恋の行方はメランコリー

タイトルは、高田みずえ『そんなヒロシに騙されて』(作詞桑田佳祐)の歌詞より抜粋(タイトルと本文は関係ありません)。歌詞の意味がいまだに分かりません。

引用元

 「子どもの権利条約」の国連採択から11月20日で20年を迎え、東京のフリースクールに通う子どもたちが「不登校の子どもの権利宣言」をつくった。学び方を選ぶ権利を求め「共に生きやすい社会を」と大人に呼びかけている。

 前文と13の条文から成る権利宣言は、「東京シューレ王子」(東京都北区)に通う10代の子どもたち15人がつくった。

 前文は「私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です」と始まり、「子どもの声に耳を傾け、個々の価値観を尊重してください」と訴える。第1条にうたったのは「学校へ行く・行かないを自身で決める権利」。

ふ~む、不登校じゃなくって、別の学校じゃダメなの?

そもそも論からいうと、憲法の26条は

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

国民に教育を受ける権利を保障したのと、親に対して教育を受けさせる義務を課したものなのである。
教育を「受けさせる」義務の名宛人が親になっているのは、歴史的沿革から、子供を搾取するのは「親」であったことが多いことに由来する。
ちなみに、これの表れとして27条3項

第27条 
3 児童は、これを酷使してはならない。

まぁ何が言いたいかというと、憲法はパターナスティックな観点から、つまるところ保護者的観点から教育を受けることを権利として認めたのであり、そもそも「ガキには妥当性の判断ができない」ことを前提としているんじゃないの?ということです。
但し、学校が合わないのであれば別の学校に転校することまで否定するものではありません。

学問はどこでもできるけど、学校で習うのは学問だけじゃないんだよ~。