『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』

『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』
金子哲雄

読後の感想
流通ジャーナリスト金子哲雄さんが、肺カルチノイドという病に冒され
宣告、発症から死亡、死亡後までの感情を記録した本です。
聞きなれない病名の肺カルチノイド、本書曰く十万人に一人の割合という
珍しい病気のようです。
判明した時には手の施しようがないほど進行していて
セカンドオピニオンすら引き受けてもらないというくだりがありましたが
患者は二重の意味で辛い思いをしている現実をまざまざと見せつけられました。

それだけではおさまらず、逆に治療をする医療機関側の中にも
治療費を一部負担しているといる現実がある、といった
(自分が知らないだけだったのかもしれませんが)
酷い現実の一面も垣間見えました。

この本を通じて感じるのは、金子さんのサービス精神の旺盛さとその行動力。
色んなエピソードの中でも一番心に残ったのは

野崎先生と嵯峨崎さんによって、金子の死に支度は完了しました。
死に装束もすべて本人が決めています。
先生たちも、金子のお願いしていた通りに動いてくださいました。
死亡診断書も、どう書くのか、本人と先生との話し合いが済んでいました。
死因を肺カルチノイドにしてほしいと、金子が先生に頼んでいたのです。
「曲がりなりにも一応、少しは名が知れていると思うので、僕の死がちょっとでもニュースになれば、
カルチノイドという名称が皆さんの目に触れると思うんです。
だから、死因は肺カルチノイドということでお願いします」
死亡診断書まで自分で考えていたのです(P.190)。

というものです。
あぁ、この人は自分が死んだ後の世界のことも考えていたのだなぁと思うと
じんわりと目頭が熱くなってきました。
果たして自分もこんな風に考えられるのだろうかと。

この本から何を学ぶ、というたぐいのものではありませんが
自分の「死に方」を考えるきっかけになりました。

印象的なくだり

スーパーが「大衆」を強く意識している。
そのいちばんいい例が、「お刺身3点盛り398円」だろう。
「398円というのは絶妙な価格設定で、この値段なら、「今晩のおかずに、刺身を出そうかしら」という気持ちになりやすい。
例えば、598円や698円のセットならば、「食べたい人が食べればいい」ということになってしまう。
スーパーの腕の見せ所は、いかに「398円」の中身を充実させるか、だ。
スーパーの利益の出るギリギリのところで、消費者が満足するものを出す。
このせめぎ合い。
スーパーの「お刺身3点盛り398円」を比較すると、そのスーパーの勢いや、思想みたいなものが、わかってしまうほどだ。
売る側が、消費者が買いたいと思う最高のパフォーマンスを提供しているかどうか。
398円のお刺身の中身―品質、鮮度、組み合わせ、見た目のボリュームはどうか。スーパーの腕の見せ所である(P.062)。

別店舗と定点観測をするときには同一価格の商品を、と
いうことは知っていたのですが、398円にそんな深い意味があるなんて
今まで考えたこともなかったです。

これは父から聞いた、日商岩井の副社長だった海部八郎さんのエピソードなのだが、
彼は必ず手土産に、岡埜栄泉の豆大福を持って行ったという。
父いわく、
「お土産っていうのは、同じものに決めたほうがいい。
それを見たら、その人を思い出すきっかけになるようになるものがいいんだ。
それが仕事につながる」
この話を覚えていて実践したのが、コージーコーナーのシュークリームというわけだ。
コージーコーナーならば、どんな仕事先に出向こうと、近場にあることが多い。
テレビ局の近くにも必ずある。買うのに困らない。値段も高くないし、それでいておいしい。
コージーコーナーのシュークリーム=金子哲雄、とイメージできていれば、コージーコーナーを見ると、
「あっ、金子がいたな」
とリンクするようになる。
実際、ある番組のプロデューサーが人選を考えている時に、
コージーコーナーを見かけて、結果、自分を思い出してくれて、仕事が決まったこともある。
お土産を持って行けない死後は、そういうわけにはいかない。
だからこれからは、東京タワー=金子哲雄。
これでひとつ、お願いしたい(P.134)。

これはステキなアイデアで自分も実際に実行していたことでした。
自分にとっては崎陽軒にシウマイでしたが。

周囲には、すごく努力を重ねれば必ず突破できるという信念を持った人が多い。
自分もかつては努力は報われるのだ、それが日本のいいところ、と思っていた(P.156)。

死ぬ覚悟を決めて、自分の最後を考えている筆者が
「他人は自分にこういう風に思うだろうなぁ」と考えた結果のこのくだり。
絶望の更に向こう側の言葉のような気がします。