『DX戦記』中西聖

『DX戦記』中西聖

読後の感想
著者は、不動産の企画開発や販売をしているプロパティーエージェント株式会社の代表取締役の方。
というわけで、「不動産に関するDXの今」が読める、と思って楽しみにしていたのですが、少し拍子抜けしてしまいました。
基本的な内容は、紙だらけの不動産業界にて抵抗勢力と戦いながらもDXを推進してきた、というものだったのですが、期待していた「不動産だからこそ」の部分にフォーカスした記述は少なかったように思います。

しかし、その中でも顔認証に関する技術の部分は、応用できる範囲も広そうで非常に将来性を感じました。
具体的には本書の中で

AIの技術が進化し、顔認証が世界的に普及し始めている。その顔認証を設備として導入しつつ、顔認証データをIDとして登録し、クラウドで管理することによりエントランス、エレベーター、メールボックス、宅配ボックス、玄関ドアなどを文字どおり顔パスで使えるようにする。発想に至った2019年の段階では日本ではほとんど普及しておらず、雰囲気的に普及するかどうか分からない状態が逆にチャンスに思えて賭けてみることにした(P.192)。

と触れられており、非常に将来への展望がひらけていると感じました。

なお。記述の多くは、スタートアップ部門の苦労話といった感じです。
例えば、

変化が起き始めたのは、ミーティングを始めてから3ヵ月ほど経った頃だった。変化というのは、よくない変化だ。
当初こそメンバー全員が理想を語っていたが、回数を重ねるごとに熱が冷めていく。
「あんなことができたらいい」「こんなことをやってみたい」といった願望を出し合うだけのミーティングに、僕を含む全員が飽きてきていた。
こうなるのは至極当たり前のことで、ミーティングの議論が盛り上がっても、現実にはなんの変化も起きない。仮の工程表は作ってみるのだが、全体像が定まらないためいつ着手するかは決まらない。着手するかどうかも定かではない。その結果、ミーティングをする意義や価値を疑い始めるようになった(P.042)。

などは、スタートアップあるあるみたいな。

一方、DXというまだ海のものとも山のものとも分からないものに対する評価は流石で、

「社長は費用対効果を重視しますが、世の中を見渡してもDX案件ごとの効果を明確に示せる人はほとんどいないでしょう。DXは大局的に見ればまだ黎明期で、どの会社もトライアル&エラーで能力を磨いている状態です。効果が出る自信が半分くらいあるなら、やってみる価値があると思います」(P.133)。

との言い回しは、私も新しいことをやろうとする時の説得材料に使おうと思いました笑

それから、人の部分については為になる記載が多くありました。

DXに必要なのはITが分かる人ではなく、システムに詳しい人でもない。DXを推進できるコンピテンシーをもっている人だ。自分たちが求める人材像をイメージして、人材市場を掘り続ければ、いずれ良い人材が現れる。採用を焦り、コンピテンシーの面で妥協して進めていたら僕たちのDXは中途半端な取り組みで終わっていただろうと思う(P.076)。

最後の一文も、人についての記載です。
さらに心に刺さりました。

データ化、クラウド化、新たなツールの登場によって世の中が便利になっていく流れは今後も止まらない。そのような時代で求められるのは、DXが進む時代の変化を理解し適応できる人材だ。ネット環境に詳しい人ではない。ITに詳しい人でもない。DX環境の変化に適応できる人である(P.182)。

慧眼の一言だと思います。生き残る為には変化をしないといけないのです。

印象的なくだり
講演ではDXの成果について語ることが多く、その部分だけを切り取ると順調で華々しい成長のように見えるかもしれない。 しかしそこに至るまでのプロセスはかなり泥臭いものだった。
紙ありきの業務、無駄な残業、膨れ上がるコスト、DXチームとの確執など、非効率極まりないアナログだらけの日常から挑戦は始まったのだ(P.007)。

紙で成り立っている不動産業務の実態を「そういうもの」と割り切ることもできるだろう。実際に何枚もの契約書を書く顧客も、その書類を処理し保管する社員たちも、大量の紙を使うアナログな業務を当たり前のこととして受け入れているところがある。
しかし、「そういうもの」は思考を停止させる言葉である。深く考えることなく目の前の現実と慣習を受け入れることが、業界が旧態依然としている原因であり、大量の書類に囲まれて仕事をしている現実を生み出しているのだ(P.018)。

