『読書の技法』

『読書の技法』-佐藤優

読後の感想
どちらかというと趣味に近いと思われている読書を、ビジネス本に仕立て上げる点は流石です。
目的がない読書を避け、目的を持って本を選別するという点は僕の考えとは少し異なりますがその他は全面的に同意。
読む価値は大いにあり。

印象的なくだり

なぜ、読書術が知の技法のいちばん初めに位置づけられなくてはならないのだろうか。
それは、人間が死を運命づけられている存在だからだ。そのために、時間が人間にとって最大の制約条件になる。少し難しい言い方をすると、人間は、制約の中で、無限の可能性と不可能性を同時に持って生きている。読者自身の人生を振り返ってみよう。いまとは違った人生の可能性も十分あったはずだ(P.003)。

人生の制約条件という言葉を、「死」に置き換えるところに、合理的さを感じる。
単なる読書として終わらせるのではなく、人生の中に入ることによって大きな意味を持っている「知の技法」が読書なのだ。

基礎知識は熟読によってしか身につけることはできない。しかし、熟読できる本の数は限られている。そのため、熟読する本を絞り込む、時間を確保するための本の精査として、速読が必要になるのである(P.044)。

知識を早くつけるために速読をするのではない。実は、熟読しなくてもいい本を選別するために速読をする、というのは制約条件の考え方からの発想であろうと思う。時間がいつまででもあれば、ずっと本を読んでいても構わないはずだから。

読者が知りたいと思う分野の基本書は、3冊もしくは5冊購入すべきである。
1冊だけの基本書だけに頼ると、学説が偏っていた場合、後でそれに気づいて知識を矯正するのには時間と手間がかかる。ちょうど我流で、最初に間違った平泳ぎの仕方を覚えると、後でそれを直すのが大変なのと同じである(P.055)。

最初に、間違った知識を取り込むと後々苦労するよ、という事例。

ビジネスパーソンの場合、満員電車の吊り革につかまりながら、これらの作業をすると周囲に迷惑をかけるのでやめる。出世するうえで重要なのは、自分の生活習慣から他人に嫌われるような要因を少しでも除去することである。そのためには自分がやられて嫌なことは他者に対してしないということが基本だ。
特にがっついているビジネスパーソンは周囲の様子が見えなくなることが多い。その意味で、満員の通勤電車は、マナーを鍛えるためのよき道場と考えることだ。語学学習のためにiPodを聞くときも「音漏れ」がないように注意するなど、他者に対する配慮を怠らないようにすると、後で必ず生きてくる(P.065)。

これは非常に良く分かります。
電車の中でこういう人を見ると「この人、人間関係とかダメなんだろうな」と思わざるを得ません(自発

雑誌だからといって、読者は書店で、必要部分だけを携帯電話のカメラで撮影するなどという著作権侵害はしないことだ。出世するということは、資本主義社会のルールに従ってゲームに勝ち抜いていくことである。書店や出版社、著者の商売を侵害する盗撮の習慣などが身につくと、将来、もっと大きなルール違反をして、結果として出世街道から外れることになるだろう(P.090)。

「出世」についての再定義が面白い。
資本主義のルールは、道徳だったり常識と言われるものとは少し異なり、きちんと勉強しないと見につかないようなものであろう。

労働力とは、人間が労働する能力のことだ。労働力が商品化されるということは、労働力にも商品としての価格があるということだ。この価格が賃金である。
マルクスの『資本論』の論理を適用すると、1ヶ月の賃金は3つの要素によって構成されている。第一は、労働者が家を借り、食事をとり、服を着て、それにいくばくかのレジャーをして次の1ヶ月間労働するエネルギーを蓄えるのに必要な費用。第二は、労働者が家族を養い、子どもに教育を受けさせ、次世代の労働力を養うために必要とされる費用。第三は、労働者が技術発展に対応して新たな仕事に対応できるようにするために必要とされる費用だ。
いまの日本では、年収200万円以下の給与所得者が1000万人を超えている。これでは、前述の第一の要素をかろうじて維持することができるのみで、次世代の労働力を再生産することができない。日本の資本主義体制を維持・発展させるという観点から、企業経営者が貧困対策についてもっと真剣に考えるべきだ(P.166)。

