読売ウィークリー
気になった記事は、「サブカルチャーの高級化(P056)」。
今年になって初めてゴスロリとかパンクとかの洗礼を受け(自分がではないですよ~)、そんな世界が(しかも身近に)あることを知り、興味津々で読みました。
高橋盾のブランド「アンダーカバー」の展示会のお話。
ドクロプリントのTシャツ、8,500円。銀色の蜘蛛のワンポイントのポロシャツ、15,000円。
「ドクロや蜘蛛などといえば、反体制ファッションのシンボルだったはずだ。こうしたものが高価な値段で大人のためのハイファッションとして、消費されていることが不思議だ。サブカルチャーとしての反体制ファッションはもはや存在しないということか」。
つまるところ、着ているものや持っているもの、センスなどでその人の思想を表す時代はもう終焉を迎えているということだろうか。
>つまるところ、着ているものや持っているもの、センスなどでその人の思想を表す時代はもう終焉を迎えているということだろうか。
音楽でも、反体制的なポジションを取っていたはずのロック、そしてそれの後の世代のブラックミュージックも、商業主義に飲み込まれましたよね?(MTV化?)
結局、それをかっこいいと思う人と、それで儲かると思う人がいる限り、サブカルチャー→商業化という流れがあって、永遠に(商業化されていない)先端というものはごく短い時間なんじゃないかな、と思います。
>サブカルチャーとしての反体制ファッション
というのが具体的にはイメージできませんが、今のメジャーブランドだと、ヴィヴィアン・ウェストウッドというのがいろいろな源流ですよね?これも値段的にはいい値段します。(Tシャツ2~4,5万とか)
反体制的な位置づけで活動していても、それ自体は商業主義やブランド化の一つでしかないという感じかなーと思ったり。ロック歌手の反戦活動とかも本気の人もいるかもしれないけど、ポーズにしか見えない人も多いですしね。
音楽はよく分かりませんが(たぶん同じ?)、ポップ系のカルチャーの先端(つまりサブカルチャーか、それにすら分類される前)は、ごく一部のマイノリティーから進むし、この時点では商業化されてないですよねーっ。
ちなみに、パンク(はブランドによるけど)とかゴスロリとか本気でやると結構お金かかると思います。もちろん、そこで服地の種類や、縫製の出来なんかを見るあたりが駄目なんですが..
逆にこの辺を見ることで、その人の思想とか背景が見えるのかもしれませんが…(ともかく商業化が激しい業界だ)
サブカルチャーの高級化ですか。
へぇ、まあジーンズが2万円する時代ですからねぇ。
もはや「サブカル」とか「反体制」という言葉がもうピンとこなくなってる。
そもそもハイカルチャーの元気がないんで、そう見えるんじゃないかなぁ。
月曜会はハイカルチャーの復権を試みるすごく反動的な会なんですけどね(笑)
サブカルというカテゴリーのポジショニングがなんかハイカルチャーに寄ってきて、ごちゃごちゃになってる。
アニメなんかも村上隆なんかが完全にハイカルチャーとして海外に認知させちゃったし。
「着ているものや持っているもの、センスなどでその人の思想を表す時代の終焉」というよりは、ハイカルチャー/サブカルチャーの境界が以前と比べて
なくなってしまってるので、旧時代的な見方では判断できなくなってるだけのような気がします。私は根底では、文化的な格差もまた収入格差と同じように進行している、と思ってます。