『このミステリーがすごい!2024年版』宝島社

『このミステリーがすごい!2024年版』宝島社

毎年楽しみにしているムック本、それがいわゆる『このミステリーがすごい!』。ランキングが絶対的なものではないにせよ、その中から見事1位に輝いた米澤穂信の『可燃物』、3位に位置する東野圭吾の『あなたが誰かを殺した』、7位の小川哲の『君のクイズ』。これらの作品に触れ、書評を読むうちに、興奮が募り、私も読むことを決意しました。

ランキングのトップに立つ米澤穂信の『可燃物』は、早速購入済です。
そして、小川哲の『君のクイズ』は、特にクイズ好きのミステリーのファンにとっては絶対に読み進めたい作品です。『君のクイズ』がランキング7位に入るだけでなく、この本内での特別対談にはクイズノックの河村拓哉さんと小川哲さんが登場しており、背景読みの中にはたまらないです。対談の中で彼らの意外な共通点が浮かび上がり、作品の舞台裏に迫ることで、『君のクイズ』がより身近に感じられることでしょう。

この本を手にすると、単なるランキングだけでなく、各作品の魅力や奥深さに触れることができます。そして、中でも特別対談の存在は、読者にとって新たな視点を提供し、作品の裏側に迫る機会となるでしょう。ミステリーの世界に没入し、予測不可能なサスペンスや心理描写に挑戦したい方にとって、この一冊はまさにおすすめの宝物と言えるでしょう。

印象的なくだり
河村:
共感という点でいうと、サッカーの試合をテレビで観てもサッカーをやったことにはなりませんが、クイズ番組は観ながら一緒に問題を解けるのも大きいでしょう。
(P.126)。

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『ガチャガチャの経済学』小野尾勝彦著

『ガチャガチャの経済学』小野尾勝彦著

読後の感想
大人になっても物を合理的に持たない方針を持っている自分ですが、最近、身の回りで頻繁に見かけるガチャガチャには非常に興味を抱いています。かつては無関心で、あの「コップのフチ子さん」すら知らなかったほどでした。しかし、この本を読んで、自分が古い常識の中で生きていたことに気づかされました。

自分が知らない間にガチャガチャは進化し、かつての「キン肉マン消しゴム」の時代とはまったく異なる構造に変貌しています。今日のガチャガチャ業界は、企画からリリースまでの基本3ヶ月の短いサイクルで構築され、各ベンダーが独自の特色を打ち出しています。再販しないポリシーから生まれるレアアイテムは多く、高いコレクターズアイテムとしての価値があります。

市場の規模を見ると、カプセルトイ市場は約610億円という巨大な存在となっています。2002年から2020年までは200億円から400億円の範囲で推移していましたが、2021年から急激に成長し、2022年には約610億円に達しました。2022年の成長率は前年比35.6%という異例の数字です。ちなみにUFOキャッチャーなどのクレーンゲーム市場規模は2330億円で、ガチャガチャの4倍にも及ぶそうです。

驚くべきは、現在のガチャガチャの製作プロセスです。企画から製造、流通までメーカとオペレータ(代理店)が原価計算を徹底的に行い、高品質を確保しています。従来の軒先商売とは異なり、イオンモールなどの一等地に出店するビジネスモデルが確立されています。

一方で、何が出るか分からないサプライズ感や射幸心を煽る手法により、無意識にコインをどんどん投入してしまう様子も見受けられます。両替機が絶えず利用されている光景もあります。これらの事実から、ガチャガチャがまだまだ伸び代があるビジネスであることが示唆されます。新しいアイデアやユニークなコンセプトが続々と生まれ、業界は着実に成長しているようです。

ガチャガチャの基本構造は「メーカー」「オペレーター(代理店)」「販売店」の3つで、特に拡大している「ガチャガチャ専門店」は、オペレーターが販売店の機能も担う形態と言えます。在庫リスクはオペレーターが負担し、利益の分配はメーカーが50%(うち工場が20%)、オペレーターが30%から35%、販売店が20%から15%程度となっています。企画から製造までの所要時間が約3ヶ月が主流であり、新規参入を考えるならば、既に寡占状態にあるオペレーターは難しく、販売店の集客も一苦労と考えられます。まずはメーカーの企画側に参加することが有益でしょう。

ガチャガチャは従来、コインを使用する前提でしたが、現代においてはQRコードやSuicaなどを読み取れるマシンが登場しています。これにより、コインを使わずに利用でき、両替機が不要となるだけでなく、価格設定も柔軟に行えるようになりました。つまり100円単位に限られないということで、例えば、777円なんて値付けも可能ということです。

これらの情報を得て、ガチャガチャは単なる子供の遊びだけでなく、ビジネスとしても興味深い分野であることが明らかになりました。未知の世界に触れる喜びと、進化し続けるガチャガチャの魅力に引き込まれています。