言語学や哲学の極めて難しい問題を、出口氏は高校生(あるいは国語が得意な中学生)に理解できるように説明している。本当に優れた教師は、天才が難解な論理で説明したことを、普通の人が理解できるように言い換えることができる。
ビジネスパーソンが仕事で読むテキストに関しても、そのテキストが書かれた文脈を理解しながら、著者の意図に即して読むことが大切だ。そのうえで、批判的な検討を加える。感情や勘でテキストを読んではならないのである(P.187)。

出口先生といえば、高校生のときに塾の国語を教えてもらっていたなぁ。予備校の先生って受験対策だけをしてる訳ではないんだね。
著者の意図通り読むのは本当に難しい。ずれていないか、間違っていないかと確認しながら読まないと常にずれていまう。

本当に大事なことは、二度と繰り返しません。逆なんです。本当においしいことは、一回しか言わないよ。
例えば、今、この場で、僕が同じことを何十回も繰り返し言ってごらん。みんなかえって聞かないに違いない。くどいな、また同じことを言ってるって。ましてや、活字に残すとなると、こんな下手な文章はないでしょう。
筆者は職業作家なので、物を書くことで生計を立てている。その立場からしても出口先生の言っていることは正しい。
本当に言いたいことを何度も繰り返すと、読者に飽きられてしまい、いちばん伝えたい内容が印象に残らなくなってしまう。同時に、伝えたい内容の骨子を1回書いただけでは、読者の印象に残らない。
したがって、反復が不可欠になる。多くの作家は(おそらく無意識のうちに)、いちばん伝えたい内容について、自分の言葉で1回だけ述べ、それ以外は、他人の口を借りてその内容を読者に印象づける。だから、引用はとても重要な意味を持つ(P.191)。

マンガの話でアレだが、『ドラゴン桜』の芥先生も同じ事をおっしゃっていた。現代文の問題と解くときに、文章と言うのは同様の意味を伝えるため、文章を変え、何度も同じ内容が反復しているのだと。
これって伝える技術のお話なんだろうか。

ときどき読者から、「あなたも作家で、大学で教鞭をとっていたこともあるのだから書いたらどうだ」という提案を受けるが、それは筆者の能力を超えるので断っている。知識を習得していることと、それを他者に伝達可能な形で伝えることとの間には大きなギャップがあるからだ。
少なくとも、教育現場で教養に関する知識を伝達する経験(官僚をやりながら大学で専門科目を講義するのは、このような経験には含まれない)のない人によい教科書を書くことはできないと考える(P.210)。

自称専門家は胸に手を当ててじっと考えるべし。

逆に夜は、極力、執筆活動は行なわない。このことを筆者は、ドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーの著作から学んだ。ボンヘッファーは、「夜は悪魔の支配する時間なので、夜中に原稿を書いてはいけない。夜中に原稿を書くことを余儀なくされた場合、翌日太陽の光の下でもう一度その原稿を読み直してみること」と述べているが、確かにそのとおりだと思う(P.242)。

いわゆる、夜に書いたラブレターのお話。それをこんな感じで格好良く書けるようになりたいもんだなぁ(次回からこの文章を拝借しようと画策中)。

次から実行しようと思ったくだり

普通の速読の技法3
定規を当てながら1ページ15秒で読む
(中略)
速読において時間をロスする最も大きな要因は、内容にひっかかってしまい、同じ行を何回も読み直すことだ。
これを直す技法がある。定規を当てながら速読するのだ。そうすると、同じ行を重複して読むことを避けることができる(P.092)。

ゆるい形で本を読む習慣が身についてしまうと、いくら本を読んでも知識を取り入れても、頭の中に定着していかない。本を読んで、「あっ、自分も知っている」という感覚は味わえても「では、どう知っているのか」と突っ込んだ質問を改めてされると応えられないのだ。それは、取り込んだ知識が自分の中で定着していない証拠である。
10冊の本を読み飛ばして不正確な知識をなんとなく身につけるより、1冊の本を読み込み、正確な知識を身につけたほうが、将来的に応用が利く(P.101)。

まさにその通りの文章。
この抜書だって、有る意味時間をかけてやることではない、と考えている人も多いかもしれないが、それでもなお、抜書をし、有る程度まとめて形にすることによって、自分の中での定着が強くなる、と信じてやっています。

参考文献
『ソロモンの指環 動物行動学入門』
『新体系 高校数学の教科書』芳沢光男
『もう一度 高校数学』高橋一雄