『起きていることはすべて正しい』

『起きていることはすべて正しい』-勝間和代

目次
はじめに ”メンタル筋力”と「運をつかむ勝間式4つの技術
第1章 「偶然を幸運に変える」セレンディピティの技術
第2章 あなたの潜在意識が目覚める!脳内フレーム120%活用法
第3章 「99%捨て、1%の本質をつかむ」即断即決法
第4章 「4つのダイヤ」を引き寄せるパーソナル資産増強法
第5章 勝間式人間関係の兵法-「5つのわがまま力」で年収が20倍になった秘密
おわりに 起きていることはすべて正しい

読後の感想
カツマーブームが去って、忌憚なく読むと割と良かった(笑
感想はこの一文に集約されています。

最後になりますが、こういった幸運を呼び込む力は、決して「勝間和代だけができた」「勝間和代だからできた」のではありません。ほんのちょっとした考え方の違い、習慣の違いであり、また、技術の違いで誰もができることだと確信しています。
どうやって、「起きていることはすべて正しい」と正面から事実を受け止め、潜在意識を活用し、即断即決し、自分の経験として蓄積し、そして周囲と調和しながら社会に貢献できる道を探していくのか、この繰り返しが私たちのメンタル筋力を強くし、不幸に遭遇したときの瞬発力を高め、幸運に、実力にと変化させていくのです(P.326)。

そりゃあ、本文に書かれていることを徹底してやれば勝間さんじゃなくても出来るでしょうが、これほど徹底してやる人は一般の人には無理です(そのほかの日常生活に支障が生じます)。
前提条件の違いなのか、はたまた覚悟の違いなのか分かりませんが、誰でもできるは言い過ぎです。

抜書の多さから察するに、勝間さんのこと意外と嫌いでない可能性があります(笑

印象的なくだり

本を読むということは、先人の経験を疑似体験することだと思っています。その場合には、
1.自分の知らないことを知る
2.すでに知っていることだけれども、より深く理解する
3.経験したこと、ぼんやりとわかっていることだけれども、それをスッキリと「言葉」や「手法」の形でまとめてもらう
など、何らかの付加価値が読者の方にとって必要だと考えています(P.005)。

「単なる疑似体験」にとどまらずきちんと分析すると、僕は2.が多いかもしれないなと思います。ちゃんと統計とって見るときっと違うんだろうな~。

具体的には、私が20代の頃、まずひきこもらずに、何か問題が起きたときに解決する初歩的な手法は下記の3つの手段です。
1.まずは自分が抱えている問題は何か、正面から向き合って定義をすること
2.その問題を、信頼できる他人(直接の知り合いか、場合によっては本の著者でもいい)に開示して、どうしたらいいかとアドバイスを求め、それを愚直に実行する習慣をつけること
3.1と2を繰り返すことで、だんだんと解ける問題の範囲を広げていき、解決策のカードをたくさん集めることで、新しい問題が起きたときにパニックに陥らず、問題解決に気持ちを向かわせること。
もちろん、最初に問題を他人に開示するということは勇気が必要だと思います。
しかし、私もこのような本を書いてみなさんの問題解決の手助けをしようとしていますし、多くの人が他人の問題解決を手伝うということは、相手のホッとした顔、喜ぶ顔、成長した姿を見ることで、相手の役に立ちたいというのは、人間の根源的な喜びです。ですから、ぜひ、恐れずに、周りの人に力を借りてほしいなと思います。そして、私たちも、力を貸せるときには積極的に他の人に力を貸すようにしたいのです(P.045)。

困ったときの対処法としての抜書。意外とできるようで、できないと思います。
逆に誰かの手助けをする際には、アドバイスのコツとして覚えておこうと思いました。かつで仕事で人事採用の面接をしていた際に「お客様(や困った人)の手助けがしたいんです」と主張していた志望者に、「どのように手助けがしたいのですか?」と尋ねたら、みんな軒並み口を噤んでしまっていたことを思い出しました。

技術を支える4つの要件
ここで「技術」と私が呼んでいるものは何かと言うと、以下の4つの要件を備えている行動習慣を想定しています。
1.再現性高く実現でき、
2.継続可能で、
3.比較的早期から効果が現れ、
4.長期に効果が持続するもの
「再現性が高い」というのは、人によって効果がある人もそうでない人もいるというのではなく、実行したほぼ大半の人に効果が出るというものです。
「継続可能」というのは、日常の習慣の中に落とし込みやすいものです。
「早期から効果が現れる」というのは、数日から長くても数週間のうちに効果が実感できるものです。
そして、「長期に効果が持続する」とは、その効果が頭打ちにならずに、続ければ続けるほど、効果がより増し、持続するものを指します(P.058)。