印象的なくだり

ガチャガチャの発祥地はアメリカだった
そもそも現在のようなガチャガチャの歴史はどこから始まったかというと、今から140年以上前の1880年代にアメリカのニューヨークでチューインガムやキャンディ、鉛筆、香水などが無人販売機で販売されていたのがルーツだと言われています。設置場所は駅のプラットフォームやタバコ屋でした。当時はカプセルに入っておらず、むき出しの状態で入っていたようです。
1940年代に入ると、マシーンの中にガム以外にセルロイド製の小さな玩具を混ぜて売るようにしたところ、この玩具目当てにハンドルを回す子どもたちが増え、いつの間にか玩具だけが独立して売られるなりました。疲れて泣き叫ぶ子どもたちをなだめるのに便利ということで、「シャラップ・トイ」と呼ばれたそうです。これが現在も受け継がれる「何が出てくるかわからない」要素を備えたガチャガチャの原型です。その当時もカプセルに入っておらず裸のまま出てきたので不衛生でした。また、マシーンの故障が多くて大変だったようです。1940年代後半からカプセルの中に入れる現在の形になりました。この時代から第二次世界大戦を挟んだ1960年代まで、カプセルの中身の玩具をつくっていたのは、実は日本の会社でした。東京の葛飾区や墨田区にある町工場がつくったミニチュアトィをアメリカの会社へ輸出していたのです。日本でつくられた玩具がアメリカの子どもたちのコレクショントイになっていたわけです(P.031)。

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『清張鉄道1万3500キロ』赤塚隆二著

『清張鉄道1万3500キロ』赤塚隆二著
読後の感想
松本清張の作品には鉄道がよく登場するのは、有名な話である。それは松本清張が乗り鉄だったというわけではなく、時代背景と連載作品が影響しています。たとえば『点と線』が連載されていたのは日本交通社の『旅』という雑誌だったします。
つまり、読書と鉄道の愛好者なら、必然的に松本清張のファンになることでしょう。しかし、この本は単なるファンの域をさらに一歩進んで、全作品の中で登場人物がどの鉄道に乗ったか、そして誰が最初に乗ったかを調査し、それを鉄道地図にまとめた作品なのです。
このアイデア自体は同人誌の域を超えるものであり、それを実際に本として出版するまでのプロセスは前代未聞のものでした。資料の収集、作品への仕上げ、そして構成の難しさが結実した、まさに驚くべき一冊です。解説では酒井順子氏が「松本清張をこよなく愛する人のこと」を「シャーロキアン」をもじって「セイチョリアン」と呼んでいますが、私もその一人として、楽しく本を読むことができました。

本書には、例えば「何々線を最初に乗車したのは『何々』という作品の何某」といった表記が散りばめられています。これを理解するには、当然ながら作品を読んでいる必要があります。なぜなら、この本を手にするような読者は、ほとんどの作品を読んでいることが期待されるからです。もちろん、私もその一人です。

こうした独特のアプローチにより、読者は自ら選択する楽しみが生まれます。率直に言って、この本は面白い試みを実現した結果、素晴らしい作品に仕上がっています。最後の資料編は特に貴重であり、これを大切に扱いたいと感じています。
松本清張が愛した鉄道の世界をこのような視点から垣間見ることができるのは、まさにファンとしての特権です。赤塚隆二氏の『清張鉄道』は、文学と鉄道愛が交錯する独自のエッセンスを持ち、読者に深い感動を与えてくれることでしょう。
この本を手に取ることで、松本清張の作品に新たな解釈を加え、彼の鉄道愛がどれほど深いものであったかを垣間見ることができます。松本清張の世界観と鉄道の融合が、読者にとって興味津々な冒険へと誘ってくれます。

ちなみにこの本は、福岡県小倉市にある松本清張記念館を訪問した際に地下一階の図書室で初めて知りました。興奮のあまり、その記念館を出た瞬間にネットでポチってしまいました。

なお、いうまでもありませんがタイトルの『清張鉄道1万3500キロ』は、宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』のオマージュでしょう。

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『シン・中国人』

『シン・中国人』斎藤淳子

読後の感想
20年ほど前から一人で海外旅行に行ってフラフラしていると、外の空気を間近に感じます。その中で20年前と圧倒的に変わったのは中国の存在です。
中国以外に住んでいる中国人の生きていく力の凄さ、中国人観光客の強引さとお金持ちさ、そして何より中国本国に行った時の熱量は、圧倒されるものがありました。
この十数年で一番変わったのは間違いなく中国の存在です。
そんな中国を構成する中国人の考え方、行動の根拠になることが在中国の日本人ライターが実際にインタビューした内容を交えて記載したのが本書です。
文中での次の文章は、中国人の行動の根拠になることではないかと私が強く感じて共感した一文です。

強すぎる競争圧力
背景として考えられるのはまずは、強すぎる競争圧力だ。多くの中国の人は自分の道は自分で切り開いて成功させるという志を持っている。これは近年の中国の驚異的な発展を支えた活力でもある。
また、中国には「王侯将相、いずくんぞ種あらんや」というように、王侯や将軍・宰相なるのは、家柄や血統によらず、自分自身の才能や努力による、という実力主義の哲学とが根付いている。誰もがチャンスをつかんで実力勝負で全力でトップを狙う。徹底的に実力を問うメンタリティーがある。人のせいにして「どうせ私なんて」「誰も私の気持ちを分かってくれない」などと嘆き調で甘えることなく、自分のことは自分の実力次第で自分の責任でやり抜くと覚悟を決めている。これは中国の人が持つ成熟した大人の態度で、私が最も尊敬する中国らしさでもある。
その一方で、余りに短い時間に凝縮された社会の激変が「今すぐに成功しないといけない」という、不健康な焦りを生んでいるのも事実だ。「このチャンスに乗り遅れたら(永遠に)機会を逃す」と焦る感覚が昨今の中国では広く共有されている。また、気質的にも長期計画や安定、日頃の努力を好しとする日本と違い、中国は危険を冒してでも一攫千金のギャンブルを貴ぶ傾向が強い。実際、近年の余りに急速な発展とそこで生じている不均衡な富の分配を目にすれば、焦りはさらに拡大されるのも無理はないかもしれない(P.225)。

