『人間の覚悟』

『人間の覚悟』

五木 寛之
新潮社

読後の感想
2011年3月11日に地震が起こった後、本当に多くのことを考えました。
その中の一つにこの日本という国に残っていて本当にいいのだろうか、ということでした。
この本を読んでさらに覚悟を決めた気がします。

実は、自分がこの本を手に取ったのも運命めいたものを感じていました。
というのも、ちょうど本気で海外に移住を考えようかと思っていたところだったからです。

この本は「国が信用できない、政府が信用できない」なんて思うな、そもそも信じる対象ではない、と実体験を交えて語り、結局は決めなければならない、と教えてくれました。
そして、どちらに転んでも生きていくということは「罪」を背負って生きていくであり
それ以外の選択肢はないということだと教えてくれました。

引用からですが「何かを信じる、というのは何かを選択することに他なりません。
そして選択したら異議ははさまず、証明がなくてもそのことを信じていくしかないわけです。仏教にしてもキリスト教にしても、宗教には非合理性が伴いますが、それを新しい科学や物理学を引いて説明するのは無駄なことだと思います。そうした理論や理屈を超えた次元に、非合理ゆえに我信ず、という信仰があるのであって、信じることに証明は不要なのです(P124)という言葉が強く突き刺さりました。

印象的なくだり
そろそろ覚悟を決めなければならない。
(中略)いよいよこの辺で覚悟をするしかないな、と諦める覚悟がさだまってきたのである。「諦める」というのは、投げ 出すことではないと私は考える。「諦める」は、「明らかに究める」ことだ。はっきりと現実を見すえる。期待感や不安などに目をくもらせることなく、事実を真正面から受けとめることである(P004)。

昭和の時代、外地にでていった日本人たちの大部分は、はみだした人びとだったのではないか。内地とよばれた本国から、押し出されるようにしてこぼれ落ちていった余計者である(P005)。

どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である(P007)。

デカルトは「我思う、ゆえに我在り」と言ったそうですが、今はそういう時代ではありません。むしろふたたび、「我在り、ゆえに我思う」(トマス・アクィナス)という時がきた、と考えています(P023)。

もう死ぬしかない、と思うことと、本当に真でしまうこととの違いは相当に大きいのです。そして、自分の命の実感が持てない、というのじつに深刻な状況です。
自分の命の実感がないからこそ死を選ぶ人が多くなるわけですが、それは裏を返せば、自分の命の実感がなければ、他人の命への実感は持ちようがないということです。かけがえのないこの命、絶対に奪えない命と思っていればこそ他人の命も尊重できるのです。
自分の命がやすい人にとっては、他者の命も同じで安易に奪うことができる。自殺者が増える
ということと、他人の生命を損なう凶悪事件が多発するのは表裏一体なのです(P030)。

出逢い、恋愛し、結婚し、しばらくすると子どもが生まれ、養い育てながら家を造っていく、そこまでは登山の段階です が、あるところでそれが終わると少しの空白の時間が訪れます。子どもたちが自立してでていったその先、パートナーとしてお互いをいたわりながら、いかにし て夫婦生活を下山していっくのか、家庭を持つということの意味も、半ばそこにあると私は考えています(P079)。

市場はほうっておくと弱肉強食の修羅の場になりかねないが、大きく秤が傾いてしまったときには「invisible hand of God」、すなわちアダム・スミス以来の「見えざる神の御手」が働くはずだという考え方でしょう
その確信があればこその自由競争、錦の御旗を背負った市場原理なのであって、日本がそれを抜きにして、形だけを取り入 れることがはたして正しいのか。ハゲタカよばわりされる外国資本の背景にも神の力が働いており、日本型企業に乗りこんできて大胆な合理化を達成したカルロス・ゴーン氏も、敬虔なクリスチャンでした。
いってみれば欧米諸国の資本主義は、一応は神の大義を背負ったシステムです。形だけの市場原理スタイルでは太刀打ちで きるわけがありません。さらに日本人には昔から、金儲けは汚いことだという倫理意識がありますから、錦の御旗を背負った欧米の経済十字軍と向き合ってビジネスをするとき、どうしても猫背になってしまうのは当然でしょう(P104)。

夏目漱石が言ったように、「西欧の猿真似」をして「上滑りに滑って行」くという形の文明開化に対して、漱石は日本人の本質を鋭く見抜きました。彼は、「これでいいのか」という警告を発しながら、一方では「涙を呑んで」そうするのだとも書いています。
おそらく日本人は、どこまで行っても「才だけ真似て、魂は和魂でいこう」という考え方なのではないでしょうか。
キリスト教を抜きにして表面だけコピーしつづけることでは、明治以来、日本人は他に例がないぐらい上手くなりました。 ただ、そうして根のないカルチャーを花として活け、身にまといつづけるということをこれからもずっとつづけていけるのか、どこかで破綻するのかもしれな い、そういう危機感を感じないではいられません(P108)。