私がなぜ批判をしないかと言うと、2つの理由があります。
1つには、自分の現在の読書力が絶対でないと思っているからです。本当はすばらしい本なのに、私が見逃している可能性があります。それなのに、その本をつまらないと批判してしまうのは、相手に対して失礼です。
もう1つの理由は、その批判をしたとしても、私の運命過程の成長パスがよくならないからです。良書のいいところを吸収して、それをこれからの自分のディシジョン・ツリーの中の判断材料に用いて強化をすることで、運命過程の成長パスがスパイラル的にらせん状に上がり、好循環になることを狙います(P.094)。

む、前者は一部同意で後者は不同意ですね。確かに、僕の読書力なんてたかが知れているので、著者に対して失礼に当たることも書いている可能性が高いですが、それは自分の今のレベルでの理解度をアウトプットすることで、後々読み返すことにより成長を実感するために書いています。つまるところ、○年前の自分はこの程度しか理解してなかったのか…とするために書く意味があると思います。後者はなんでしょうね。悪書の悪いところだけを排除することにより、これからの自分のディシジョン・ツリーの中の反面教師とすることによって、運命過程の成長阻害要素を排除でき、悪循環を防ぐこともできるのでは?(もちろん僕自身も何を意味しているか、良く理解していません
勝間さんの素晴らしいところは、非常に分かり易い文章の後に、落差のある文章を持ってくることで、ギャップを最大限に利用していることだと思います(ニヤリ

よく「忘れてしまう」と言いますが、どちらかと言うと、忘れたのではなく、想起できなくなっている、思い出せなくなっているのです。「想起できない」と「忘れる」というのは違うことで、忘れるというのは、どんなきっかけがあっても出てこないのですが、想起できないというのは、ちょっとしたきっかけがあれば、内容が表に出てくることです。
したがって、データベースに収納したことは、あまり忘れることはないので、逆に思い出せるようにタグをつけるほうが重要なプロセスになります。だからこそ、フレームワークとかインデックスとか、いろいろは言い方をこれまでしてきましたが、ヒモづけをすることが大事になります。
なるべく、いろいろな言葉を知っていたほうがいいというのも、私たちが認識しているものに対してタグづけがしやすくなり、想起しやすくなるためです(P.118)。

これは非常に分かり易い表現だと思います。
箱にしまったのは覚えているけど、どの箱に入れたか分からない状況をいうのでしょうか。
タグづけ、ヒモづけは非常に有用であることを実感したエピソードがあります。二十歳くらいのころ、一人で韓国に旅行に行ったのですが、旅行中ずっとシンディー・ローパーをヘッドフォンで聴いていました。すると、その後シンディー・ローパーを聞くたびに、旅行中に行ったあの町やお店、空気の感じやにおいまで鮮やかに蘇ってきたのです。
というわけで、ヒモづけが大事だというお話と、タグづけを間違えるとえらいことになるという教訓でした。

セレンディピティ=「与えられた機会を最大限に活かす」技術
すべてにおいて制限された環境や条件があり、その人が他の人よりも有利なことも不利なこともあります。しかし、万能薬や魔法の杖を探すよりは、与えられたものを使い尽くす、やり尽くす、ということが重要です(P.120)。

相手に対して不満や要望があるときには、まず何が不満かを丁寧に伝え、相手にこんな行動をしてほしいということを伝えます。
そして、こうした要望について、相手が理解せずに同じような問題を繰り返す場合、数回までは我慢して相手の改善要望を出しますが、それでも改善しない場合には、その相手とはなるべくつき合わないようにすることが無難です。
なぜなら、それは相手と自分の相性が悪いか、あるいは相手に学習能力がないので、つき合うだけこちらの人生の無駄になる可能性が高いからです、
私たちは、時間や会える人数も限られているので、わざわざ自分の三毒を呼び起こすような人とはつき合わないほうがいいのです。もちろん、仕事上、どうしてもつき合わなければならない人もいますが、そういう人とは、接触時間を少なくする努力をします(P.133)。

