『目に見えない資本主義』

『目に見えない資本主義』
田坂 広志(たさか ひろし)
東洋経済新報社

読後の感想
単に数値化できないという意味ではなく、経済というものが根本から変化をしていくという点について、田坂さん特有の自問自答形式で書かれた本です。
そのきっかけはやはりインターネット。
ちなみに、最もドキドキした部分は目に見えない報酬についてのくだり。
特に目新しい主張自体は見受けられないが大部分について同意できることばかりでした。

第一は、「操作主義経済」から「複雑系経済」へ
第二は、「知識経済」から「共感経済」へ
第三は、「貨幣経済」から「自発経済」へ
第四は、「享受型経済」から「参加型経済」へ
第五は、「無限成長経済」から「地球環境型経済」へ

読後にご本人にお会いして、講演を拝聴したのですが、本に書いてある通りのことに
かける思いを熱く語られる方でした。ロマンチスト。
そのままのことをそのまま心から信じてるような方でした。

本書とは直接の関係はないのですが、田坂さんが「使命」と称していたくだりにはいたく感激しました。
洋書によくある(『7つの習慣』とか)ミッションとは、どのように訳して理解すればいいのかとずっと腑に落ちない思いをしていたのですが、今後ミッションは使命と理解することにしました。
それからミッションステートメントについても、再度理解を深めたので書き直してみようと思いました。

印象的なくだり

アダム・スミスが語った「神の見えざる手」という言葉。
(中略)
すなわち、「神の見えざる手」は、市場を必ずしも均衡と秩序に導くだけではない。それは、ときに、市場をカタストロフィー(破局)に導き、経済システムを崩壊させる可能性があることを教えている(P.065)。

ではなぜ、現在の経済学において、これらの「知識資本」「関係資本」「信頼資本」「評判資本」「文化資本」といった資本を評価し、扱うことが難しいのか。
それは、これまでの経済学が、「貨幣」という客観的尺度で評価できるもの、いわば「目に見える資本」だけを対象としてきたからであり、これに対して「知識資本」「関係資本」「信頼資本」「評判資本」「文化資本」といった資本は「貨幣」という尺度で評価できない「目に見えない資本」だからである(P.083)。

(前略)、ある革命の結果、こうした「目に見えない資本」が見えるようになり、その影響力を増大しているからである。
その革命とは、言うまでもなく、一九九五年頃に始まったインターネット革命である。
この革命によって、ウェブサイトやブログが誰にでも使えるようになり、BBS(電子掲示板)やネット・コミュニティなど誰もが参加できるようになった。その結果、「知識」や「関係」、「信頼」や「評判」「文化」といったものが、「目に見える」ようになり、ビジネスや社会において、圧倒的な影響力を発揮し始めているのである
(P.091)。

ある人間観にもとづいて生み出させる制度は、
その制度が社会に定着するにつれ、
逆に、その制度が想定する人間を増やしていく(P.155)。

「使命」(P.158)。

真の倫理観とは、「悪いことをしてはならない」という教育によって育まれるものではない。
真の倫理観とは、「良きことを為そう」という教育の結果、人間性が高められ、自然に身につくものである(P.159)。

『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』

『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』
PHP研究所
田坂広志

読後の感想
かなりクセのある文章を書く方です。かぎかっこ、英単語の多用、見栄えを求めてかインデント処理の乱用、と気になる人は我慢して読む必要があります。
これだけ強調を意味する記号が並んでいると、相対的に印象度が下がるのが逆効果だと思うのですが。
ところが、内容は非常に簡潔で分かりやすく、また実践的です(そこがまた非常に残念なのですが)。
簡潔に書くと、個としての独立、について書かれています。自分が特に共鳴したのは第六話「パーソナリティ・メッセージ」の戦略でした。偶然ながら、その章で書かれているブログを始めること・ネットラジオをすることは既に自分も始めており、自分の中でうまく言語化できていなかった部分が表現されていて、きちんと納得できました。
全体的に、結論よりも過程重視の論述で、自分の中に落とし込む作業が必要です。

本を読んだ時期もよかったです。自分の所属しているコミュニティの運営方法などで考えることも多く、その意味では第五話は思考過程の手助けとなりました。
こんな多くの気づきのある本を導いてくれたNさん感謝です。