この点は同感で、旅先で一緒になった中国人たちの印象は「自分のことは自分の実力次第で自分の責任でやり抜くと覚悟を決めている」をみんな持っていました。
この部分が行き過ぎると、強引になる、焦りによって危険を冒すにつながるのでしょう。
良くも悪くも中国人気質を言い当てている文章に感じました。

また、自分のような日本人からすると「中国人」とひとくくりにしてしまっていますが、中国人の中でも「都市部に住む人」と「農村に住む人」で格差があります。それは日本のような同質性の中の見えない格差ではなく、明確に、純然たる目に見える格差です。

北京戸籍の重み―大学受験のために田舎に帰るか、外国に行くか?
この父親の「せっかくの戸籍と家のある幹部の娘を振るなんて」という嘆きは、正直、外国人には少々生々しく聞こえるが、北京の多くの人はそれほど驚かないだろう。この世代の親の間では、ある意味で標準的な言い方だからだ。結婚の話題で登場する名詞は極めて「中国の特色ある」言葉だ。そして、その代表格が戸籍だ。北京や上海などの大都市の「戸籍」は地方出身者にとって、大都市での正規住民としての権利を意味する。国際的にたとえるなら先進国の永住権に近い貴重な存在だ。
後述するEさんも「みんな北京戸籍の人を探す。それは教育、医療、就業面、いずれも社会資源は北京や上海などに集中しているから」という。まず、教育資源だが、中国のトップ名門大学の約4分の1以上が北京に集中している。そして、北京にある大学に一番入りやすいのが北京戸籍を保有する地元の受験生だ。「北京に戸籍を持っているだけで、大学受験の半分は成功したも同然」という言い方がある。これは一体どういうことなのか?中国の結婚に未だに大きな影を落とす戸籍。ここで、戸籍と大学受験制度の関係を見てみよう。中国の戸籍と教育システムは以下のような縛りがある。北京市にはどんなに長く住んでいようとも、少なくとも両親のどちらか一方が北京戸籍を持っていない場合は、外省出身者(=外省戸籍)の子どもと見なされ、北京での高校進学も、北京市枠からの統一大学入試の受験もできない。大学受験のテストは各直轄市・省単位で実施され、出題傾向と合格基準が異なる。つまり、同じ北京大学を志望しての受験でも、どの地域から受験するかによってテスト内容も合格点も変わるのだ(P.036)。

農村発展と格差について少しみてみてみよう。中国で相対的に貧しいと言われる内陸部も以前と比べると確実に底上げはされており、発展は目覚ましい。しかし、比較の対象の「以前」に当たる起点は「(飢えずに)どうにか食べていける」という状況で極度に低い。つまり、非常に低いスタート地点との比較で近年は大いに改善されている。一方、沿海部での成長スピードは非常に速いので、内陸部の伸びは沿海部に追い付かない。その結果、内陸と沿海部の格差は開き続けている。
ただ、この点は、同じ「格差の拡大」でも、日本のように中流以下の収入が従来比で悪化する中、ハイエンドの収入だけが上に伸び、上下双方向に開く形とは質的に違う。つまり、中国の農村の人たちから見ると、親の代など昔と比べればずっと良くなった一方で、都市部などで急にリッチになった別の人たちと比べると自分たちは差を開けられている、というのが実感だろう。
「経済成長している間は、社会に不公平感や格差はあってもある程度は許容できます。ただそれは成長が持続することが前提であり、成長が止まった時にパイの奪い合いが始まります」と厳善平・同志社大学院教授が指摘しているように、これまでは自分の足元では右肩上がりだったため、都市部との比較では悪化する格差の矛盾が許容されてきた観が強い。問題はそれが止まった時だろう(P.141)。

不動産界隈のXを見ていると、中国人富裕層が現金一括で不動産をバンバン買っていることがあると書かれています。
中国人富裕層の不動産購入熱は凄まじく、その影響を少なからず受けて日本の不動産価格が高騰している一因となっているのではないかと言われています。
自分の知識では、中国の一応の建前は「土地は個人所有ではなく、土地を使う権利を買う」みたいな形での理解でしたが、現在の中国の不動産事情はさらに複雑化しているようです。
ニュース報道では、恒大集団(エバーグランデ)での破綻など、そろそろ中国の不動産バブルが終焉を迎えそうな感じですが、そもそも中国人の土地に対する感覚がわかる文章でした。
3つ目で引用している、娘の母親が不動産を求めるというのは、日本でも地方出身者なら感覚的にわかるように思います(流石に結納時には早すぎますが)