社内業務のデジタル化で期待できる2つ目の効果は、優秀な人材の獲得だ。 社内業務のデジタル化によって会社のあり方を変え、会社の価値を変えられると思った。
そして「企業は人なり」という言葉があるように会社の成長は人が生み出している。彼らの価値の集合体が会社の価値そのものであるため、優秀な人材が集まれば会社の価値も向上する(P.022)。

もう一つ問題だったのは、社内業務のデジタル化の目的が共有できていないことだった(P.043)。

CRMツールの導入に向けて、イワサキはもう一つ指摘した。
「CRMツールはユーザーである現場が便利さを実感しなければ浸透しません。経営側に活用の構想があっても、結局、使うのは現場です。彼らが使いたいと思うかどうか、その感覚と感情が決め手になるんです」
イワサキの言うことはもっともだった(P.088)。

先日、ビジネスにおける視座が高く尊敬しているITベンダーの常務に社内のDXに関わっているメンバー向けの講義を行ってもらい、とても感銘を受けた話があった。「我々の最大の敵は継続できない弱さ」であると。人にはバイオリズムがあるが、日々のマネジメントにおいてリーダーは部下のバイオリズムまで理解して仕事をすることはない(P.204)。

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『会社を守るユニオン対策が2時間でわかる本』

「会社を守る!ユニオン対策が分かる本」竹内睦

読後の感想
対立する組織として、大変興味深く読みました。
個人的には労働三権は非常に重要な権利の一つで、正しく行使すればという留保付きですが、大いに賛成の立場ではあります。
しかしながら、その立場を利用した一部の悪質な労働組合には、権利を履き違えているのではないかとい思わざるをえません。
どのような労働組合が正当で、どのような労働組合が悪質か、なんて一概に線引きすることは困難なのかもしれませんが、本書に載っていたような労働組合は、労働組合としての団体性を否定していただきたいなと感じました。

印象的なくだり

正当な組合活動
一般人がやれば犯罪で罰を科せられるにもかかわらず、組合員がやった場合は、本来だったら犯罪なんだけれども、違法性が阻却されて罪にならないということがあるんです。
正当な組合活動はどこまでか?
ただし、そこには正当な組合活動の範囲を逸脱していないという条件が付くわけです。
もちろん暴力などは完全に逸脱した行為であることは明らかですが、何が正当な範囲なのかはすごく抽象的ですよね。
どこまでが正当な組合活動なのか、どんな場合は正当と言えないのか、細かいところで 言えば判断が付き難いのです(P.041)。

で、ユニオンはどんなことでも全部正当な組合活動だと平気で言ってきますし、 逆に会社としては、なるべく縮小解釈をして、ここまでが正当な組合活動であって、組合のやっていることは、既にそれを逸脱しているから、正当な組合活動ではないのだと反論することになります。
それを誰が判断するかといえば、結局は裁判官ということになります。
後は裁判例を参考にすることになります。
例えば、ユニオンのつくるビラがあります。あれは、その書かれている内容が事実かどうかで判断されるようです。
もし事実であったら、ビラに書いていくら配っても、それは正当な組合活動の範囲内だと言われ、労働委員会で争うと、大体、会社にとって分が悪い結果となります。 ところが、事実ではないことや、プライバシーを侵害するようなことを書いていたら、それは正当な組合活動を逸脱しているということになり、名誉毀損や業務妨害、それに伴う損害賠償を問うことも可能になるのです(P.042)。

私が学生の頃は、ビラまきは労働組合のような弱い立場の団体が取りうる安価で有用な多くの人に伝えられる手段だと習いました。
しかしながら、SNSが発達したような現代では、かつてのようなビラまきを認める必要性は小さくなってきたのではないかと思います。
一方で、個人宅にビラを撒くような行為は、他人の敷地に否応なく立ち入っているわけですから、正当性の否定方向に傾くのではないかと感じました。