印象的なくだり
そして、我々がこれからの「キャリア戦略」を考えるとき、「活躍する人材」と「求められる人材」、この二つを区別して考えることが、極めて重要である。
我々は、しばしば、この二つの言葉を混同して使ってしまうが、実は、この二つの言葉はまったく違う意味の言葉である。
「求められる人材」とは、文字通り、「人材市場において、ニーズがある人材」のこと。
これに対して、「活躍する人材」とは、「職場や仕事において、リーダーシップを発揮する人材」のことである。
そして、この定義に従うならば、これからの「知識社会」において、「知識労働者」は、「求められる人材」にはなれても、「活躍する人材」になることは保証されていない(P041)。

(前略)ネット革命の結果、「専門的な知識」といった「言葉で表せる知識」は、誰でも簡単に入手できるようになり、「知識」を持っていることそのものは、相対的に大きな価値を持たなくなった(P043)。

「コンステレーション」とは、心理学用語であり、日本語では「布置」と訳されているが、この言葉は、日常用語としては、別の意味がある。
それは「星座」のことである。すなわち、本来、まったく関係のない位置にある夜空の星々が、「オリオン座」や「さそり座」など、ある意味を持った星座を形成しているように見えることを、「コンステレーション」と呼ぶ。
同様に、世の中の様々な情報やキーワードを眺めていると、それらの中のいくつかの情報やキーワードが互いに結びつき、一つの「意味」や、一つの「物語」を語っているように見えてくることがある(P071)。

(前略)「個人シンクタンク」としての「メッセージ力」は、具体的なメディアを通じてメッセージを発信し続ける修練以外には、鍛える方法がないからである(P089)。

第一の逆説は、「間接話法」の有効性である。
「メッセージ発信」というと、多くの人は、「自分の意見を、いかに説得力を持って主張するか」を考える傾向にあるが、実は、メッセージ発信においては「自分の意見」を直接、強く主張するよりも、「自分が共感する意見を紹介する」という方法が、結果として、柔らかな説得力を持つことが多いのである(P093)。

第二の逆説は、「情報整理」の創造性である。
「メッセージ発信」というと、多くの人は、「いかにして、創造的な意見や主張を述べるか」を懸命に考え、情報を整理することは、あまり創造的な仕事ではないと考える傾向にあるが、実は、情報の整理を徹底的に行っていると、むしろ、未開拓の領域が発見できたり、新たな切り口が見えてきたりするため、そこに創造性が生まれることが多いのである(P094)。

そもそも、「智恵」とは、経験や体験を通じてしか掴めないもの。しかし、逆に言えば、何かの経験や体験を持っているならば、それを自覚していなくとも、かならず、無意識の世界で、何かの「智恵」を掴んでいる。しかし、我々は、せっかく優れた経験や体験を持っているにもかかわらず、しばしば、その「智恵」に気がついていない。
ところが、ある人の「体験談」や「エピソード」を聞いたとき、また、含蓄深い「物語」や「寓話」を聞いたとき、ふと、自分自身の過去の経験や体験が、その体験談やエピソード、物語や寓話と「共鳴」を起こし。そこに眠っていた「智恵」に気がつくときがある。
これが「気づき」と呼ばれる瞬間である。
すなわち、我々は、「智恵」を直接言葉で伝えることはできないが、「体験談」や「エピソード」、「物語」や「寓話」を通じて、相手が、自身の過去の経験や体験の中に眠っている「智恵」に気づくことを、助けることはできるのである。

しかし、このことは、恐ろしいことも意味している。
「経験の浅い人間」や「体験の無い人間」は、どれほど、含蓄のある体験談やエピソード、物語や寓話を聞いても、「智恵」を掴めないのである。仮に、「何かを掴んだ」と思っても、その多くは、「智恵」として掴むべきものを、単なる「知識」として理解しているに過ぎない。
いや、むしろ、問題はもっと恐ろしい。
「経験の浅い人間」や、「体験の無い人間」は、含蓄のある体験談やエピソードを聞いても、それと共鳴するべき豊かな経験や体験を持たないがゆえに、その体験談やエピソードを、ただ頭で理解し、「何だ、それだけのことか」「当たり前の話ではないか」「何も学ぶことのない話だ」といった反応をすることが多い。
第一の戦略で、「下段者には、上段者の力が分からない」と述べたが、こうしたことが、プロフェッショナルの世界の「恐ろしい部分」に他ならない
(P124)。

この「ギブ・アンド・ギブン」(Give and Given)の精神とは、敢えて日本語で表現すれば、「まず与えよ、されば与えれることもあるだろう」と称すべき精神である(P135)。