これはとても難しいことですが、「信じること」と「疑うこと」、その二つを両手に持って生きなければならないのです(P123)。

何かを信じる、というのは何かを選択することに他なりません。そして選択したら異議ははさまず、証明がなくてもそのことを信じていくしかないわけです。
仏教にしてもキリスト教にしても、宗教には非合理性が伴いますが、それを新しい科学や物理学を引いて説明するのは無駄なことだと思います。そうした理論や理屈を超えた次元に、非合理ゆえに我信ず、という信仰があるのであって、信じることに証明は不要なのです
(P124)。

新しい言葉
ノーメンクラトゥーラ(共産貴族)

中国には四季を表すのに青春・朱夏・白秋・玄冬という言葉があります。これはワンセットの思想であって、青春の次には真っ赤な夏、その後ろには白秋が見え、白秋の後には黒々とした冬が控えている
というパースペクティブのなかで考えると、青春という時期はじつに哀切に感じられてくるのです(P133)。

時系列や言動が無秩序になれば、外見的にはエントロピーが増大しているように見えるでしょう。しかし、じつは人間としての魂はどんどん清浄化されていっている。
自我というものが崩壊するのではなく、昇華していくのだろうと私は考えていますし、老いとはそういう人間として大切なプロセスでもあるのだと覚悟することです(P142)。

仏教では「菩薩行」といいますが、人の面倒を引き受けることなしに人は生きていけないし、自分一人の面倒だけ見て生きる人生などあり得ません(P145)。

引揚げの光景
(中略)敗戦の夏、私は十二歳で平壌(ピョンヤン)の街にいました。その時、唯一の頼りだったラジオ放送は、治安は維持されるから市民は軽挙妄動を謹んで市内にとどまれ、と繰り返し放送していました。
私の一家も他の多くの家族とおなじようにぼんやり指示に従い、そのまま残っていたのですが、その間、高級軍人や高級官僚たちとその家族は、家財道具を山のように積み出して、平壌の駅からどんどん列車で南下していたのです。
一般市民は「動くな」といわれておとなしくしていたところ、やがてソ連軍が入ってきて、家は接収され、みな難民収容所のようなところへ押しこめられ、交通は途絶して列車も動かなくなりました。
それ以来、私は、自身や津波が来たりして政府が「動くな」と言ったらすぐ逃げるつもりですし、逆に「逃げろ」と言ったら動くまいと思っています。
どれだけ国を愛していても、政治のシステムが民衆を最優先にするとは考えませんし、たとえば新型インフルエンザは心配ない、と言われたら逆だろうと考える。
国家とは常に逆に動くぞ、と反射的に思うようになってしまったのです。
ソ連軍が進攻してしてきてからのことで、どうしても忘れられない光景があります。
引き揚げはいっこうにおこなわれませんでした。希望もなく、食糧もなく、伝染病がはやる。このままでは死ぬしかないという状況で、南下を企てます。
その北朝鮮から命がけの脱出行に二度目に成功して、私たちは何とか三十八度線を越えることができましたが、三十人ぐらいずつの集団行動ですから、たとえ夜でも途中のチェックポイントで必ず捕まってしまいます。
するとソ連兵は、必ず「女を出せ!」というのです。グループには世話役がいてだれを出すか相談するのですが、女学生みたいな娘を出すわけにはいかないし、子どもがいる母親も出せない。
結局、それではあの人を、と言ってみんなの視線が集まるのは、水商売をしていた女性や未亡人などになります。
それからみんなでその女性に頭を下げ、手をついて、しかしなかば脅すようにしてソ連軍に二人、三人と渡すことになる。
翌日、明けがたになって女性はボロボロになって、もう死んだように呆然として帰ってきます。中には、そのまま戻って来ない人もいました。
けれど戻ってきた女性たちを、それですくわれた人たちが合掌して出迎えるかというとそうではない。
逆に、子供に「悪い病気をもらってきたかもしれないから、近づいちゃ駄目よ」と囁いて遠ざけようとする人もいたのです。
そんな光景を見て、あれだけ誇っていた日本人の愛国心とか同胞意識なんてこんなものか、と思いましたし、その時腹の底から感じた不快感は、いまだに強く残っています。
やっぱり、人間ギリギリのところでは同胞に対してもけだものになるのか。自分もこれからこの罪をせおって一生生きていくのだ、と体の底から感じたものでした
(P157)。

生きている私は悪人である
「お先にどうぞ」と他人を逃がそうとするような優しい心の持ち主は、みなボートに乗れず置き去りにされ、途中で倒れてしまった。
エゴイスティックに人を押しのけ、人を犠牲にして走った人間だけが生き残ったのですから、生きのびて、引き揚げてこられた人間は全部悪人なのだ、そういう意識は一生、自分の中で消えることはありません
(P159)。

ぜんそくに悩まされた経験があると、ふつうに息ができることのありがたさがじつによくわかります。
私も少し前に足を捻挫してはじめて、車椅子用のスロープがどれほどありがたいかよく分かりました(P181)。

「『人間の覚悟』」への1件のフィードバック

  1. 色々と考えさせられました。
    このレビューだけでも読んで良かったと思います。
    それにしても震災後に海外移住まで考えていたとは…
    これが一番のビックリでした。

コメントは受け付けていません。