもてることが、対人スキルの発達目標であるわけだ。
では、成熟した依存とはどういうものなのだろうか?
コフートは、依存が一方的でないということを強調している。こちらが相手に何かを望んだり、期待したりする代わりに、相手が望むものをわかってあげたり、それを満たしてあげようというのが、成熟した依存という訳である
(P061)。

「わかる」ための努力や費用を惜しまないというのが、大人のための勉強法の必須条件といってもよい(P085)。

東京大学大学院教育学研究科教授の市川伸一氏の勧める理解への方向付けに、教訓帰納というテクニックがある。
これは、ある問題を解いたり、答えを教えてもらった後「自分がなぜ解けなかったか」「この問題によって何がわかったか」というような教訓を、一般的なルールとして引き出すことである。このテクニックも、何を理解したのかを知ることによって、理解を深め、さらに頭に残すことを目指したものといってよいだろう
(P086)。

復習の妙味は、かけた時間に対して得られるものが多いというコストパフォーマンスのよさにある。たとえば、一時間かけて一○個の単語を覚えたとして、復習をしないと試験の時まで四個しか覚えていられないのに、十分間復習をするだけで、それが八個になるなら、十分で四個覚えたのと同じことになるからだ(P089)。

勉強をしつづけていかなければならないのは、私も同じである。とにかく、いっしょに頑張っていこうではないか。そして、自分と自分の能力を信じてほしい。心理学の実験では、自分が頭がよいと信じている群のほうが勉強をした際に伸びるという報告もある。私自身も最近は、自分のことを頭のいい人間だと信じるようにしている、人前で謙遜するのは大事な礼儀ではあるが、自分をばかだと思って得をすることはない(P210)。