「まずは団体交渉には応じて、相手の要求を聞くだけ開いて、それに誠実に 回答してください。それが義務です。ただし、組合の要求を承諾する法的義務は、一切ありません」とアドバイスするのです。
最初の例のように、労使間の合意文書の表題が「確認書」「覚書」「議事録」といったも のであったとしても、労使双方が署名または記名押印したものであれば、労働協約とされてしまいます。
労働協約にサインしてしまうと、その後一方的に不利な交渉を強いられるだけでなく、 会社経営の舵取りさえ奪われることになりかねないのです。
(P.076)。

労働協約という名前ではない書面に、労働協約としての効力を認めるってどうなんでしょうね(否定的な主張

団体交渉での議題は具体的に!
団体交渉を受ける以上は、ユニオンに誠実に対応するためにも、団体交渉での議題を明確にしておく必要があります。
団体交渉の議題については、組合と事前に書面で明確にしておき、会社としての考え方を持って臨むようにした方がよいでしょう。
ここでのポイントは、具体的な協議事項を明確にしておくことです。 例えば、「これからの組合員の労働条件について」等のように、抽象的な団体交渉議題 を挙げてくる場合もあるのですが、そんな場合は、いくらでも協議事項が膨らんでしまうことになりかねません。
ですから、「残業代の未払い」、「有給休暇の消化」等、どのような要求をするのか、具体的な項目を事前に明確にしておくべきです。
団体交渉の場において、議題にないことを新たな要求として、突然言い出してきたような場合であれば、まずは事前に文書で要求事項として出すことを求めましょう。
団体交渉の協議事項とするかどうかは、それを見てじっくり検討してから文書で回答する、とすべきでしょう。
相手が何か突然言い出してきても、団体交渉の場で回答できないことについては、社内に持ち帰って検討するということは、まったく問題ありませんので、くれぐれも安易な回答だけはしないことです。
(P.083)。

団体交渉の開催時刻と時間
団体交渉の時間帯ですが、もう既に退職している元社員などが駆け込んだ場合というのは、会社の都合のつく時間帯であれば、いつでもいいと思います。
ところが、在職中の、例えば未払い残業代の請求をしてきたりとか、有給休暇の未消化分はどうだとか、セクハラみたいな問題の場合は、絶対に勤務時間中に行ってはいけまん。
もう既に会社を辞めているわけですから、会社の業務時間中でも、その後でも特にそれをどんどん拡大解釈して、勤務時間中の労働組合活動を認めたのだから、当然、賃金を支払うということも認めているんだと、必ずそう言ってくるんです。 在職中の社員の団体交渉は、勤務時間中は絶対に避けるべきです。
(P.090)。

実感あり、めっちゃ分かる。

ここで注意すべきことがあります。その返事を連絡する手段についてです。
ファックスだけで返信していた場合、そのファックスを受け取っていないとか言って、 わざとらしく当初要望した日に、組合が来たりすることがあります。もちろん、会社は都合が悪くて来られないという結果になります。
そうすると、お得意の「団交応諾義務違反だ!」とか、「不誠実団交だ!」とか言ってくることになります。
ですから、組合への連絡は、ファックスと配達証明郵便でするというのが鉄則です。 内容証明にまでする必要はありませんが、ファックスだけではなく、配達証明郵便で、ちゃんと配達したという証拠を残しておくことが重要なのです。
それから返事の内容ですが、「何月何日は会社の業務上差支えがあって受けられません」 というだけではいけません。必ず代替日を1つ2つ入れておくようにしましょう。そうすると、きちんと誠実に対応したということを会社は主張できます。
もう、ユニオンは何でも言ってきます。代替日を入れていなかっただけで、「団体交渉応諾義務に違反している」とか「不誠実団交だ」とか「組合嫌悪の感情のある回答だ」とか、平気で言ってきたりするんです。
(P.093)。

めっちゃわかる(2回目

会社側は、いくらしゃべっても何の得もありません。あくまでも組合がやりたくてやっているものに付き合ってあげているだけの立場です。質問されたことに必要最小限答えて、後は黙っていれば十分です。沈黙が続くのは、お互いに罰が悪いものですが、それはそれで構わないのです。
そもそもイニシアチブを取るべきはユニオンなのですが、こんなケースもありました。
(P.096)。

ユニオンは、会社の配送業務撤退を見合わせるよう労働委員会に勧告して もらうため「実行確保の措置』を申し立てると共に、団体交渉の開催も要求してきました。
実行確保の措置というのは、労働委員会が組合の主張を認めた場合、主張に基づく勧告を会社に出すものです。
ただし、その勧告には法的な強制力があるわけではありません。
(P.166)。

