『戦争で死ぬ、ということ』

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「戦争で死ぬ、ということ」
島本慈子

読後の感想
石器時代から、鉄器を経て、そして銃器へ、時代が移り変わるにつれて、戦いの道具はどんどん進化していきます。人を殺すという結果は変わらないものの、道具によって変わってきたのは、殺す側はどんどん苦労しなくなっているということでしょうか(もちろん、そのために進化してきたのですから)。
しかし、逆に言うと殺される側の(死ぬ側の)苦しみはあんまり変わっていないように思います。

この本は、単に被害者側からの感情を書き連ねた本ではありません。主に大東亜戦争を中心的に記載していますが、生き残った人の記憶を頼りにその状況を一貫してフィールドワークを中心に書かれています。
つまるところ、こういうことがあった、という情報ではなく、その場面・その瞬間を立ち会った(生き残った)人の記憶を頼りに書かれているのです。
いきおい、感情移入しそうなものですが、なかなかそうはならないのは、やはり著者が戦後生まれで大東亜戦争を経験していないという点があるので、第三者としての視点を強く意識しているからということによるものでしょうか?

特に心に突き刺さったシーンのひとつとして、原爆を体験し生き延びた女性にその状況を尋ねる場面があります。

一回に何千何百の死体を見るなんて、それも普通の死体じゃないのを見るなんて、そんなことありえないでしょう。いまならひとり死んでもおおごとで、ニュースになるでしょう。それが、「一日で何百人」ですよ、一回の視野に入るだけで。歩いていくごとに、いろんな形の死に方が目に入ってくるなんて、そんなことありえないじゃないですか。そしてにおいが・・・・・・。あのにおいだけは映像でも文字でも伝わらないですね、あのにおい」
ーどういうにおいですか。
「だからそれは言えないのよ。公園とか校庭とか広場という広場で、毎日毎日、二十四時間死体を焼くんです。でも油もないし、うまく焼けないから生焼け。人を焼くにおいなんて、もうそれはたとえようがない、それまでも、その後も体験したことのないにおい。鼻から入ってくるようなものではなくて皮膚にまとわりつくような、毛穴から体にしみこんでくるような。たとえられないから、あなたに伝えることができないけれど、私にはいまもはっきり感じられる」(P.112)。

言語化できない、映像化できないものについて語り継ぐ必要があると思います。

余談ですが、広島にある原爆の記念館で、原爆直後の人を模した人形が怖いということで撤去されるそうな。人形ですら怖いのか。人形になってしまえばそこで想像力は止まってしまう。本当に怖いのは、形になったものではなく言葉で伝えられて、想像が無限に広がるものだと思います。

広島市は14日、原爆資料館(中区)に展示している、やけどを負った被爆者の姿を再現したプラスチック人形を2016年度にも撤去する方針を示した。館内の展示を遺品などの実物資料に切り替える見直しに合わせる。印象が強く、広く知られた人形の撤去について、来館者たちの受け止めが分かれた。

 この日、市議会予算特別委員会で議題に上った。委員の一人が「旅行代理店のアンケートに、人形が怖いとの意見があった」と指摘。石田芳文・被爆体験継承担当課長は「本館リニューアル後は、展示しない方向で検討している」と述べた。本館は16~17年度に改修を計画している。

 平和学習に訪れた広島の子どもが後々まで、人形に脅えた経験を語る姿は珍しくない。14日に訪れた埼玉県所沢市の中里三代子さん(77)は「被爆の実態を伝えるためには、この人形は必要だ」と撤去を惜しむ。山梨県都留市の大学生東将太郎さん(19)は「写真や遺品など実物の方が胸に迫る。作り物はいらない」と話していた。

原文はこちら

印象的なくだり

薬害による死、公害による死、安全の手抜きによる事故死・・・・・・人が不当に生命を奪われる悲劇がいまもあとを断たない。だが、それらの悲劇においては、「殺してよかった」と殺人が正当化されることはない。「戦争で死ぬ」ということは他のあらゆる死と一線を画している、それは「正当化される大量殺人」であるという点において(P.019)。

むのたけじ(本名:武野武治)は、一九一五年(大正四)、秋田県の農家に生まれた。むのが成長して新聞記者になっていく個人史を社会情勢と重ねれば、それはそのまま、戦時の言論弾圧が完成していく過程である。
むのが生まれる前、一九〇九年には新聞紙法が公布される。これは新聞弾圧の基本法といえるもので、第二十三条で、記事が「安寧秩序」を乱すと内務大臣が判断したときは、内務大臣の権限で新聞の発売・配布を禁止できる、と定めている。
悪名たかい治安維持法の成立は一九二五年、むのが小学生のときだった。その第一条は「国体を変革し、または私有財産制度を否認することを目的として」結社を組織したり、それに加入したりすれば、十年以下の懲役あるいは禁固と定めている。
治安維持法は普通選挙法との抱き合わせで成立した。普通選挙法が公布された一週間後に、治安維持法が施行されている。それまでの財産制限をとりはらい、満二十五歳以上の男子に選挙権を与えた普通選挙法が「時代に対応した新しい人権」として明るいイメージを振りまき、見事な「目くらまし効果」を発揮したため、治安維持法ができた当時、その危険性に気づいた人はほとんどいなかったという。しかし法律というものは、いったん枠組みができれば、あとは「改正」「改正」の繰り返しで膨張していく(括弧内省略)。治安維持法も成立から三年後の一九二八年二は改正されて最高刑が死刑となり、刑罰の適用範囲も自由に拡大解釈されて、「人身の押さえ込み」に猛威をふるった(P.048)。

航空機の発達は空からの爆撃も促した。前田哲男「戦略爆撃の思想」によると、イタリアの軍人ドゥーエは一九二一年に発表した著書で「交戦員と非交戦員の概念は時代遅れである。今日戦争をするのは軍隊でなく、全国民である」と指摘し、真の攻撃目標とみなすべきは都市、産業、鉄道、橋だと説いた。同時期にアメリカの軍人ミッチェルも、敵国の「国民全体が戦闘部隊であるとみなす、いやみなさなければならない」と主張したという(P.101)。

・・・ミッチェルって誰(笑

ある七十代の女性は、日中戦争当時、前線の兵士へ小学校からまとめて送る慰問の手紙に、「どうぞ名誉の戦死をとげてください」と書いたことを心の傷として語ってくれた。
「そのころ戦死は必ず名誉とセットになっていて、とても素晴らしいことだった。だから悪いことを書いているという気持ちはまったくありませんでした。でもあとで考えてみれば、「戦死をとげてください」という手紙を読んだ兵隊さんたちはどんなに悲しかったでしょうか。姉と当時を振りかえって、私たち馬鹿だったよね、と話すんですけど・・・・・・」(P.121)。

戦争は必ず言語統制をうみ、コントロールされた言論は死のリアリズムを遮断する。
死が抽象化されてしまうことが、「生きてかえるな!」「私も死にます!」という叫びを容易にする。
だから戦争が近づいてきたときには、意識して死のリアルに立ち戻り、「人間をこういう目にあわせても、なお戦争をやるのか?」と自らに深く問いかける必要がある(P.132)。

よく指摘されることだが、好戦的な人々は好戦的な女性を好まない。その理由のひとつは、男性を戦闘にかりだす動機づけとして、男に守られる女の存在が必要だからだろう。「国のために死ね」という言葉に従うことは難しくても、「愛する人を守るために死んでください」という言葉は受けいれやすい(P.136)。