『リーダーシップ』

『リーダーシップ 新装版―アメリカ海軍士官候補生読本』

アメリカ海軍協会
生産性出版

読後の感想
昔から「平家、海軍、国際派」というように、海軍は進歩的な存在の象徴だったりします。
それは、常に船の性能が生死を左右するような技術戦であることや
海洋はつながっているので国際的な決まり(万国公法とか)に従うためや
相手のことを学ぶために、言語を習得する(必然的に海外を知る)理由があったからではないでしょうか。
この本はアメリカ海軍の士官候補生に向けて書かれています。
その性質上、士官候補生は配属と同時にいわゆる指揮官として配属されることが多くて、
たたき上げの人からするといきなり年下の上官が来たりして、
それはそれで心中穏やかではなかったりするわけです
(この辺の悲哀は「きけ、わだつみの声」などをご参照のこと)。

というわけでリーダーシップの本です。
優秀なリーダーの下では生き残ることができるのに、
そうでないリーダーの下では全滅、なんてことがありがちな軍隊で書かれただけあって、
生死をかけたリーダーシップ論に背筋を張りながら読むことができました。
部下にとって上官が生死の鍵を握っているのと同様に、
上官にとっても部下の動きは生命線なわけです。
そのような場面ではリーダーシップが取れること自体が、
命を懸けたミッションだったという部分で、
今のぬるい自分の立場に身に沁みました。

印象的なくだり
リーダーシップの定義
リーダーシップとは、「一人の人間がほかの人間の心からの服従、信頼、尊敬、忠実な協力を得るようなやり方で、人間の思考、計画、行為を指揮できかつそのような特権をもてるようになる技術、科学、ないし天分」と定義されよう。
これをテキスト全体の定義とするので、よく脳裡に銘記されたい。この定義は、リーダーシップの実践が科学的アプローチの具体化であるという近代的概念を包含し、リーダーシップを生まれながらのリーダーの技術や天分とする狭い考え方に拘束されない(P003)。

有機体の生存における意識の効果を科学的に研究することは、十分価値のあることとダーウィンは考えた。自己分析をしてみると、運動技能を学習しようとする場合、最初は自分の行動をはっきりと意識しているが、習慣が完全になるにつれて、意識は遠ざかっていく。そして習慣が確立されてしまうと、意識せずに自動的に手足が動いていく。したがって意識は、人間の学習を助けることで有機体としての人間の存在に貢献するように思われたのである(P026)。

科学者は、誤った解答に騙されないように注意しており、その顕著な態度の一つとして理性的もしくは健全な懐疑主義があげられる。これは、ものごとを信じる場合に、十分な根拠が存在するまで疑いの余地を残しておくという態度であり、問題に対する解答を探求する過程がもっとも重要であるという態度である。
(中略)
つまり、懐疑的な態度というのは、日常の問題に対して、安易な既成の解答ではなく、よい解答を得るための第一歩なのである(P035)。

科学者は、かならずしも多くのことを知っている人ではなく、むしろ多くの問いをする人と言ったほうがよい。反対に、平均的な人のほうが、多くのこと、とくに「人間性」について「知っている」と思っているかもしれない。家族の影響、教育、個人的経験、これらのすべてのことが、人生や生きるべき道について、「普遍的真理」と見なされている解答を理解させる際に、影響するのである。科学者はどちらかといえば、この種の普遍的真理については健全な懐疑心を身につけており、まったく普遍的ではないものがあることもすでに学んでいる。また、容易に手に入る既成の解答の多くが、厳密な分析に耐えられないことも知っている(P036)。

現代文明における人間の基本的特徴の一つは、解答を得たいという欲求である。個々の人間は、一つの解答は百のよき問題に値するという思いを強めながら成長する。そして、問題に直面した場合、解答が得られないと、何となく不十分な気持を抱くのである。大いに当惑したあげく、よい解答への努力を惜しんで、安易な解答に満足してしまうことも少なくない。しかし、これは時として、きわめて不幸なことになる。なぜならば、いったん解答が得られると、善かれ悪しかれ、解答を主観的に防御しようという気持が強まり、ある人個有の解答となって、問題の解答にならないだけでなく、解答に対するいかなる攻撃も一人で受け止めなければならないからである。自我が解答に投影されており、解答を支持するような事実だけで、自我を守ろうとするのである(P044)。

よい士官は、よい観察者となるにあたって、大いに勉強になるのは、科学者の例に倣うことである。科学者は関心をもつ必要のある重要なことがらを選別するコツを身につけている。何を検討するかがわかるようになるには、素地となる知識がなければならない(P045)。

生命は過程である。万物は絶えず流転し、相互作用し、変化している。もみじの日々の移り変わりとか、昨日と今日の年齢の違いなど、変化といっても実際にはほとんど意味がない小さなものもある。それでも、変化は絶えず行われている。実際に重要な変化が表面化するのに一か月、一年、ときには一○年も待たなければならないこともあるかもしれない。それでも変化は起こるのであり、昨日が今日とまったく同じように、また一九二○年が一九六○年と同じように行動するような人は、新たな異なる方向の問題に対しても、古色蒼然とした解答を与えるに違いない(P047)。

集団は、成員のすべてが集団と強く同一化するとき、きわめて強い潜勢力をもつものである。成員はすべて熱心に仕事に取りかかり、一生懸命努力し、仕事をなし遂げ、目標を立派に達成するのである(P066)。

紳士としての海軍士官
しばしば「士官と紳士とは議会の法令による」という表現を耳にする。実際においては、「士官」および「紳士」という言葉は、同義語である。「紳士」という言葉が非常に多く出てくるから、その意味を、海軍士官の役割に関連づけて検討するものも有益であろう。
ある無名の著者が次のような素晴らしい紳士の定義を下している。
内も外も清潔な人、富める者をあがめず、貧しい者を見くださない人、負けて悲鳴をあげず、勝って自慢しない人、他人に思いやりがある人、大胆で偽らず、寛大で欺かず、分別があって、のらくらして遊ばない人、世の中の財貨のうちの自分の分け前だけを取り、他人にその分け前をもたせる人ーこれこそ本当の紳士である(P117)。