和解できないとなると、労働委員会の手続き的には、後日、今回の不当労働行為の救済申立てに対する判断(命令)を労働委員会が下すことになります。
もし、労働委員会が、今回のユニオン側の申し立てた不当労働行為の救済を認め、和解案と同等の命令が出たと仮定すると、会社がその命令に不服がある場合は、次のステップ として中央労働委員会に再審査の申し立てをすることになります。
そして、もし、中央労働委員会でも不当労働行為を認める命令が出て、その命令に不服がある場合、会社は命令公布の日から30日以内に、救済命令等の取消訴訟を東京地方裁判所に提起し、その後は、高等裁判所、最高裁判所へともつれ込む可能性もあります。
(P.172)。

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『映画を早送りで観る人たち』

『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史

読後の感想
この本を読んで心の底では納得できない、と感じている自分は既に老いの始まりなのだろうか、と自問自答しました。
「全部説明してほしい」「失敗したくない」「理解できるものだけ見たい」というニーズは今までもずっとあったと思いますが、ここ十年でのデジタルアーカイブの増大によって、話についていくためだけに、エッセンスだけ見る、というのは、受け入れがたいものを感じました。
それを言い当てたのが、このようなくだりです。

かつて映像作品は、ある程度以上のリテラシーを有する観客に向けて作っていても、さほど問題にはならなかった。理解できない者の一部は勝手に背伸びをして理解に努めてくれたし、排除された客の声は可視化されなかったからだ。
しかし今は違う。一定以上の規模を有した商業作品である以上、つまり相応のビジネスサイズとマネーメイキング機能を求められているプロジェクトである以上、あらゆるリテラシーレベルの観客が満足する(誰もが気分を害さない)ものを作らなければならなくなった。(P.117)。

「ミレニアル世代が“未体験”に価値を求めるとすると、“追体験”に価値を求めるのがZ世代。彼らは先のわからないことや想定外の出来事が起きて気持ちがアップダウンすることを“ストレス”と捉える傾向が強い」(P.166)。

好きな情報やコンテンツしか見たくない。興味のないことは視界から外したい。偏っててもいいから、好きなものだけに囲まれていたい。映像娯楽コンテンツに限らずニュースなどの情報についても、それを貫きたい。
同レポートではこういった「“なんとなく”の時間を問い直し、自分の気分に合ったメディア・コンテンツを選り好みする生活者」のことを「picky Audience(ピッキー・オーディエンス)」と名付けている。pickとは「選ぶ」。ピックアップのピック。レストランのバイキングで、好きな料理を好きなように皿に取る行為のイメージだ。(P.203)。

職場にも共通すると思ったくだりです。

このことは、職場の新入社員にも顕著だ。年長世代が懐の深さを見せたつもりで口にする「失敗してもいいから、まずはやってみろ」は、彼らにとっては「いじめ」にも近い。その結果失敗して、上司から失敗の理由を指摘されたら、「そんなに言うんだったら、先に正解を教えてくれればいいじゃないか……」と感じるからだ。
「そういう上司は“乱暴”認定され、慕われません。見えている失敗を前もって説明してくれない、不親切で嫌な人と思われるんです。『やってみて、失敗しないとわからない、身にならないことがある』という理屈は通じません。すべての新人がそうではないですが、ここ最近増えた傾向です」(P.168)。

直接的にこのようなことがあった訳ではありませんが、ここ数年で「新人」と呼ばれる人とやり取りすると感じた違和感を直接言い当てているように思います。
私としては、「失敗しないと心の底から納得しない」はもう時代遅れなのでしょうかね。

現代人はとにかく忙しい。それに付け加えて、話題になっている作品は見ておかないと乗り遅れる、そんな切実な危機感が社会全体を覆っているように寒々しく感じました。

印象的なくだり

ライトノベル原作ではないものの、序章でセリフが説明過多であると指摘したTVアニメ版『鬼滅の刃』については、小林氏も脚本家の卵たちも、「絵で見てわかることがそのままセリフになっている」点において違和感が強い、と口を揃える。(P.104)。