億ションも当たり前、世界一高い中国の不動産
農村部では結納金が高騰する一方で、都市部では住宅価格が高騰している。中国の不動産価格は統計のとれる1991年以降、リーマンショックなどの例外を除き、ずっと右肩上がりで上昇を続けている。理論上は「全ての土地は公有」と位置づけられている中国では、土地の売買は「所有権」ではなく、40年、70年など一定年数の「使用権」の売買という理論で説明される。つまり、実質的には公有ゆえにタダで得られる土地を地方政府は第三者のデベロッパーに売買し、そこで生じる莫大な収入は自分の財布(財政収入)に入れる。地方政府が安い補償金と引き換えに住民を立ち退かせて土地を開発し、デベロッパーに売却すればその収益は政府のものとなるのだから、地方政府にとって土地開発は文字通り魔法の金のなる木だ。中国で住宅開発ブームがなかなか終わらない理由の一つに、本来、経済運営の審判であるべき政府が、土地開発においては最も儲かる主力プレーヤーでもあり、一人二役を担っている点がある。資本家、不動産開発業者(デベロッパー)、金融機関と並んで地方政府は住宅価格の上昇により利益を享受する側にいる。不動産価格の高騰は一種の官製バブルの側面があると言われる所以だ。
2010年代後半は、全国の地方政府収入の総額に対して土地からの収入は2割強~3割弱で推移しており、土地財政への依存度は高い。土地財政への過度の依存は地方財政の自立や持続可能性の観点からもリスクが高いと指摘されて久しいが、2016年以降急速な勢いで依存が再拡大し、解決は先延ばしにされたまま今日に至っている。その結果、先述した通り、中国の不動産の高騰ぶりは驚異的なレベルに至っている。先進国の住宅は年収の約10倍、東京は約15倍弱で買えるのに対し、中国の住宅は全国平均でさえ約20倍以上、北京市や深圳市など大都市においては4倍以上になる。概算でも年収比で計算すると、東京の2倍以上の高さになっている(P.157)。

「新婦の母親たちの画一的な需要が不動産価格をつり上げている」(顧雲昌<グー・ユンチャン>・中国不動産研究会副会長)とは2010年ごろに有名になった表現だ。今でも「新婦の母は不動産価格高騰の元凶」というのは中国の人なら誰もが知るフレーズだ。結婚に住宅所有の条件を持ち込んだのは嫁の親たちと不動産会社であると中国では広く言われているが、筆者もその見方に賛成だ。なぜなら、婿が家を準備するというルールは彼らにとって好都合だったからだ。先の項教授と許氏の会話を引用しよう。
項:「(不動産業界が故意にやったとは信じられないが)『剰女(売れ残り女子を意味する)』ということばを発明した最大の勝者は不動産企業だ。結婚しない余った女に大きな恐怖を生み、みんなに早く結婚するよう迫り、結婚の最重要事項は住宅購入とした。いわゆる新婦の母は不動産購入の最大の推進者、ってやつさ」
許:「(そうそう)ある意味、賤民(「身分の最下層」の意)の概念を作り出した。その賤民になりたくなかったら、結婚して早く家を買えと言ってね」
項:「ここでの敗者は誰か?・・・・・・・精神的には全ての人が敗者だ。恥をかかされたような感じだ。道徳的には親に申し訳ないし、社会の価値に照らし合わせると恥ずかしい、と」「こうしてくると、全ての人の生活に対する理解は高度に均一化され、このことばの影響力の前で非常に危易になった」(P.170)。

中国人のプライバシーに関する感覚は、日本人の自分にはどうも理解できないところがあると感じていました。例えば、検索ワードに関する検閲、公共の場の監視カメラなどの設置などです。
しかし、この「プライバシー」についての感覚は、日本人の自分と中国人の持っている感覚とそもそも異なることがよく分かりました。
それにしても「プライバシー」を「隠私」と訳したのはすごいな。後ろめたさを感じさせる翻訳です。

ギャップを感じるのが、中国の地元病院でのプライバシーの無さだろう。読者の予想に違わず中国の地元病院には色々な「驚き」がある。診察室のドアに最近は「患者のプライバシーを守れ、一医者一患者!」というかねてから筆者が心の中で叫んでいたモットーが貼られるようになった。つまり、これまでは医師と一対一で診察中でも、どんどんほかの患者が押し入ってきて皆で一緒に医者の診断を見たり、聞いてしまったりする「集団診察室化」が当たり前に起きていた。ところが最近は、それはさすがに良くない、と感じる人が増えたため、「一医者一患者」というモットーがドアに貼られるようになったのだ。
また、日本人の友人が北京のトップクラスの大病院の先生から乳がんの判明と手術の必要性を伝えられたのも他の患者がたむろしている病院の廊下だったという。さらに、小学校や中学校の保護者会で回ってくる家庭調査票には両親の年齢、学歴、勤務先や職位をその場で書き入れてページを開いたまま保護者たちで回覧・加筆するのがこちら風だ。全て開けっ広げである。こうした感覚の違いの背景には、英語の「パブリック」と反対を成す「不可侵に守られるべき個人的領域=プライベート」という意識が中国にはまだ根付いていないことがある。中国語のプライバシーは「隠私」と書き、「(恥ずかしいから)隠したい私ごと」といううしろめたさが伴う。このことばはパスワードの項で後述するように、「恥ずかしいことをしていない人は気にすべきではない」という「中国の特色ある」論理とともに定着している。
例えば、こんな感じだ。近年の中国の街では安全対策の旗の下、公道はもちろんのこと、レストランやマンションの敷地内から中国版Uberやタクシーの車内に至るあらゆる所で政府と共有されているカメラやマイクが作動している。常にカメラやマイクに囲まれる街で私は窒息感で倒れそうになるが、周囲の中国の人たちは涼しい顔だ。気にならないか聞いてみたが、「別に見聞きされて困ることはないから」「監視対象は悪い人。わたしには関係ない」という。一事が万事こんな感じで、「プライバシーを気にするのは悪いことをしているから」と言わんばかりだ。こうした中国のプライバシー感覚の特異さは、ビッグデータがものをいうデジタル産業の発展にとって、他国は真似できない「極めて有利な」条件を提供している。このような実情もあり、一部では、人のプライバシーを無視して他人の携帯を覗くのも悪びれない空気がある(P.129)。

