『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』

『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』
PHP研究所
田坂広志

読後の感想
かなりクセのある文章を書く方です。かぎかっこ、英単語の多用、見栄えを求めてかインデント処理の乱用、と気になる人は我慢して読む必要があります。
これだけ強調を意味する記号が並んでいると、相対的に印象度が下がるのが逆効果だと思うのですが。
ところが、内容は非常に簡潔で分かりやすく、また実践的です(そこがまた非常に残念なのですが)。
簡潔に書くと、個としての独立、について書かれています。自分が特に共鳴したのは第六話「パーソナリティ・メッセージ」の戦略でした。偶然ながら、その章で書かれているブログを始めること・ネットラジオをすることは既に自分も始めており、自分の中でうまく言語化できていなかった部分が表現されていて、きちんと納得できました。
全体的に、結論よりも過程重視の論述で、自分の中に落とし込む作業が必要です。

本を読んだ時期もよかったです。自分の所属しているコミュニティの運営方法などで考えることも多く、その意味では第五話は思考過程の手助けとなりました。
こんな多くの気づきのある本を導いてくれたNさん感謝です。

印象的なくだり
そして、我々がこれからの「キャリア戦略」を考えるとき、「活躍する人材」と「求められる人材」、この二つを区別して考えることが、極めて重要である。
我々は、しばしば、この二つの言葉を混同して使ってしまうが、実は、この二つの言葉はまったく違う意味の言葉である。
「求められる人材」とは、文字通り、「人材市場において、ニーズがある人材」のこと。
これに対して、「活躍する人材」とは、「職場や仕事において、リーダーシップを発揮する人材」のことである。
そして、この定義に従うならば、これからの「知識社会」において、「知識労働者」は、「求められる人材」にはなれても、「活躍する人材」になることは保証されていない(P041)。

(前略)ネット革命の結果、「専門的な知識」といった「言葉で表せる知識」は、誰でも簡単に入手できるようになり、「知識」を持っていることそのものは、相対的に大きな価値を持たなくなった(P043)。

「コンステレーション」とは、心理学用語であり、日本語では「布置」と訳されているが、この言葉は、日常用語としては、別の意味がある。
それは「星座」のことである。すなわち、本来、まったく関係のない位置にある夜空の星々が、「オリオン座」や「さそり座」など、ある意味を持った星座を形成しているように見えることを、「コンステレーション」と呼ぶ。
同様に、世の中の様々な情報やキーワードを眺めていると、それらの中のいくつかの情報やキーワードが互いに結びつき、一つの「意味」や、一つの「物語」を語っているように見えてくることがある(P071)。

(前略)「個人シンクタンク」としての「メッセージ力」は、具体的なメディアを通じてメッセージを発信し続ける修練以外には、鍛える方法がないからである(P089)。

第一の逆説は、「間接話法」の有効性である。
「メッセージ発信」というと、多くの人は、「自分の意見を、いかに説得力を持って主張するか」を考える傾向にあるが、実は、メッセージ発信においては「自分の意見」を直接、強く主張するよりも、「自分が共感する意見を紹介する」という方法が、結果として、柔らかな説得力を持つことが多いのである(P093)。

第二の逆説は、「情報整理」の創造性である。
「メッセージ発信」というと、多くの人は、「いかにして、創造的な意見や主張を述べるか」を懸命に考え、情報を整理することは、あまり創造的な仕事ではないと考える傾向にあるが、実は、情報の整理を徹底的に行っていると、むしろ、未開拓の領域が発見できたり、新たな切り口が見えてきたりするため、そこに創造性が生まれることが多いのである(P094)。

そもそも、「智恵」とは、経験や体験を通じてしか掴めないもの。しかし、逆に言えば、何かの経験や体験を持っているならば、それを自覚していなくとも、かならず、無意識の世界で、何かの「智恵」を掴んでいる。しかし、我々は、せっかく優れた経験や体験を持っているにもかかわらず、しばしば、その「智恵」に気がついていない。
ところが、ある人の「体験談」や「エピソード」を聞いたとき、また、含蓄深い「物語」や「寓話」を聞いたとき、ふと、自分自身の過去の経験や体験が、その体験談やエピソード、物語や寓話と「共鳴」を起こし。そこに眠っていた「智恵」に気がつくときがある。
これが「気づき」と呼ばれる瞬間である。
すなわち、我々は、「智恵」を直接言葉で伝えることはできないが、「体験談」や「エピソード」、「物語」や「寓話」を通じて、相手が、自身の過去の経験や体験の中に眠っている「智恵」に気づくことを、助けることはできるのである。

しかし、このことは、恐ろしいことも意味している。
「経験の浅い人間」や「体験の無い人間」は、どれほど、含蓄のある体験談やエピソード、物語や寓話を聞いても、「智恵」を掴めないのである。仮に、「何かを掴んだ」と思っても、その多くは、「智恵」として掴むべきものを、単なる「知識」として理解しているに過ぎない。
いや、むしろ、問題はもっと恐ろしい。
「経験の浅い人間」や、「体験の無い人間」は、含蓄のある体験談やエピソードを聞いても、それと共鳴するべき豊かな経験や体験を持たないがゆえに、その体験談やエピソードを、ただ頭で理解し、「何だ、それだけのことか」「当たり前の話ではないか」「何も学ぶことのない話だ」といった反応をすることが多い。
第一の戦略で、「下段者には、上段者の力が分からない」と述べたが、こうしたことが、プロフェッショナルの世界の「恐ろしい部分」に他ならない
(P124)。

この「ギブ・アンド・ギブン」(Give and Given)の精神とは、敢えて日本語で表現すれば、「まず与えよ、されば与えれることもあるだろう」と称すべき精神である(P135)。