主観面をどうやって推認するか

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 女優の一色紗英(30)が、車の運転中に携帯電話を使用したとして警視庁の白バイ警官に取り締まりを受けていたことが8日、分かった。警視庁交通機動隊が反則切符を交付したところ、一色は「かかってきた電話に出ただけなので自分は悪くない」と反則切符への署名を拒否したという。また、一色はここ3年間で少なくとも10件の交通違反を繰り返し、2度の免許停止処分を受けていたことも明らかになった。
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 スピード違反に駐車違反、シートベルト着用義務違反…そして、運転中の携帯電話使用。過去、3年間で少なくとも10件の道交法違反を繰り返していたとなれば、運転モラルを問われても仕方がない。
 調べでは、一色は5日午後2時50分ごろ、東京・渋谷区の路上で乗用車の運転中に携帯電話を使用したとして交通機動隊の取り締まりを受けた。その際、一色は「かかってきた電話に出ただけなので自分は悪くない」と反則切符への署名を拒み、結局、署名しなかった。
 所属事務所は「助手席にいた一色の娘が着信した電話を取り、一色に渡したところを機動隊に見られた」と説明。さらに過去3年間で少なくとも10件の交通違反を犯し、累積減点で2度の免許停止処分を受けていることを認め、「本人も過去の違反を認めている。今は『二度と迷惑をかけないようにする。お騒がせしてすいませんでした』と深く反省しています」とコメントした。

引用元

 最近ジュリストかなにかで読んだ、刑事裁判についての裁判官の論文。

 本人の主観面というのは、他人が見て分からないから(神様じゃない限りね)どうするかというと、客観的な事実を積み重ねて推察するしかない、と。
 事実に対しての評価はそれぞれかもしれないけど、事実の存在は誰から見ても明らかだからね。

 過去三年間で(見つかってるだけで)十件の違反と回数も多い。内容もシートベルト着用義務違反や駐車禁止など、法を守ろうと思いさえすれば簡単に守れるような違反。何度も見つかって注意されているのにもかかわらず、違反である事実を認識していながら、それを敢えて破っているという事実からいうと、主観はかなり悪質だよね。

 これだけ大きい記事になって、事の重大さに気づいたのかもしれないけど、はっきりいって、この人は今まで反省していなかったと思う。

 これをきっかけに考えを改めて欲しいなと思う。


この手の記事を読んでいつも思うけど、「お騒がせしてすみませんでした」ってのは、何に対して謝罪の意を表しているんだろうね、違反の事実?世間?マスコミ?
あと「本人も過去の違反を認めている」ってコメントは失笑。本人が認めているかどうかってのは、悪いと思ってるってのとは別問題なんだよね。事実は事実で、本人が認めているかどうかとは無関係だし。