印象的なくだり

危機感を持った国は2021年1月、離婚手続きに「30日の冷却期間」を設けるクーリングオフ制度を導入し、離婚抑制に乗り出した。また、出産に関しては16年末に夫婦1組の子どもを1人に制限する一人っ子政策を事実上廃止し第2児を、21年には第3児も認め、出産奨励策に舵を切り始めた(P.010)。

金正日の死去を見る目
北朝鮮の状態を中国の人がどう見ているかが漏れてきたのが2011年12月の金正日の死去の際だった。胡錦濤(フー・ジンタオ)政権期にあたる当時の中国のネット空間は中国版フェイスブックに当たる「微博(Weibo)」を2億人が使っていた微博全盛期。ウェイボーでの言論は今とは比較できない自由度を謳歌していた。
中国外交部が「金正日同志は中国人民の親密な友人で、中国の党、政府、人民は金正日同志の逝去を深く悲しみ、中国人民は永遠に彼を思いしのぶだろう」と弔意を公表すると、微博ではこの弔意を引用した上で「(中国人民から)僕は除いてくれ」と書いた投稿が大量に出回った。こんな感じで、市民の反応は総じて冷ややかだった。そして、その中には30年前の毛沢東の死去の際と重ね合わせた見方もあった。「今日の北朝鮮は30年前、毛が死去した76年とだいたい同じだ。人々は膝まずいて号泣する。彼らの内心はむしろ恐怖に違いない」「かつての中国、今の北朝鮮では一体何の力が民衆をこんなにも忠誠心と激情に掻き立てるのか?民衆はこんなにも愚かではないはずだ!」とその当時の自分たちを思い出し、北朝鮮で泣きわめく民衆を目の前にして、複雑な嫌悪感を吐露する人もいた。今の結婚適齢期の子どもを持つ親には、北朝鮮を見て他人事とは思えない、そんな時代を生きてきた人たちが少なくない(P.030)。

民法典で離婚にクーリングオフを導入
さらに、すでに述べたところだが、中国の離婚率(人口千対)は3.36(2019年、2021年は3.1)日本(2020年、1.57)の倍に急増している。2000年は0.96だったので、20年で3倍に増加した計算だ。中国での高い婚率の背景にはいくつか理由がある。一つはまず、女性の社会進出が進んでいることがあるだろう。2年の女性就業率は1990年(73%)と比較すると減っているものの、依然62%で世銀2022、6月)、日本の53%(2019年、厚生労働省)より高い。
中国の女性は経済的に圧倒的に自立しているので、不和になった際に我慢せずにすぐに離婚に至りやすい。また、気質の影響もあるかもしれない。中国の形容して、「閃婚-シャンフン-気に熱くなり、一気に結婚し、すぐ離婚する」と滞在歴の長い日本人の大学教授は指摘する。瞬時にする電撃結婚のこと」と中国語で呼ぶが、元より恋愛経験が少ないので、一気に熱くなって結婚するものの、上手くいかずにすぐに破綻してしまうケースが多いようだ。
もう一つ中国独特の極めて社会経済的な離婚要因がある。不動産購入のための偽装離婚が多いのだ(P.058)。

共働きが多い中国では、その分を塾講師に託す家も多く、塾産業は学歴社会の圧力下で急速に発展していた。こうした背景の下で政府が立ち上がったのが、この宿題負担の軽減と校外教育の削減という二つのタスクだ。
2021年夏に出された同政策により、小中学校の学習塾は一斉に閉鎖された。つまり、数千億元(日本円で数兆円)規模の教育産業と1000万人とも2000万人ともいわれる塾産業関係者の雇用が一夜で消えたのだ。これは読者も記憶に新しいだろう。
産業をまるごと禁止してしまうというあまりの乱暴さに耳を疑い、驚いた一方で、筆者も複雑な思いはあった。なぜなら、確かに、北京で地元の学習塾を見ていると、中国の塾サービスの高級化は加熱する一方だったからだ。中国の消費レベルは「はじめに」でも触れた通り、住宅に至っては東京の2倍以上など、様々な領域で急速に値上がりしているが、子どもの塾費用も同様で、日本以上に高騰していた。日本の塾費用も決して安くはなく、一般家庭の家計にとって負担になっているはずだが、中国の塾と比較すると「良心的」とさえ思えてくるくらい、北京の塾費用は阿漕な商売で、高騰していた。そこには明らかに「お金があれば、良い先生に指導してもらえて楽に高い点が取れる」という公式が成り立っていた。金が物を言うという不公平感は子どもも感じ取っていたはずだ(P.071)。

