『軍事郵便は語る 戦場で綴られた日露戦争とその時代』

『軍事郵便は語る 戦場で綴られた日露戦争とその時代』桂木惠著

読後の感想
日露戦争時代に戦地から長野県の小学校校長に送られた550通の軍事郵便から、日露戦争の雰囲気を読み取ろうとする珍しい切り口の本でした。
戦病死した曽祖父が軍属として野戦郵便隊に所属していたことも伴って、非常に興味を持って読み始めました。

送られてきた軍事郵便からは、当時のロシア、中国に対して兵士が持っている差別的な印象、情報がないながらもあちこちから見聞きしたことが多いこと、日露戦争時にはまだ検閲がそれほど厳しくなかったのか割と軍事行動について記載があること、などが読み取れました。

日露戦争に対しての記載は、軍事郵便の分析からはちょっと離れて著者の私見が強く出過ぎているように感じましたが、それを除けば日露戦争に関する重要な史料といえるでしょう。

印象的なくだり
「余は如何にして社会主義者になりしか」 先年現役兵に徴集せられ、別社会のこととて、万事異様の感慨に打たれたる折柄、或筋多き者が新兵に向かって最も残酷なる一語を吐けり、曰く「汝等如き者は死んでもかまわない、伝票を切れば何程も替りが来る」この一語は予の脳髄に深刻せられて深く軍隊の害悪を感ぜしめたり。(『平民新聞』8号明治30年1月3日付)
これを書いた半田一郎は、小県郡傍陽村(上田市)出身で、第三軍徒歩砲兵第一連隊の一等卒として出征、旅順攻囲戦や奉天戦に参加しました。生家は蚕種生産を兼業する農家でしたので、それなりの収入があったと思われます。その半田がなぜ社会主義者となったのか。決定づけたのは軍隊での経験でした。
〈或筋多き者〉とは階級章から見た上級の将校を指していると思われます。それにしても、〈汝等如き者は死んでもかまわない、伝票を切れば何程も替りが来る〉の一言は強烈です。半田でなくとも、ショックに打ちのめされそうです(P.236)。

〈上天皇陛下〉の上が一文字分空いているのは闕字です。天皇への敬意を表す表記で(後略)(P.254)。

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