『僕はパパを殺すことに決めた』のその後

去年読んだ本で『僕はパパを殺すことに決めた』という本があります。
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自分は読んだあと

 供述調書は本来外に出ないもので、プライバシーの権利によって守られているはずのものです。
 それを「だが、この事件の大きな原因は、父親にある。その事実から目を背けてはならないと私は思った。だから本書に、父親の供述調書の全容を記すことに決めた。」(P059)と、わずか二行で記し、正当な手段を経ないで手に入れた情報源を基にし、それを出版してしまうところに、この著者のプライバシー感覚が如実にあわられていると感じました。
 著者の考えはある一つの考え方であって、明らかにジャーナリストとしての正常なバランス感覚を逸脱していると思います。

このような感想抱きました。

そして出版元である講談社の設けた第三者委員会が報告書を出しました。
報告書はコチラ(pdfファイルです)

まず、報告書を読んだ感想は、筆者の草薙厚子さんは、医者で少年の精神鑑定をし、事件の鑑定人となった崎濱盛三医師をだまして鑑定書や供述調書入手した、と取られても仕方ないな、ということである。
特に報告書12ページのくだりは生々しいし、端的に示すといやらしい。

崎濱鑑定人も「私は、いまでも供述調書を見せたことは公開していません。しかし、見せる相手を間違えたことは、後悔しています」(報告書24ページ)と語っている。

ここが問題の出発点だろうか。

次に内容に入ると、報告書は筆者を断罪するかのように「少年の「保護更正」や「人格の可塑性」に配慮した少年法の観点から、その内容や表現方法が検討された形跡は見当たらなかった。」(報告書16ページ)としている。

自分も読みましたが、少年の気持ちには全く配慮されていない構成でした。前半がほとんど供述調書(員面調書)の引用に終始しており、後半はほぼ鑑定書を引きなおしただけの記述。
一体何のために書かれたのか、単に興味本位で少年の家庭環境を暴露しただけの印象でした。

あと、講談社の学芸局局長が、秘密漏示罪についてまったく想定していなかったのもどうかな(報告書21ページ)、と思う。
理由として文藝春秋が神戸の連続児童殺傷事件で供述調書を掲載しても刑事事件にならなかったから、ということが記載されているけど、言論に携わる職業人、としてかなり甘い判断だと思う。

このことは、報告書にも「秘密漏示罪のことが頭から抜け落ちていたことが、われわれの、というか私の過ちの根本にあります」と示しています(報告書21ページ)。
特に、学芸局局長はよほどの問題でない限り、事前に読んで欲しいと言われることがないらしいが、本書はそのなかでも読んで欲しいといわれた稀なケースだったらしいけど(報告書21ページ)。
最後のブレーキとなる、編集者がとどまらなかったのは返す返すも残念ですね。

ちょっと男気を感じたのは、週刊現代の編集長。
この本のことを「文章を書いたのは警察官、書く理由は祖父にあずけ、じゃ、書き手は何者なんだということになりませんか」と話し(報告書23ページ)、宣伝(パブ)を頼まれたとき「読み終わったとたん、編集長は学芸図書出版部の部長に電話し、大声で怒鳴った。怒りまくった、という。うちではパブはやらない、この本は出すべきではない、この本には人権意識もないし、そもそもリーガル・マインドというものを考えていない」(報告書23ページ)と話したらしい。

加えて、報告書が大きく問題としていると感じていたのは「出版社、筆者が取材源を守りきれなかったこと」。
確かに調書自体は見ること、保有することが出来る人の数は少なくはありません、しかし、本に出来るくらいの量の調書を持っている人は限られています。
つまり「入手ルートを特定されることが容易であるという想像力が決定的に欠如していたと判断せざるをえない」(報告書32ページ)となり、この甘さが、先の医師の逮捕・起訴につながったのでしょう。

ひどいのは、筆者は、少年の祖父母が書いて欲しいといっている、というのを出版の理由の一つに挙げているにもかかわらず、当の証の年の祖父母(ちなにに取材に応じた唯一の遺族)が、「明確に本書の内容に異議を唱えている」(報告書37ページ)というもの。

ここまでくると、あきれるしかなく、一体筆者は何のために書いたのだろうと思わざるを得ない。

最後に公権力の介入については、介入したほうが悪い、というよりも、介入をさせる要素(自覚のなさ、意識の低さ)がイカンというまとめになってます(報告書44-45ページ)。

読売新聞社説は(引用元はこちら)

 著者は編集者らと調書を閲覧する際、〈1〉コピーしない〈2〉直接引用はしない〈3〉原稿を事前に見せる――という約束を鑑定医と交わした。だが、調書を写真撮影し、〈2〉、〈3〉も守らなかった。

 取材相手との約束を守ることは、ジャーナリストや編集者としての基本姿勢である。それを踏みにじった背信行為だ。

 報告書によると、著者はほぼ唯一の取材相手である長男の祖父から、「真実を知っているなら伝えてほしい」と言われたことを出版理由の一つに挙げている。

 だが、その祖父からも「こういう本を出すという説明は受けていない」と批判された。

 なぜ、こんな“お粗末”な取材の本が出版されたのか。著者や編集者に、「とにかく売れる本を出したい」という安易な姿勢があったのではないか。講談社は、社内に出版倫理委員会を設置するというが、猛省が必要だろう。

とはっきりと講談社が商業主義に走ったと断罪している。
ただ、報告書を読んだあとでは、少なくとも講談社は「売れる本」を出そうと躍起になっていた印象は薄い。
むしろ自分は、講談社は、製作過程で本の内容に熱くなりすぎ、行き過ぎてしまったのではないかなぁと感じている。

まとめとして、自分が取材を受ける立場になったら…頭の隅においておきたい事件でした。