人気の書き込み「図書館(の停電)30秒」精神的不倫
Z世代の男性に中国の最近の若者の愛に関する話題のストーリーとして教えてもらったのが「図書館(の停電)30秒」だ。これは、「8年付き合った彼は、私が目をつぶって誕生日のろうそくに願い事をしていた30秒間に、停電中の図書館にいた他の女性とスマホで連絡を取っていた」という乙女の心を綴ったネットへの書き込みだ。中国最大Q&Aサービスの「知乎(quora)」の「いいね」は4万回、コメント数は5万5000件、中国最大動画投稿サイトの中国版TikTok「抖音(Douyin)」の人気の話題累計放映数は1億回に上り、注目を集めた。この書き込みは、元々は2019年年末「知乎」の掲示板の「彼・彼女の携帯電話でどんな秘密を見つけたことがある?」というスレッドに書き込まれたものだが、2年以上たった今もまだ、広く回覧されている。周囲の20代30代に聞いたところ約半分の人がこのネタを知っていた。
書き込みの概要はこうだ。作者の20代女性は高校時代から8年間付き合い結婚を想定していた彼がいた。ある晩、彼が眠った後に彼のスマホに届いたメッセージを覗いてしまい、そこから彼と彼の在籍する大学院の同級生の女性が過去1年にわたりメッセージを送り合っていたことを知る。その後、彼は作者とその家族に平謝りに謝るが、傷ついた作者は交際を断り、別れたという。
この書き込みのクライマックスは右に引用した続きの部分で、自分の誕生日の彼のスマホの交信記録からその時を振り返り「あの時彼が考えていたのはこれからも毎年私の誕生日に付き添って一緒に祝おうということ?それとも、図書館の停電を怖がるもう一人の女性のこと?」と感傷的に綴った部分だ。
中国の大手雑誌『Vista看天下』(2022年2月16日)の記事はこの部分について「元々誠実で純粋だった愛が壊れ、求めても得られない心の痛みが驚くべき感染力をもって、非常に多くの人の共感を誘った」とドラマチックに語る。ネットの書き込みも多くがこれに準ずるもので「作者の痛みがよく分かる」「なぜ、愛はこうも、うつろなのか?」とともに嘆き、「こんな男性とは別れて正解だ」と憤慨するものが多い。一方で、「彼も反省しているならそれほど、気にしなくても良いのではないか?」という落ち着いた意見も見られた。
30代の会社を経営する独身女性に筆者が感想を聞いたところ、彼女は「この作者がきっぱり別れたのは正解だ。彼はこういうことをしている時、作者のことが見えていない。相手を十分に尊重していないのが浮気の根本的原因だ」と手厳しい。また、別の30代の独身男性は「付き合っている人が自分以外に心の拠り所を持っていたら自分も怒るだろう」と同じく作者に理解を示す。一方、40代で現在、奥さんと別居中の男性は「(作者が傷つい気持ちはよく分かるが、いかにも幼い女子らしい。もっと長く生きていれば似たようなことは起こるものだと分かるのではないか」と達観している。筆者も最後の意見に頷いてしまったが、この程度の未婚の男女の恋のでこぼこを書いた美文がこれほど広い反響を呼んだという事実が、今の中国の独身者周辺の雰囲気をよく表しているように思う(P.122)。

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『無理ゲー社会』橘玲

読後の感想
サブタイトルが「才能ある者にとってユートピア、それ以外にとってはディストピア」とかなり刺激的ですが、まさにその通りだと感じました。
本書の趣旨としては、「知能と努力」による平等な競争の結果として、その競争に負けたものは自己責任以外の何者でもない(という建前になっている)。その結果、人生の攻略難易度(成功するかどうか)が爆上がりし、成功者以外は非常に辛い人生を歩むことになっているというものでした。

身分制社会では、生まれたときの身分によって職業や結婚相手など、その後の人生が決まってしまう。これはきわめて理不尽だが、それで不幸になったとしても個人の責任が問われることはない(「生まれ」が悪かったのだ)。ところが「誰もが自分らしく生きられる社会」では、もはや身分のせいにすることはできず、成功も失敗もすべて自己責任になる。
これが「メリトクラシー」だ(P.046)。

才能の貴族制度
「リベラル」な社会では、身分や階級だけでなく、人種・民族・国籍・性別・年齢・性的指向など、本人が選択できない属性による選別は「差別」と見なされる。しかしそれでも、入学や採用、昇進や昇給にあたって志望者を区別(選別)しなければ組織は機能しなくなってしまう。
この難問を解決するには、「属性」でないで評価する以外にない。が「学歴・資格・経験(実績)」で、これらは本人の努力によって向上できるとされた。入学試験の成績が悪いのは本人が努力しなかったからで、一流企業に入社できないのは学歴が低いからだが、これも本人の「自由な選択」の結果なのだ。
これは逆にいうと、本人が努力すれば成績=知能はいくらでも向上していくということになる。これが「教育神話」で、知能と努力をセットにした「メリット」による評価こそが公正な社会をつくるのだ。その後これは「リベラル」の信念になっていく。
しかしヤングは、これがたんなるきれいごとだということに気づいていた。「全く当然のことながら、有能な父親が有能な子供をもつことは事実」であり、この流れは「知能指数の高いもの同士の結婚が広く行なわれるようになる」ことでさらに加速すると書いているように、高学歴の男女の同類婚によって高い知能が子どもに遺伝することもはっきりと認識していた。
メリトクラシーのディストピア
行動遺伝学が半世紀にわたって積み上げた頑健な知見では、知能の遺伝率は年齢とともに上がり、思春期を終える頃には70%超にまで達する。この科学的事実(ファクト)を認めることを現代のリベラルな知識人は一貫して拒絶しているが、1950年代は知能が遺伝することは当然の前提とされていたのだ(P.081)。

