『情報の「目利き」になる!―メディア・リテラシーを高めるQ&A』

『情報の「目利き」になる!―メディア・リテラシーを高めるQ&A』
筑摩書房
日垣隆

読後の感想
自己顕示欲の塊みたいな文章は好みが分かれるかなと思いました。文章や読書については非常にストイックで、量が質を作るを自ら実践しているのが印象的です。ある意味自分の数歩先にあるとも感じました。誰にでもできるけど、大変だから誰もやらないことが書かれているので、やらない人からすると、物足りないかもしれません。理論よりも直感派です。いい教師ではありませんが、すばらしい反面教師ではあります。

印象的なくだり

いわゆる殺人は確率的には非常に低いのですが(1日3人くらいです、日本では)、しかし交通事故致死の可能性に対しても同じ覚悟がいるように私は感じています(1日に30人以上です)。子どもが車で轢き殺されたら、実際には「一般殺人」より世間の同情がずっと低いかといって、怒りや哀しみが軽いだろうととうてい私には思えません(P098)。

そもそも「考える」っていうのは、比較するということを大切な要素にもっています。そして「旅」というのは、もともと昔は「多比」とも書いていました。たくさん比べる、と考えてみてください(P177)。

諸先輩の良きノウハウはどんどん学び、かつ盗むべきですが、直面したテーマで「納得できない」ことが一つでもあったら、とことん調べる。それが基本中の基本だと思います(P186)。

ある本を読む。その本は、どのような点が優れているのか。そもそも、書かれている内容は事実なのか。どこがオリジナルで、その欠点は何か。読み手である自分にとって、応用できる視点や素材は何であり、次に何を読めばいいのか。これらを、現在の自分との距離を推し量りながら定位するのは、評価力です。もちろんその意味で読書は、文字通り「おのれを知る」仕事だと言えます。世界と自分との往復運動を自覚的に定位できなければ、「おのれを知る」努力は空回りになります(P205)。

情報が世界を変える―衛星・ボーダレスの時代

情報が世界を変える―衛星・ボーダレスの時代
丸善
徳久勲

読後の感想
 書いてある情報が古いですが、情報の移動に関する記述は今も同じだと感じました。
 衛星や電波の仕組みなども書かれていますが、少し難解な印象を受けます。しかも、分からない部分は読み飛ばしても文意は読み取れます。何のための記述なんだろう…。

印象的なくだり

社会学的にみれば衛星のメディアは恐るべき影響力を持つといえる。
それまで情報は原則的に、それぞれの国境の中にとどめられていた。
外国からの異文化を伝えるビデオ、カセット、本、雑誌は税関で没収される場合が多かったし、テレビの地上波は国境を越えるものの、二〇〇キロが限界だった。
国境を大きく越えるラジオは短波だけだった。
それも音質に問題があり、妨害しようと思えばジャミング(妨害電波を出して聞こえなくすること)もコストを度外視すれば可能だった。
しかし、衛星から降ってくる電波は、その性質上。妨害が難しい。
テレビ映像という最も感性に訴える情報を国境線でとどめることは事実上不可能だ。
ボーダレス情報時代の決定的仕掛人は、妨害ができないスピルオーバー現象だともいえる(P011-012)。

CNNは米国外通信衛星を利用している部分については「暗号」をかけていない。
誰でもアンテナを向ければ見れるのだ(著作権法上の問題は別にある)。
そして、ケーブルテレビが発達していない途上国でも、政府首脳に限り「自由にご覧下さい」というオープンな姿勢だ。
巧みなプロモーション作戦ともいえる。
世界の首脳や指導者にとって、リアルタイムで全世界の動きがわかるものは他にはないからだ。
CNNに喋ればその日の内に開いた側にメッセージが届く(P115)。

テレビというメディアの宿命は基本的に体制的存在だということだ。
限りある電波資源を利用するのだから、誰でも勝手に始めるというわけにはいかない。
どんな国でも、政府と放送機関の関係は電波免許をめぐって微妙だ
(P124)。

全世界の視聴者のほとんどは、米国防総省の記者会見で爆撃のビデオがはじめて公開されると思っているだろうが、実はそのビデオは三〇分ぐらい前に米各テレビネットに配信され、迫力があるように編集されて会見時に放映されているのだ。
これも映像への便宜供与である。
画面を注意深く見ていると気づく。記者会見室でテレビを見せながら説明する生中継の映像に続いて、画面がそのテレビのビデオに切り替わる。
事前にビデオが提供されていなければ不可能だ。
そういう切り替えに注目していれば、映像の裏側が読める。
同様に、ビデオを見た解説者が実によく命中すると評したが、それは外れた場合の映像を提供していないだけの話だ(P127)。

結局は、賢明な視聴者はメディアの力学とその背景を学ばざるを得ないということだろうか。
活字は読みながら考える。映像も見ながら考えていかなければ虚像に踊らされるだけだろう
(P128)。

(前略)外国からの情報に警戒心が強いのは、国内の社会構造が意外に弱いところがあるからだろう(P162)。

閉鎖国家にとって、外国からの情報の流入はきわめて危険である。
国民に対して特定の価値観を強制し、支配を行っている場合、その価値観を覆す考え方が流入してくるならば、その支配の基盤が危うくなることを為政者は知っている。
特に、外部からもたらされる情報や思想が国民の共感をよぶ可能性がある場合にはなおさらだ(P174)。

自由な情報や通信を抑圧する秘密警察と密告者のネットを維持するコストは膨大である。
そして情報や通信を抑圧すること自体が、国民の非能率、無気力を生み出す(P204)。

平家、海軍、国際派」という言い方がある。
海外に目を向け、日本人に国際的な「常識」を説こうとした人々は、牢固たる「国内派」に押しつぶされ敗北するという経験律の自嘲的表現である(P224)。