『僕は君たちに武器を配りたい』

僕は君たちに武器を配りたい

読後の感想
いわゆるエンジェル投資家(投機ではない)からの強烈な自己啓発本。
説得力のある主張は、裏付けとなる数字がしっかりしているからだろうか
引き込まれるように読んでしまいました。

他の自己啓発本的な本と一線を画すかなと思う点は、
現状分析のくだりです。著者の主張のキーワードは「コモディティ化」。
もともとは日用品という意味でしたが、本書ではスペックが明確に定義できるもの、
他と大差ないものという意味で使われています。
このコモディティ化が徹底的に買い叩かれる原因であり、そうなってはいけない。
もう少し掘り下げると、コモディティ化するため「だけ」の努力を必死にしてはいけない
という点が非常に印象的でした。

ちょっと話がわき道に逸れますが、このコモディティ化するための努力、
それがオンラインゲームにのめりこむ人のレベル上げである、という内容がありました。
つまりオンラインゲームでは、時間をかけてレベルを上げれば(課金アイテムを使ったり)
誰でも最強のプレーヤーになれる、努力がそのまま報われるので、
努力をしてしまう(のめりこんでしまう)というものでした。心にグサリときました(笑
著者の言いたいことをまとめると
努力の有用性は認めるが(英語を勉強するなとは言わないが)、
自分の「売り」を見つけておかないと単なる安売りにしかすぎない。
逆に言うと「売り」を持っている人は英語を勉強しないと話にならないよ、という意味だととらえました。

そして、もう一つ他の本と大きく異なるのは「資本主義」というものの
(特に自分の頭で考えない人の負の側面の)解説が分かりやすかったことです。

衝撃的だったのは1971年当時の就職人気企業ランキングと現状。
23社のうち5社が1回はつぶれている会社、うち5社が青色吐息の会社。
ということは半数はきちんと持っていないということ。
会社の寿命って思っているよりも短いんだなぁと思いました。あと普遍的な商売はないということ。

内容以外の面を言うと、やはりターゲットが誰かが明確なので
(君たち=若者とか学生)話が徹底的にわかりやすいと言うことでしょうか。
学生に教える職業をしている人に共通のよい点だと思います。

もくじ
第1章 勉強できてもコモディティ
第2章 「本物の資本主義」が日本にやってきた
第3章 学校では教えてくれない資本主義の現在
第4章 日本人で生き残る4つのタイプと、生き残れない2つのタイプ
第5章 企業の浮沈のカギを握る「マーケター」という働き方
第6章 イノベーター=起業家を目指せ
第7章 本当はクレイジーなリーダーたち
第8章 投資家として生きる本当の意味
第9章 ゲリラ戦のはじまり

印象的なくだり
資格やTOEICの点数で自分を差別化しようとする限り、コモディティ化した人材になることは避けられず、最終的には「安いことが売り」の人材になるしかないのだ(P.035)。

余談だが、パソコンのオンラインゲームに多くの人がハマるのは、その世界では「努力」の有効性がまだ存続しているからではないだろうか。
最近展開されていた「ラグナロクオンライン」という人気ゲームのコマーシャルでは、現実の世界では友だちが一人もいない青年が、ゲームの世界ではみんなに頼りにされていて大活躍する姿を、ある意味前向きに描いていた。
「努力して経験値を積み、お金を貯めて武器をそろえれば、立身出世ができる」というのがオンラインゲームの世界観である。もともとそうした努力を尊ぶべきという価値観は、現実の世界を反映していたはずなのだが、その現実世界では成功ルールが通用しなくなってしまったというのが、いかにも皮肉なことに思えてならない(P.041)。

では、どういう人ならば、資本主義の社会でお金を増やすことができるのか。
簡単に言えば、「より少ないコストで、みんなが欲しがるものを作った人」である。
その逆に、みんなが欲しがらないものを作ったり、必要以上のコストをかけて作る行為は、社会的に無駄な行為となり、自然と淘汰されていく。これが資本主義の基本的な構造である(P.054)。

そもそも、本来的にファッションとは、とんがっていること、稀少性があることがオシャレであるとされる。そのため大量生産、コモディティとは根本的に相容れない。だが柳井氏は、イメージ戦略によって自社の大量生産品そのものをブランド化することによって、既存のファッションとは違う文脈で売ることに成功した。そのマーケティング戦略がユニクロの躍進の本質的理由といえる(P.139)。

企業や商品で差をつけることは難しい。差をつけるには、ターゲットとなった顧客が共感できるストーリーを作ること(P.146)。

成功している投資会社は、個人市場からはいっさい資金調達をしない。投資した企業が成長したり、運用で儲けても、もともとの出資者にはリターンを支払い、残ったお金は次の投資に回すのである。すごくうまくいっている投資会社には、市場から資金調達をする必要がないのだ。
(中略)
個人を相手に金融商品を売る会社にとって、いちばんありがたい顧客となるのは、「自分の頭で物事を考えない」人々だ。そしていつの時代もそうした人々はたくさんいる。つまり、個人を相手に商売するときは、「人数がたくさんいて、なおかつ情報弱者のターゲット層」のほうが効率が良いのである。だから、ホールセール(機関投資家や企業相手の大口取引)の金融事業で儲けられなくなってきた会社は、みなリテール(個人向けの小口金融ビジネス)に進出しているのだ(P.158)。

リーダーには、優秀だがわがままな人をマネージするスキルも大切だが、優秀ではない人をマネージするスキルのほうが重要なのである。ダメなところが多々ある人材に、あまり高い給料を払わずとも、モチベーションを高く仕事をしてもらうように持っていくのが本当のマネジメント力なのだ(P.190)。

なぜ日本人は、投資に対しての理解が浅いのか。
その理由のひとつはおそらく、「投資」と「投機」の区別がないことが考えられる。
「投機」とは要するに、利殖のみを目的に、一攫千金を狙って行う賭け事だ。得する人間が一人いれば、損する人間がその何倍もいる。つまりは大勢の損が、少数の得に移転するだけのゼロサムゲームである。本質的にはパチンコや競馬、競輪と変わることがないギャンブルだ。
それに対して「投資」は、畑に種を蒔いて芽が出て、やがては収穫をもたらしてくれるように、ゼロからプラスを生み出す行為である。投資がうまくいった場合、誰かが損をするということもなく、関係したみなにとってプラスとなる点が、投機とは本質的に異なる。また投機が非常に短期的なリターンを求めるのに対して、投資とは本質的に長期的なリターンを求めるところも大きな違いだ(P.210)。

基本的に新聞には、誰かが「アナウンスしてほしい情報」だけが載っている。新聞やテレビで公開された情報は、誰か声の大きな人間が、世間を自らの望む方向に誘導するために流している情報だと考えるべきなのだ。真に価値のある情報というのは、みんなが知った瞬間に、その価値がなくなってしまう。つまり、本当に儲け話につながる話は、いっさい新聞には載ってこないのである(P.210)。

世の中の動向のトレンドとサイクルを見極めよ(P.243)。

ある会社や、ある個人が、みんなから悪口を言われて、たいへん厳しい状況にあるとき。そんなときこそ、投資を検討するまたとない機会だ。なぜならば、人は苦境に苦しんでいるときに応援してくれた人のことを、けっして忘れないものだからだ(P.253)。