『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人-』

『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人-』
宝島社
山村武彦

読後の感想
本書は、防災に対する心構えや対応というのが、先天的に長く続くないことを前提として本書を進めています。 ところが、結局改善点として提示してきているものは、「勇気」とか「姿勢」と言ったもので、あまり意味がないのではないかないぁと感じてしまいました。
本当に虚無感を感じたのは、本書でも触れられてた田老町のくだり。明治三陸地震津波のときには、当時の村の人口の73%を失い、昭和三陸地震津波でも人口の30%が死亡しています。そして、かなしいかな今回の地震でも犠牲者を出しているのです。
愚かなと笑えないのは本当に悲しいです。
この本を読めば過去のことは思い出せるが、未来への対応にまで至らないと思います。
そして過去は忘れてしまう、というのが本書のテーマなのに…。

印象的なくだり
緊急時、人間は1人でいるときは「何が起きたのか」とすぐ自分の判断で行動を起こす。しかし、複数の人間がいると「皆でいるから」という安心感で、緊急行動が遅れる傾向にある。 これを「集団同調性バイアス」と呼ぶ。
(中略)
集団でいると、自分だけがほかの人と違う行動を取りにくくなる。お互いが無意識にけん制し合い、他者の動きに左右される。自分個人より集団に過大評価を加えていることが読み取れる。
結果として逃げるタイミングを失うことになりかねない。まるで、「災害時、皆でいれば怖くない」である。 「皆でいれば安心だ」と思う心理には客観的合理性や、科学的根拠はない。災害が発生したとき、または危ないなと思ったら、まず安全なところへ避難することだ。「皆いるから」の心理が働いて、その場にじっとしている自分に気が付いたら、ぜひこの話を思い出してほしい。皆がいるから大丈夫なのではなく、皆がいるから危険に流される場合がある(P021)。

つまり人間はある条件下に置かれると、自分に都合の良い情報だけを受入れ、都合の悪い情報を自動的にカットしてしまうのである。災害がで逃げ遅れた人たちの追跡調査をすると、こういった楽観的無防備が原因でよって逃げるタイミングを誤るケースが多い(P037)。

昔、活字になっているものは何でも信じたという人といたが、今はインターネットに掲載されたものを無条件で信じてしまう子供もいるのだ(P042)。

「最後まで生き残る生物は、強いもの、賢いものではない。最も変化に対応できるものである」とダーウィンが『進化論』の冒頭で言ったように、失敗しないためには「変化に追いつき、変化を追い抜く」ことと、それに必要な知識と知恵である(P095)。

学者の話によると、ミツバチが蜜を蓄えるのは花がなくなる冬季に備えるためである。ヨーロッパで働いていたミツバチがパースに来て、最初の年に備えて蜜を蓄えていた。しかし、パースは1年中温暖で冬はなく、いつでも花があり、好きなときに充分蜜が食べられることが分かったのでミツバチたちは、蜜を備える必要性を感じなくなったのだという。だから、パースでは養蜂業があまり成り立たないのだそうだ。
(中略)
つまり、満たされた環境で努力せずとも生きられる生活が続くと、生まれつき備わっていた危機回避本能さえいつの間にか退化させてしまうのだと付け加えた(P102)。

余談だが、日本語の「火」は「ひっー」という驚きと恐怖の心象から 発音が生まれたといわれるが、世界中の「火」に対する発音は英語の「Fire」(ファイヤー)のように、ほとんどが「F」又は「H」から始まる驚きと恐怖の発音である。驚き、恐怖を感じた時、人は息を吸い込むため「H」や「F」の音が出るのである(P137)。