誰もが「知能」と「努力」によって、平等に自分らしく生きていけることによって、その結果はすべて自己責任として跳ね返ってくる。その結果、「知能が高い上級国民」と「知能が低い下級国民」に分断される、みたいな記述ははっきり言って書きにくいタブーに近いと思います。
しかしながら、実際に分断していることも(実感としては)事実であり、よく書いたなぁと、勇気ある記載でした。

「絶望死」というパンデミック
世界じゅうで平均寿命が延びているのに、アメリカの白人労働者階級(ホワイトワーキングクラス)だけは平均寿命が短くなっている。この奇妙な事実を発見した経済学者のアン・ケースとアンガス・ディートンは、その原因がドラッグ、アルコール、自殺だとして、2015年の論文でこれを「絶望死(Deaths of Despair)」と名づけた。その翌年にドナルド・トランプが白人労働者階級の熱狂的な支持を受けて大統領に当選したことで、この論文は大きな注目を集めた。
「絶望死」とは、「死ぬまで酒を飲み続けたり、薬物を過剰摂取したり、銃で自分の頭を撃ち抜いたり、首を吊ったりしている」ことだ。2人はその後、膨大な統計データを渉猟し、アメリカ社会で起きている「絶望死」の実態を詳細に描き出した(P.129)。

そして、その分断の結果、何が待っているかというと「絶望死」もしくは「自殺する権利」の主張です。要するに、才能がない者にとってはこの世はディストピアなのだから早く終わらせたいという主張なのです。
この考え自体がディストピア的な発想だなぁと悲しくなります。

デジタル通貨を使った「負の所得税」
生活保護など従来の福祉制度は、誰が正当な受給対象者なのかの選別が困難で、申請者の収入・資産だけでなく親族の扶養能力まで調べる「ミーンズテスト(資力調査)」が不可欠とされている。これが生活困窮者に申請をためらわせ、多くの悲劇を引き起こしてきたとして、「無条件一律給付」のUBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)に人気が集まった。だが、マイナンバーによって行政がリアルタイムに銀行口座の入出金を把握できれば、一定以下の所得を対象に納税額のマイナス分を自動的に現金給付することが可能になる。
代表的なリバタリアン(新自由主義)の経済学者であるミルトン・フリードマンは、政府の介入をことごとく否定したが、ほぼ唯一の例外が「負の所得税」だ。この提案では、税金はかからないが給付も受け取れない「基準所得」を(例えば)年収300万円とし、負の所得税率を50%とすると、年収200万円だったひとはマイナス100万円の半分、50万円の給付を受ける。所得がゼロだったひとは、負の課税所得が300万円になるので、その半分の150万円が支給される。
負の所得税の特徴は、UBIとちがって就労意欲をなくさないことだ。年収300万円以下なら、すこしでも働けば収入の全額が自分のものになる(負の所得税の給付は減る)。
基準所得を超えれば当初は低率の所得税がかかるが、それでも仕事をすればその分だけゆたかになれる。なによりも生活保護とちがって、負の所得税の申告は「労働者」として認められることになる。
負の所得税はミーンズテストが不要な効率的な福祉政策として経済学者の人気が高く、アメリカ(勤労所得税額控除 EITC)のほか、イギリス、フランス、オランダ、スウェーデン、カナダ、ニュージーランド、韓国など10カ国以上で部分的に導入されている(P.250)。

本書に触れられていた「負の所得税」という考えは非常に参考になりました。ベーシックインカムを実施すると勤労意欲が減少するという副作用は多く知られていましたが、この負の所得税という考えは、副作用を抑えつつ、低所得者層への実質的な減税です。

印象的なくだり

わたしたちは「ばらばら」になっていく
19世紀末のドイツに生まれた精神科医のフレデリック・パールズは、精神分析学を学んだもののフロイトと訣別し、過去ではない現在(いまここ)を重視するゲシュタルト心理学を創始した。第二次世界大戦を機にアメリカに渡ったパールズは、精力的にゲシュタルト療法のワークショップを行ない、東部や西海岸のエリートを中心に熱烈な信奉者を獲得した。これがのちの「自己啓発」ブームへとつながっていく。パールズは自身のワップで、「ゲシュタルトの祈り」という詩を読み上げた。
わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
わたしはわたし。
あなたはあなた。
もし縁があって、わたしたちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれば、それも仕方のないことだ。
この“祈り”には「リベラル」の価値観が凝縮されている。わたしが自由に生き、あなたも自由に生きるのなら、2人の人生はつかの間交錯するかもしれないが、いずれは離れていくだろう。自由な人生のなかでそれぞれが選択したことの結果は、一人ひとりが受け止めるほかはない。誰もが「自分らしく」生きる社会では、社会のつながりは弱くなり、わたしたちは「ばらばら」になっていくのだ。
ここからわかるのは、「自由」と「責任」がコインの裏表の関係にあることだ(P.031)。

