『映画を早送りで観る人たち』

『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史

読後の感想
この本を読んで心の底では納得できない、と感じている自分は既に老いの始まりなのだろうか、と自問自答しました。
「全部説明してほしい」「失敗したくない」「理解できるものだけ見たい」というニーズは今までもずっとあったと思いますが、ここ十年でのデジタルアーカイブの増大によって、話についていくためだけに、エッセンスだけ見る、というのは、受け入れがたいものを感じました。
それを言い当てたのが、このようなくだりです。

かつて映像作品は、ある程度以上のリテラシーを有する観客に向けて作っていても、さほど問題にはならなかった。理解できない者の一部は勝手に背伸びをして理解に努めてくれたし、排除された客の声は可視化されなかったからだ。
しかし今は違う。一定以上の規模を有した商業作品である以上、つまり相応のビジネスサイズとマネーメイキング機能を求められているプロジェクトである以上、あらゆるリテラシーレベルの観客が満足する(誰もが気分を害さない)ものを作らなければならなくなった。(P.117)。

「ミレニアル世代が“未体験”に価値を求めるとすると、“追体験”に価値を求めるのがZ世代。彼らは先のわからないことや想定外の出来事が起きて気持ちがアップダウンすることを“ストレス”と捉える傾向が強い」(P.166)。

好きな情報やコンテンツしか見たくない。興味のないことは視界から外したい。偏っててもいいから、好きなものだけに囲まれていたい。映像娯楽コンテンツに限らずニュースなどの情報についても、それを貫きたい。
同レポートではこういった「“なんとなく”の時間を問い直し、自分の気分に合ったメディア・コンテンツを選り好みする生活者」のことを「picky Audience(ピッキー・オーディエンス)」と名付けている。pickとは「選ぶ」。ピックアップのピック。レストランのバイキングで、好きな料理を好きなように皿に取る行為のイメージだ。(P.203)。

職場にも共通すると思ったくだりです。

このことは、職場の新入社員にも顕著だ。年長世代が懐の深さを見せたつもりで口にする「失敗してもいいから、まずはやってみろ」は、彼らにとっては「いじめ」にも近い。その結果失敗して、上司から失敗の理由を指摘されたら、「そんなに言うんだったら、先に正解を教えてくれればいいじゃないか……」と感じるからだ。
「そういう上司は“乱暴”認定され、慕われません。見えている失敗を前もって説明してくれない、不親切で嫌な人と思われるんです。『やってみて、失敗しないとわからない、身にならないことがある』という理屈は通じません。すべての新人がそうではないですが、ここ最近増えた傾向です」(P.168)。

直接的にこのようなことがあった訳ではありませんが、ここ数年で「新人」と呼ばれる人とやり取りすると感じた違和感を直接言い当てているように思います。
私としては、「失敗しないと心の底から納得しない」はもう時代遅れなのでしょうかね。

現代人はとにかく忙しい。それに付け加えて、話題になっている作品は見ておかないと乗り遅れる、そんな切実な危機感が社会全体を覆っているように寒々しく感じました。

印象的なくだり

ライトノベル原作ではないものの、序章でセリフが説明過多であると指摘したTVアニメ版『鬼滅の刃』については、小林氏も脚本家の卵たちも、「絵で見てわかることがそのままセリフになっている」点において違和感が強い、と口を揃える。(P.104)。

「シャレード」というシナリオ用語がある。オードリー・ヘプバーン主演の映画『シャレード』(1963年)に登場するジェスチャーゲームを由来とする言葉で、「間接表現」のことだ。目で見てわかることは、いちいちセリフにしなくていい、すべきではないという理論である。
古典的名作『ローマの休日』(1953年)にも「シャレード」が使われている。
オードリー・ヘプバーン演じるアン王女が各国の要人たちと次々握手・挨拶をするが、明らかに退屈している。ただし、「ああ、退屈だわ」といったセリフやモノローグは言わせない。その代わりに、カメラが彼女のドレスの中、足元を撮る。彼女はうんざりして足をモジモジさせ、片方の靴を脱ぎ、足が靴を見失う。やがて着席時に靴をスカートの外に置いてきてしまうのだ。
このシーンはアン王女がだらしないと言いたいのではなく、彼女が退屈していることを、セリフを使わずに表している。これがシナリオ技術というものだ。しかし「好きだったら、そう言うはずだし」と口にする視聴者が、どこまでその意図を解せるか。(P.106)。

「体系的な映画の見方」でもっとも手軽なのが、監督名で映画を観ることだ。しかし映画関係者は口々に「映画を監督で観る人が減った」とこぼす。
大学生たち何人かに「最近観た、一番良かった映画」を対面で聞いてみた。近年の日本映画が何本か挙がる。ただ、監督名は誰も答えられない。(P.220)。

バウマンは社会全体が安定的で持続的な仕組みによって形づくられている個体(ソリッド)のような状態から、特定の形を持たず、その姿を自由に変える液体(リキッド)のような状態へと変化してきたことを指摘したが、バーディとエカートは、こうした変化が消費のなかにも生じていることを指摘したのである。[中略]かつて主流であった安定的な消費をソリッド消費(個体的な消費)とするならば、今日みられるようになった流動的な消費はリキッド消費(液体化した消費)といえる。(傍点筆者)
バーディとエカートは、リキッド消費の特徴を大きく3つ挙げた。
①短命……短時間で次から次に「移る」ような消費。
②アクセス・ベース……ものを購入して所有するのではなく、一時的に使用や利用できる権利を購入するような消費。たとえばレンタルやシェアリングはその典型。
③脱物質的……同程度の機能を得るために、物質をより少なくしか使用しないような消費。(P.247)。

かつてレンタルビデオショップでは、「新作は高く、旧作は安い」が普通だった。話題の新作をいち早く観るには追加フィーを積まなければならない。至極当たり前の理屈に思える。
しかし現在、映像配信は必ずしもそうなっていない。たとえばAmazonプライム・ビデオでは、プライム会員向けに最新の話題作がいち早く見放題の対象に設定されることが少なくない。逆に、リリースから時間が経っている旧作に追加料金を支払わねばならないケースは多い。
つまり「新作は安く、旧作は高い」。レンタルビデオショップの逆である。
なぜこんなことになっているのか。それはサービス提供者側が、ライトユーザー、ーリキッド消費の文脈における“ファンではない消費者”─をひとりでも多く新規会員に引き込みたいからだ。こと映画やドラマは、ライトユーザーであればあるほど話題の新作を観たがる。というか、世間で話題になっている新作以外は興味がない。逆に映画ファンであればあるほど、新作だけでなく、監督つながりやジャンルつながりで旧作を漁るように観る。
もしコアファン、ここで言うところの映画ファンを大切にするならば、「新作は高く、旧作は安い」とすべきだろう。
しかし、定額の月額料金によって運営されているAmazonプライム・ビデオにしてみれば、旧作がどれだけ大量に観られようとも会員料金の売上収入は変わらない。会員数を増やさねば収入は増えないからだ。すなわち、既存の映画ファンを料金面で優遇するより、“ファンではない消費者”をひとりでも多く会員にするほうが、商売として割がいい。(P.256)。

 

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