子どもたちの太平洋戦争―国民学校の時代

子どもたちの太平洋戦争―国民学校の時代
山中恒

読後の感想
1931年生まれの筆者が、体験した子供時代のエピソードを通じて、教育が与える影響について書かれた本です。
先生の添削が入り、いかにもな軍国少年になっている作文や、校長先生のお話、報道など、実体験だけあって、とても強く心に残ります。

最後の部分で、戦争教育に加担した大人や教育者の責任についても触れられていますが、余り考えたことがなかった部分でした。

印象的なくだり
天皇に関して、この作文のなかに、ラジオの実況中継のことが出てくるが、当時は、天皇の声は電波にのせることが許されていなかったのである。
ラジオ放送を聴くものがすべて、直立不動の姿勢をとっているとは限らない、病床で寝ながら、それを聴くものもいるであろう、そのようなことがあっては、天皇陛下に対し奉りまことに恐れ多いことであるからというので、天皇の声は放送されなかった。
いまから考えると、とても正気の沙汰とは思えないことである。当時は、それがごく普通の、天皇に対するしきたりだったのである(P018)。

欲しがりません勝つまでは
東京市麻布区笄国民学校五年二組三宅阿幾子
(中略)ところで、この標語の実作者は国民学校の少女ではなく、その父親が彼女の名前で応募したものであった。
彼女の口からそれが明らかにされたのは、戦後三十七年経てからであった(P141)。

ある疎開学寮の教師は、その空襲で死亡した者の氏名を挙げたら、寮生の間から「わっ」と歓声があがり、口々に「いい気味だ」というのを聞いて慄然としたと証言している。
本来なら同じ学寮で半年以上いっしょに暮らしたのだから、その死を悼む言葉が出ると思ったのである。
それが全く逆になったというのであるから、その人間関係がどれほど荒廃していたかがわかろうというものである(P185)。