「シャレード」というシナリオ用語がある。オードリー・ヘプバーン主演の映画『シャレード』(1963年)に登場するジェスチャーゲームを由来とする言葉で、「間接表現」のことだ。目で見てわかることは、いちいちセリフにしなくていい、すべきではないという理論である。
古典的名作『ローマの休日』(1953年)にも「シャレード」が使われている。
オードリー・ヘプバーン演じるアン王女が各国の要人たちと次々握手・挨拶をするが、明らかに退屈している。ただし、「ああ、退屈だわ」といったセリフやモノローグは言わせない。その代わりに、カメラが彼女のドレスの中、足元を撮る。彼女はうんざりして足をモジモジさせ、片方の靴を脱ぎ、足が靴を見失う。やがて着席時に靴をスカートの外に置いてきてしまうのだ。
このシーンはアン王女がだらしないと言いたいのではなく、彼女が退屈していることを、セリフを使わずに表している。これがシナリオ技術というものだ。しかし「好きだったら、そう言うはずだし」と口にする視聴者が、どこまでその意図を解せるか。(P.106)。

「体系的な映画の見方」でもっとも手軽なのが、監督名で映画を観ることだ。しかし映画関係者は口々に「映画を監督で観る人が減った」とこぼす。
大学生たち何人かに「最近観た、一番良かった映画」を対面で聞いてみた。近年の日本映画が何本か挙がる。ただ、監督名は誰も答えられない。(P.220)。

バウマンは社会全体が安定的で持続的な仕組みによって形づくられている個体(ソリッド)のような状態から、特定の形を持たず、その姿を自由に変える液体(リキッド)のような状態へと変化してきたことを指摘したが、バーディとエカートは、こうした変化が消費のなかにも生じていることを指摘したのである。[中略]かつて主流であった安定的な消費をソリッド消費(個体的な消費)とするならば、今日みられるようになった流動的な消費はリキッド消費(液体化した消費)といえる。(傍点筆者)
バーディとエカートは、リキッド消費の特徴を大きく3つ挙げた。
①短命……短時間で次から次に「移る」ような消費。
②アクセス・ベース……ものを購入して所有するのではなく、一時的に使用や利用できる権利を購入するような消費。たとえばレンタルやシェアリングはその典型。
③脱物質的……同程度の機能を得るために、物質をより少なくしか使用しないような消費。(P.247)。

かつてレンタルビデオショップでは、「新作は高く、旧作は安い」が普通だった。話題の新作をいち早く観るには追加フィーを積まなければならない。至極当たり前の理屈に思える。
しかし現在、映像配信は必ずしもそうなっていない。たとえばAmazonプライム・ビデオでは、プライム会員向けに最新の話題作がいち早く見放題の対象に設定されることが少なくない。逆に、リリースから時間が経っている旧作に追加料金を支払わねばならないケースは多い。
つまり「新作は安く、旧作は高い」。レンタルビデオショップの逆である。
なぜこんなことになっているのか。それはサービス提供者側が、ライトユーザー、ーリキッド消費の文脈における“ファンではない消費者”─をひとりでも多く新規会員に引き込みたいからだ。こと映画やドラマは、ライトユーザーであればあるほど話題の新作を観たがる。というか、世間で話題になっている新作以外は興味がない。逆に映画ファンであればあるほど、新作だけでなく、監督つながりやジャンルつながりで旧作を漁るように観る。
もしコアファン、ここで言うところの映画ファンを大切にするならば、「新作は高く、旧作は安い」とすべきだろう。
しかし、定額の月額料金によって運営されているAmazonプライム・ビデオにしてみれば、旧作がどれだけ大量に観られようとも会員料金の売上収入は変わらない。会員数を増やさねば収入は増えないからだ。すなわち、既存の映画ファンを料金面で優遇するより、“ファンではない消費者”をひとりでも多く会員にするほうが、商売として割がいい。(P.256)。

 

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『歌舞伎町と貧困女子』

『歌舞伎町と貧困女子』
ノンフィクション作家の中村淳彦さんの著作です。
この本を読むまでは、歌舞伎町は通ったことがあるけどどんな街か知らない、強いて言えばゲーム「龍が如く」の舞台、程度にしか認識していませんでしたが、読後に実際に行ってみたりしました。
で、書いてあることと実際と照らし合わせて、なるほどと思いました。

