メモが消えた

日頃パイロットのフリクションペンで
メモを取ったり書きものをしたりしているのですが
先日、車のダッシュボード(前のとこ)に
メモとメモを挟んだバインダーを置いておいたら
すっかりメモが消えていました…

仕事のメモだったので相当焦りましたが
光に当ててナナメから見ると
うっすら透けて見えたので
なんとか回復することができました。

本当に危うかったです…。

これに懲りて下記のように改善することにしました。

僕が感じているフリクションペンの醍醐味はなんといっても
書いているその場から消すことができる点であって
後日やっぱり消すということは割りと少ないので
その日のうちに必ずコピーを取るようにしました。

おしまい

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

というわけで、典型的な愚者であるわたくしめは
ガンガン経験に学んでいるわけです(意訳、失敗しまくり

特に自分は「後から考えれば気付くことが出来た」的な失敗が多いのです。
一つ失敗を重ねるごとに、「気を付けるリスト」の精度が上がっていくのですが
そうこうして精度を上げてるうちに、ゲームオーバーにならないか心配です。

とりあえず今日の出来事を書いておこう。

・タスク:土木事務所で建築確認概要書を取得する

・まずは登記記録で建物新築時期と地番を確認
・保存後に売買がなされてたので建築主は不明、コンピュータ化で他の情報も消えてる
・とはいえ閉鎖登記を取るほどではない…
・新築時期は建築基準法改正直後あたり
・新築時期から数か月さかのぼってそのあたりの目星をつけ台帳閲覧

該当なし

・ふ~む
・おそらく同時期に建設したと思われる隣接地の建物概要書は発見

むむむ

・というわけで結局見当たらず断念という結論

そののち発覚したのですが
土地の登記記録をじっくりと見ると
建築確認申請の数日後に分筆されていて
現在の地番と建築確認申請時点での地番が異なっていることが分かりました。
道理で現在の地番ではヒットしないわけだ…

ワンカラ

タイトルは、「カラオケまねきねこ」が運営するひとりカラオケ専門店の意
(あれ?「ヒトカラ」じゃないの?と思った人は仲間です。

仙台市内の繁華街である国分町を歩いていたら
ポケットティッシュをいただきました。

120725ワンカラポケットティッシュ仙台.JPG

普段なら広告を見ても特に何も感じないのですが
ちょっと珍しかったので写真を撮ってブログにアップ。

ウェブサイトを見ると、神田や高田馬場、池袋にお店があり
渋谷、新宿、仙台と店をオープンするようです(なぜ仙台?
(本社が群馬県の前橋にあるらしいけど・・・

料金体系を見るとちょっと強気すぎる気がするのですが
どうなんでしょうかね?(一時間800円前後
サイトの写真では結構狭そうな個室(約2㎡)で、しかもヘッドフォン装着の上
一人で歌え、とのご様子。全体的に圧迫感がありそうです。
またヘッドフォンの貸し出し代までご丁寧にとっているところを見ると
おそらく防音の関係で必須なのかしらと思います(というかスピーカーがない)。
これは周りから見たら切ない風景だこと。

さてヒトカラ上級者の僕としては、
「意外と、一人で歌い続けるのは大変」という点を
指摘しておきたいと思います。
歌わないでダラダラと本を読んでいることも結構あるし、
あと、割と広い部屋で自由に歌うのが楽しいのであって(異論あり)
歌うしかすることがない部屋というのは、苦痛だなぁ。

そもそもカラオケ点は人数と時間に合わせた従量制が多い気がするので
料金の面ではワンカラも差異を付けづらいのではないかと思います。

ともあれ会社の資金面は問題なさそうなので、今後全世界的に店舗展開を応援してます(棒読み

TO DO LISTをこなすだけの毎日

TO DO LISTをこなすだけの毎日を送っております。

これじゃいか~ん。

今週の徒然
先日『7つの習慣』のコーヴィー博士が亡くなられたそうです。
フランクリン・プランナーなる手帳ビジネスには賛否両論あるところですが
純粋に本の中身は素晴らしいものだと思っています。
博士の考え方に感銘を受け行動に移すことによって
(自分自身では)人生が変わったと実感している一個人としては残念な限りです。
これに乗じてスキナーさんには頑張ってほしいところです(皮肉

明日からまた一週間仙台出張です。
先週、半袖でエライ目に合った我が身としては
今週こそ半袖、と目論んでいるところですがはてさて。

おしまい

仕事とは人格の延長である

メモ
あとで書かなければよかったと思うかもしれないけど書いておく。
気持ちが変わればアップしよう。

仕事とは人格の延長である。

とはドラッカーの言葉です。

本当に身に沁みます。

弊社は6月決算なので最近は自分の仕事や周囲の人の仕事を
見なおす機会がすごく多いのだけれど
自分の仕事の雑さ加減に本当に情けなくなる。

先ほどのドラッカーの言葉には
前段があって

仕事を失うことが人を傷つけるのは、
金銭ではなく誇りのためである。

と理由づけています。

自分の仕事の定義が定まらないまま仕事をしているのは
それは仕事とは言えず作業であり
作業には誇りは(ほとんどの場合は)発生しないよなぁと
思い寂しくなる次第です。

同様にドラッカーの言葉で

自分の仕事を定義せよ

との教えがあります。

言葉自体は本当に短くて「まぁそうだよね」と
思わせるものではあるのですが
実際にやってみると本当に難しい。
この言葉と出会ってはや3年ほど経ちますが
毎月毎月自分の仕事の結果を振り返り
満足いく定義ができてことがありません。

「あぁ、自分は何にも考えていなかったんだなぁ」
「反射的に生きてきたんだなぁ」と
落ち込むこと必至です。

ちなみにいまそうです…。

念のため付け加えておくと
他人の仕事は気になるか?というところですが
実はあんまり気になっていません。
というのもこれ類のことは
「他人を変えようと思ってはいけない」こと
だと考えているからです。
本人はアドバイスのつもりでも他人には大きなお世話なので。

むしろ自分が変わって、それに影響されて
他人も変わるなら、それほど有難いことはありません。