『若者を殺すのは誰か』
城繁幸
読後の感想
刺激的なタイトルですが、中身は極めて数字を根拠にした論理的な説明を心がけている本でした。
読む前に感じていた現在の世の中にある閉塞感を、文字化して、ストーリー化したという意味では非常に分かりやすく、納得できた部分が多かったです。
ただ、単純化して分かりやすくて読みやすかった分、精度がいまいちのところもあったのでちゃんと裏をとって理解しないとだめですね、やはり。
ところでタイトルの問いですが、詳細は本書を読んでのお楽しみなのですが、「問題の先送り」「終身雇用制」「若者の投票率の低さ」「少子化」「空気」という課題が山積み感を実感できる壮大な問いでした。
本書の中に触れられている「ええじゃないか」感は納得のネーミングです。世も末だなぁ。
この本を読む前と読んだ後では何が変わったか
我が家にいる娘を育てる意識がよりシビアになりました。
娘のライバルは、同じ幼稚園やご近所さんではなく、世界中にいるんだなぁと(漠然と)思うことができました。
印象的なくだり
日本車や家電にしたって、昔は安さを武器に世界に進出し、高品質の製品を低価格で提供することで、世の中を豊かに変えてきたのだ。電気炊飯器が普及することで、薪や釜を売っている人たちは怒っただろうかが、消費者は多くの時間をコストを削減でき、それを自由に別の何かに使って豊かになってきたわけだ。もし安売りを否定していたら、我々は梅干し弁当を食べながら街頭テレビを見るような暮らしを続けていただろう。
そう考えると、今さらながら松下幸之助はすごい人だと思う。彼の経営理念は、以下の一文に凝縮されている。
「水道の水は加工された価のあるものであるが、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく物資を豊富にかつ廉価に生産提供することである」(1932年、松下電器の第1回創業記念式典にて)(P.026)。
ゆとり世代は本当にバカなのか?
結論から言うと、新人の能力や学力が低下した最大の理由は、少子化である。
例えば、筆者も一員でる1973年生まれは約209万人いるが、1987年生まれは約134万人と、既に3割以上も減少している。全体が30%減ったということは、東大、京大、阪大に合格できる水準の学生が、それぞれ30%ずつ減っているということになる。
ただし、大学入試というのは、各世代共通の基準に基づく絶対評価ではなく相対評価である。つまり成績上位から枠いっぱいに入学させていくわけだから、東大は30%ほど、昔なら入学できていなかった学生を入学させていることになる。
問題はここからだ。仮に、東大‐京大‐阪大が、この順番で偏差値順位並び、学生は自分の偏差値に応じて進学するとしよう。京大は30%の合格実力者を失ったことに加え、さらに30%を東大に持っていかれるから、実力者が60%も減ったことになる。阪大に至っては、実に90%ほどが上位に流出し、代わりに下位校から受け入れている計算になる。
こうなると、ほとんど15年前とは別の大学と言っていい(P.036)。
2011年10月1日時点の大学生の就職内定率が、57・6%という過去最低記録を更新した。
(中略)
なぜ、これほど新卒の就職戦線が厳しくなったのか。それは、新卒がすべてのはけ口になっているからだ。普通の人は意識することはないと思うが、実は日本は、解雇も賃下げも基本的には認められないという異常な雇用環境の国である。OECDによる正社員の保護規制の強さも、最新版の2008年度発表では加盟国中第1位だ。
こういう状況で不況がくれば、ツケはすべて新卒採用抑制というかたちで学生に降りかかる。しかも終身雇用文化だから、あとで景気がよくなってから「入れてください」というのもなかなか通じない。新卒一括採用というのは、裏を返せば新卒一発勝負ということなのだ。格差と呼ばれるものの正体は、この「正社員と、そこに入りそびれた人たち」の間の格差のことである(P.096)。
実は、厚生労働省のデータをよくよく見ると、生活保護受給者の約半数は65歳以上の高齢者である。もちろん「働けるけどめんどくさいから生活保護で済ませちゃえ」というけしからん現役世代も少数派いるだろうが、統計上は、仕事が見つかれず、体力的な問題を抱えた高齢者が中心ということになる。
そして、この事実から見えてくるのは、この結果は昨日今日の政治や景気低迷の結果というより、おそらく数十年前から想定できていたということだ(P.153)。