インタビューされる人の内容が基本的にぶっとんでいるため、なかなか頭に入ってこない話ばかり続きました。
別にインタビュアーのせいではありませんが、私の想像力にも限界があって話に付いていくのも大変でしたが、基本的なストーリーは、はじめにに書かれている通りです。

いま歌舞伎町で起こっていることは、暴力団の衰退、ホストを頂点としモテない中年男性を最底辺とする”カネの食物連鎖”の固定化、Z世代(1996年以降生まれ)の若者たちの台頭、そして「男に貢ぐ」た目に息をするように売春する女性たちの増加だ(P.003)。

これは文中でインタビューされている転貸で儲けている不動産業の崎岡さん(仮名)のインタビューが元になった文章です。

崎岡さんのインタビューでは

「いま歌舞伎町はホストクラブを頂点として、食物連鎖がうまくいってめちゃ金が回っている」
「食物連鎖」とはモテない男や寂しい中年男性を底辺として、彼らが払ったお金が
風俗嬢やキャバ嬢やアイドルやパパ活女子を経由してホストクラブに流れているということだ(P.105)。

女性たちがホス狂いになるのも、概ね計算されたマニュアルがあるそうで、自己肯定感の低い女性がホストに管理されている様子などは、読んでいていたたまれない気持ちになりました。

2018年から空前のホストブームが起こっている。
ホストクラブは歌舞伎町に約260軒、約5000人のホストが存在するとされている。

ホストは怖いですね(棒読み

男性の属性が中小企業経営者が中心のパパ活の場合、彼女だったら5万円以上は取れる。しかし、食事→ホテルというデートの形になるので時間がかかる。
長期的な人間関係を築くパパ活のほうが男性の質はいいし安全だが、大久保病院前に立っている彼女たちは”不特定多数で手っ取り早く安価”という立ちんぼを選択している(P.145)。

面白いは面白い、でもなんだか同じ日本の出来事のような気がせずに、どこかしら他人事のようにも感じるほど。
ノンフィクションでこんな感じなるのは本当に珍しい。

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『デジタルライフ・モノワーカー』高澤けーすけ

『デジタルライフ・モノワーカー』高澤けーすけ

読後の感想

最近「物を捨てること」にはまっているので、「物に対するこだわりが読めるかな」と思って購入しましたが、ちょっとだけ期待値が高すぎて、楽しめない一冊でした。
例えば筆者は、他の単語や英語に翻訳していたのに「モノ」だけは日本語にこだわっていました。
第3章は「仕事を豊かにするマイフェイバリット・モノ」とあって、何らかの意味があって「モノ」を使っているのだろうと勝手に解釈しておりました。
しかしながら、最後まで読んでみて、特に言及がなかったことにずっこけた次第です。

この手の「自分の大好きな物」を発信する人は、「なぜ本にしたのか」を考えていただきたいと思います。
単なる物を紹介するのであればアフェリエイトも貼れるネット記事の方が絶対的に有利なわけです。
そうではなく、わざわざ本という媒体にして、この一品に対する思い入れを読みたかったのです。

とはいえ、親近感を持ったのは105ページの

「僕の場合は、このアイデア出しという作業だけは、どうしても手書きでないとできないのです」

という部分です。
自分の場合も、まさに紙でやっていたのですが、著者の場合はiPad miniのAppである「Good note5」を使っており、道具は別ですが、考え方の根底は似ているなと親しみを感じました。
手書きにすることでキーボードを打つことでは得られない、手と目が一緒にアウトプットするという体験を得られるというわけです。
Apple pencilとアプリで手書きするというのは非常にいい考えなので、私もGood note5とApple pencilを使おうと決めました。
(両方とも持っていましtが組み合わせて使っていませんでした)

またこれは「仕事を頼む側」の立場からは、納得感が高い文章は
203ページの「自分自身の媒体資料を作り」「媒体資料には案件に関する予算はもちろん、視聴者層や流入元など、最初のメールの時点では聞かれていないけど、あったら便利な情報を盛り込んでいる」という部分でした。
自分自身の媒体資料を作っておくと、仕事を依頼されるたびに発生する支払いなどの諸条件や、資料などの提供などを全て事前に省くことができます。
今はまだ自分自身の媒体資料を作る必要はないのですが、そのうち必要になったら作っておこうと心に決めました。