政治(友情)空間が縮小すればその外側にある貨幣空間が拡大するはずだ。子どもの面倒をみてもらうことからペットの世話まで、これまで共同体の濃密なつながりに依存していたことを、わたしたちはどんどん貨幣経済で代替するようになった。「濃いつき合い」は大きな心理的コストをともなうので、それを金銭的コストで済ませようとするのだ。
産業構造のサービス化によって友情空間が貨幣空間にアウトソースされ、それによって愛情空間が肥大化すれば、友情はいずれ不要なものになってしまうだろう。いわば「友だちの消滅」だ。
ビルの屋上などにフットサルコートを整備しているところが増えてきた。このスポーツを楽しむには、(ゴールキーパーを含めて)各チーム最低3人、最大5人(それ以上は交代要員)のメンバーが必要になる。私は単純に、若者たちがフットサルのチームをつくって対戦するのだと思っていた。しかし最近では、決まったチームを持たずに時間があると近くのフットサルコートに行き、人数が足りなかったり、競技者が抜けたコートに入ってプレイするのだという。私にこのことを教えてくれた若者は、「いちばん嫌われるのは友だちとつるんでやってくることで、そういう奴らにはパスを回さない」といった。ゲームが終わると互いにハイタッチして解散で、相手の年齢や仕事はもちろん名前すら知らない。見知らぬ者同士がたまたま同じコートでフットサルをプレイするのがいちばん楽でいいというのだが、これはまさにパールズの「ゲシュタルトの祈り」そのものだ(P.042)。

「自分さがし」という新たな世界宗教
チャールズ・ライク
ライクは1928年、ニューヨークのリベラルな医師の家に生まれ、法律の道に進んでイェール大学ロースクールで、最優秀の学生に与えられる栄誉であるロー・ジャーナル(法律時報)の編集長に就任した。卒業後は連邦最高裁判所のヒューゴ・ブラック次席判事のロークラーク(調査官)に採用されたが、これも最優秀の法律家の卵である証だった。
(中略)
この華やかな経歴からわかるように、ライクは当時のアメリカ社会の超エリートであり、まぎれもない「特権層」だった。青年時代のライクは、「幸福とは義務をはたしたことへの報酬」だと素直に信じていた。社会が自分に求めていることを立派にやりとげれば、社会は約束を果たすに決まっているから、幸福を受け取ることができるはずだと思っていたのだ。
この信念が揺らいだのは、政府や司法の世界を支配していた“ザ・クラブ”と呼ばれるエリート・グループの価値観に合わせるのが苦痛になったからだ。アイビーリーグのロースクールを出た白人男性の法律家で構成されるこの集団では、タフ・マインド(強腰)とハード・ノーズド(鼻っ柱の強さ)が至上の価値で、猛烈な競争心でライバルを叩きのめすことが最高の栄誉とされた。理想家肌のライクにとっては、これらはバカバカしいものとしか思えなかった(P.054)。

平等な世界をもたらす四騎士
アメリカの歴史学者ウォルター・シャイデルは、古代中国やローマ帝国までさかのぼり、人類の歴史には平和が続くと不平等が拡大する一貫した傾向があることを見出した。ではなにが「平等な世界」をもたらすのかというと、それは「戦争」「革命」「(統治の)崩壊」「疫病」の四騎士だ。二度の世界大戦やロシア革命、中国の文化大革命、黒死病(ペスト)の蔓延のような「とてつもなくヒドいこと」が起きると、それまでの統治構造が崩壊し、権力者や富裕層は富を失って社会はリセットされ、「平等」が実現するのだ。 このように考えれば、戦前までは格差社会だった日本が戦後になって突如「1億総中流」になった理由がわかる。ひとびとが懐かしむ昭和30年代の「平等な日本」は、敗戦によって300万人が死に、二度の原爆投下や空襲で国土が焼け野原になり、アメリカ軍(GHQ)によって占領されて、戦前の身分制的な社会制度が破壊された「恩恵」だったのだ(P.204)。

合理的な選択に誘導する「ナッジ」
古来、自分の手でユートピアをつくろうとした者は多いが、ナチスのホロコースト、収容所国家と化したソ連、数千万人の餓死者を生んだ毛沢東の大躍進政策などを挙げるまでもなく、その結果は悲惨きわまりないものばかりだ。ベーシックインカムやMMT、超富裕税など、左派ポピュリズムの理想論がどことなく胡散臭いのは、過去のユートピア思想共通する”におい”がするからだろう。
それに対していま、まったく新しい種類のユートピア思想が台頭しつつある。脳科学や進化心理学の発展、コンピュータをはじめとするテクノロジーの爆発的な進歩によって、人間の不合理性を前提にしたうえで、それにもかかわらず「デザイン」することが可能になってきたのだ。
ナッジ(nudge)は「そっと肘で突く」ことで、「それとなく誘導する」という意味に使われるようになった。行動経済学者のリチャード・セイラーと法学者のキャス・サンスティーンは、自由な選択の機会を残したまま、よりよい選択をする傾向を高めるような工夫を「リバタリアン・パターナリズム(自由主義者のおせっかい)」と名づけて、いまでは欧米を中心に経済・社会政策に大きな影響を与えるまでになっている。
ナッジの例としては、カフェテリア形式の学校の食堂がよく挙げられる。フライドポテトのような高カロリーで栄養価の低い料理と、サラダのような低カロリーで栄養バランスのよい料理があった場合、フライドポテトを禁止してサラダを食べさせれば健康は改善するだろうが、これでは生徒の自由な選択を奪っている。それに対して、サラダを手に取りやすいところに、フライドポテトを取りにくいところに置けば、生徒たちはこの「デザイン」によって、(無意識に)健康にいい料理をたくさん食べるようになるだろう(P.253)。

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