『裸でも生きる2』

『裸でも生きる2』
山口絵理子

読後の感想

https://fukudashigetaka.com/article/137117832.html
2010年1月1日に読了したマザーハウスの山口絵理子さん『裸でも生きる』の続編。

その時の感想は

熱い、激熱です。己の欲するところに向かっていく姿は、さながら重戦車のようでした。
途上国でバックを作るということに、一生の情熱を向ける覚悟をさせる経験はすさまじいものです。
この本が言いたかったのは、信念を貫くことを困難さ、またそれを阻む多くの現実と、それを乗り越えられるのもやはり信念という人間の力だ、ということでしょうか。
ともすれば(いや、ともしなくても)易きに流されやすい人間を、押しとどめるのもやはりその人間の信念です。信念は思っているだけではか弱く、心細いですが、多くの現実を見てハートを強くし、自分を信じていこうと感じました。そして少し勇気が沸いてきました。
色々な場面で泣きまくってる方ですが、その強さは見事に感情を揺さぶられます。自分が直面している現実は、まだまだ甘い。

 この時に受けた印象は全く変わりませんでした。
むしろ、多くの場数を踏んでいるからなのか、本当に信念を貫き通す難しさをより感じました。

 実は山口さんがやっているマザーハウスは、こうやって途上国で作っている、ということをきっかけに知った人よりも、そのバックのデザイン性がきっかけとなる方のほうが多いそうです。
 単に、お涙頂戴ではなく、そのビジネスモデルが生きているのだなと感じました。

 本当に感情を揺さぶられるいい本です、オススメ。

 ネパールを離れるときの独白。この文章だけでも、山口さんの気持ちが伝わってきます。

私には何もすることができないのだろうか。
こうやって裏切り、脅迫行為、すべての汚い物事が、渦のように大きくうねりながら、この途上国のビジネスを支配している。
私もその渦に巻き込まれ、夢や信念までもが粉々にされている。
きっと、これまでも誰かが同じような思いで、この地を去ったのかもしれない(P.217)。

印象的なくだり

これまで多くの講演をしてきたが、答えられない質問はなかった。
短期間でその質問をしてくれたことに、私は最大限の敬意を払いたいという気持ちにさせられた。
そうしなければいけないと思った。
ディレクターに対する気持ちが尊敬に変わっていく中で、私は私自身でいられるようになっていった(P.033)。

企業と社会貢献のあり方についてはさまざまな議論がなされているが、私が常日頃思っているのは、役割分担という考えだ。
発展途上国でも、社会という否が応でもピラミッドの構造がある。
その中でも最も層が厚く、そして社会変革の担い手になるべき労働者。
彼らに働きかけるビジネスを私たちはしていると思っている。
しかし、企業がそのボトムの人々の、かなり緊急性の高い問題について直接アクションできる主体でないのは確かである。
(中略)
しかし、だからといって、ボトムの人々の問題は誰かが解決してくれるという他力本願であっていいことを意味していない。
少なくとも企業というものができる範囲のことを、できる限りにおいて、まっとうするのが社会的存在である企業の役割であると考えている(P.044)。

現地の素材がない。
この衝撃的な事実が、現場にいると徐々に明らかになっていった。
パシュミナ以外にも素材と呼ばれるものはすべてインドかや中国から輸入していた。
コットンや麻も育たない気候環境。
さらに、稼働している革の工場は2社しかない。
マザーハウスは現地の素材を使うことを理念に掲げている。
しかし、思えば、現地で素材が作れない国こそ、本当の意味での「途上国」なのかもしれないなと思った。
アフリカの小国のように、素材を隣国に依存し、加工するだけの国が世界には多くある。
しかし、そういった国々で製造業を根づかせることには意味がある。
そこで私は、素材は輸入したものでも、その加工にネパール独自のものを探そうと思った(P.158)。