平然と車内で化粧する脳
扶桑社
澤口 俊之, 南 伸坊
読後の感想
認知学の教授との対話形式の本。
基本的な概念まで戻って説明されているのでサクサク読めます。
結論としては、車内で化粧することが恥ずかしい、と認識する能力の欠如が原因。
恥というのはかなり高度の脳の仕組みを要求する。
幼形成熟化が進み、また社会生活の変化によって社会性を身に付ける機会が減った、というのが大枠です。
とても読みやすく分かりやすい本でした。
印象的なくだり
「生殖可能になるまで育つ子ども(遺伝子)をどれだけ次世代に残せるか」が、生物が生きる究極の目的ということになります。
この”次世代にどれだけ残せるか”という尺度を、生態学では適応度と呼びます。
生物は、適応度を高めること、つまり遺伝子をより多く残すような性質や行動を獲得することで進化していきます(P029)。
ネオテニーは、子どもが未熟になるというリスクも大きい反面、学習を含めた経験をたくさん積めますから、複雑で変動する環境にうまく適応できる能力が身につきます。
ですから、成熟した子どもを残すという点から見れば非常に確実性が高いんですよ(P031)。
ネオテニーは諸刃の剣なんです。幼年期の延長でより多く生きる知恵を学べるようになったのはいいけど、逆にいえば、ヒトの子どもはしかるべき子育てを受けなければ生きていけないようになってしまった。
とくにモンゴロイドである日本人はネオテニーが進んでいるのだから、それだけキチンと子育てをしなければいけないわけですよ(P040)。
脳内物質が出るとそれはやがて分解されて、代謝産物が血液や脳脊髄液の中に出てきます。
その量の増減で推測しているんです。
代謝産物と元の血中物質との間にはおそらく線形的関係…比例関係があるだろう、とにかく血中に増えたら脳にも増えているだろう……という前提で推測をしているわけです(P133)。
「日本人はなぜ恥知らずになったのか?」というのが、この本のテーマだったわけですが、先生のお答えは「前頭連合野の未熟性が助長された結果の脳の機能障害である」とこういうことになった(P147)。
我々がことわざを納得できるのは、そこで言われている価値観や倫理観が連綿とうけつがれているからですよね。
(中略)価値観や倫理観、社会の規範というのは、そうやってみんなが共有するからこそ成り立っているんです。理屈はいらない(P206)。
「話せばわかる」といいますが、話してわかるためには、まず話してわかるためのベースになるものが必要です。
価値観や倫理観が共有されて初めて、話し合いが成り立つわけですから。
その価値観、倫理観をどうやって植えつ付けるかというところが抜けてますよね(P207)。
知識になったくだり
「ネオテニー」は幼形成熟、つまり幼い時期の特徴を保ったままで成熟し、繁殖することをいいます(P013)。
たとえばモンゴロイドの肌は黄色ですよね。これは、雪や氷の反射で受ける強い紫外線への対策として色素が増加したんだと考えられます(P024)。
適応度を高めるために生物がとる戦略は、おおざっぱにいって二つあります。
まず一つは、子どもをできるだけ多くつくる戦略です。(中略)多産多死戦略ですね。これを生態学の用語はr-戦略といいます。
(中略)rは生態学のターム「内的自然増加率」の率、つまりrateの略です。
もう一つは、子どもの数を少なくして、その代わりていねいに、確実に育て上げようとする戦略です。これを少産少死戦略、K-戦略といいます。
こちらの集団は、環境収容力Kに近い密度で維持されるので、Kを使います(P030)。
他の人の書評を読んで
結論からすると、「シツケがなってない」とか「子供部屋なんて必要ない」とか「日本人なら米と魚だろ」とか、まるでそこらのオヤジが言っていることと変わりはありません。しかし、その根拠が「人類500万年の中で培ってきた」とか、「モンゴロイドのネオテニー戦略」とか、アカデミックな話になっていくので、教わる方としてはちょっと賢くなった気がします。
結論に対する感想としてはまさにそのとおり。
結論は同じでもそこに至る過程が異なるとこんなに説得力が増すんだなぁとしみじみ思いました。