今年の年賀状についての反省点。
1.転居によって返ってきた年賀状3通。
→そのうち、不明は1通、これはやむなし。
→ところが、残り2通は転居先知ってた…。去年の年賀状見たら「引っ越しました」って書いてあるし…、マヌケだ、自分。
この失敗をどう生かすか
→今年、戴いた年賀状は、抽選日(1月27日)に、当否を確認した後、住所録チェックしながら、保管場所へ移動。
2.元旦に届かないものもあったらしい。
→25日までに投函したんだけどなぁ…。ふぅむ。
→やむなし。
この失敗をどう生かすか
今年は天皇誕生日前には投函しよう。
3.差出人の記載について
いつも宛名は手書きで書いているのだが、『日経ビジネスAssocie』01/15日号に大好きな外山滋比古さんが、FEATURE「ことばの作法」でこういったことを書いていた。
多くの年賀状でいちばんいけないのは、差出人の自著のないこと。自分の名前を印字にしてほっておくのは通信の基本にかかわる。差出人の自著がなければ私信ではなくなることを知らないのはあまり知的ではない。
そう言うと、年賀状はハガキで私信ではないから自著の必要はないのだという反論が出るかもしれない。たしかに、年賀状は私信ではないが、人間らしいふれ合いがなくても、そもそも、あいさつを交わす意味がない、活字ではあたたか味が伝わりにくい。
印刷したハガキでも、肉筆のサインをすることは簡単にできる。差出人の所をあけておけばよい。住所と電話番号の間にやや広い空欄をつくるのである。同居の家族も共有できて便利である(私は五十年来、そういう年賀状を印刷している。見倣う人があってほしいが、ほとんど相手にされない)。
(強調はカタゲシダクフ)
これを読んで、確かに差出人が印刷なのは片手落ちだなぁ、としみじみと反省。今まで気づかなかった己の不明を恥じる。
この失敗をどう生かすか
これからの「通信は、必ず自著で」というルールを作る。
習慣化すれば、そんなに難しいものではない。
この外山さんのコラムには、とてもいいことが書いてあったので併せて引用。
先年、ある人から、遅くなって欠礼のあいさつがきた。「……当方の賀状は控えますが、いただくのはありがたくお受けします。にぎやかなことの好きだった故人も喜ぶでしょう」に感心した。
工夫をすれば、寒寒しいあいさつにも心が通うようになる。
この人の言語についての認識はとっても好き。修辞についての認識も多くの部分で共感がもてます。
もっと自分の母国語を大事にしなきゃ。