小さい頃から人に嫌われてはいけないと、繰り返し教育されてきたために、人に嫌われてはいけないという呪縛が、私たちを捨てる技術から遠ざけてきたのです。
しかし、人に嫌われないようにすることで、自分の優先順位がおろそかになり、結果として、誰にも価値を与えられないようになってしまうことは、私たちを育ててくれた親にも、いろいろサポートしてくれた社会にも、かえって申し訳ないことです。
私たちは1人で生きているのではないからこそ、自分の得意なことを見極め、自分が得意でないことについてはなるべく時間を使わないようにすることが、自分に対しても相手に対しても誠実な生き方となります(P.165)。

大石さんからずっと教わってきた効率化というのは、やることを効率化するのではなく、やることを「減らす」ことが1番の効率化だということです。これを、呪文のように言われてきました。
とにかく、やることを効率化するだけでは前に進まないので、優先順位の第1は、やるべきことの量自体を減らすということだけです(P.172)。

やるべきことを増やすのはとても簡単だ。でも減らすのは本当に難しいし、苦しい。しかもやめた後に、本当にやらなくていいのか?という強迫観念が襲ってくるというおまけつき。

1%の本質を残せる人はどこが違うのか
アイデアについては、やはり「garbage in , garbage out」とよく言っていますが、いい人やいい情報との出合いに尽きます。とにかく、人とよく会って、よい本をたくさん読んで、自分でよく考えることです。
たとえば、ランチミーティングはアイデア発想の宝庫です。
読書にしろ、人に会うにしろ、とにかく自分の人生は1回しかないため、その濃度を増やすには、他の人から疑似体験をするしかないのです。
この本もある意味、私の人生をみなさんに疑似体験していただいているのですが、どうやって疑似体験するかと言うと、人の話を聴く、人の本を詠む、あるいはブログを読む、雑誌でインタビュー記事を読むなど、ひたすら人の体験をコピーするしかないのです。
その中で自分の体験と人の体験が混ざり合ったときに初めて「ああこれなんだ」というアイデアが出てくるのです。
したがって、疑似体験だけは不十分で、そこに自分の体験が重なって初めて、「ああ、これか」という「A-ha体験」が生まれます。
「捨てられない人は、圧倒的にインプットの量が足りない」というのが私の考えです。
大量の情報のインプットの中で、捨てて、さらに捨てて、その結果として、インプット5対アウトプット5が実現できます。
人の体験を疑似体験し、自分の経験と化学反応が起きたら、その反応を早めに言葉にしたり、行動に落として、体感し、身につけていきます。
行動に落とす方法は人に話しても、ブログに書いても、本にして出版してもいいのです。行動に落とすほうも簡単で、とにかくやってみる、ということです。
うまくいっている人、チャンスをつかんでいる人の特長は、行動が早く、インプットもアウトプットも大きいということです(P.210)。

ちょっと長いけど非常に響いたので引用。僕自身は捨てられない人を自認しているわけですが、ここではインプットの量が圧倒的に足りないと評されています。むむむ。

『アイデアの99%―「1%のひらめき」を形にする3つの力』-1

『アイデアの99パーセント』
スコット・ベルスキ

読後の感想
タイトルの意味は何かな?と思いながら読み始めました。そしたら、一行目にいきなり核心を付く言葉が…

この本は、斬新なアイデアを絵に描いたもちに終わらせず、現実のものにするための本です。

クリエイティブな人たちは直感的に行動するというのが、世間一般の見方でしょう。即興でなにかを作ったり、勘で動いたりすることが、ある意味でクリエイティブな才能を持つことの証でもあります。ですが、クリエイターや起業家、そしてビジネスパーソンの中でずばぬけて生産性が高く、成功している人々をよく分析してみると、実行力に秀でていることがわかります。
つまり、アイデアを思いつくこと」は、プロセスのほんの一部にすぎません。おそらく全体の1%程度ではないでしょうか(P001)。

と出てきました。形にすることの大半は「実行できるか」にかかっていて、「思いつくこと」はできても、実行することが難しいので、結果みんな形にできない、というものです。
実際に自分も手帳に「ああなったらいいなぁ」とモヤモヤと思っていることはたくさんあるのですが、形にならないままのものがほとんどです(まぁ、別に思いついただけで、必要はないな、と捨てたものが大部分ですが…)。

この本が、アイデアを形にするために必要な「アイデア実現力」には三つの要素があると書いています。それは

アイデア実現力=(アイデア)+整理力+仲間力+統率力(P019)。

です。そのうち整理力と統率力は一般的な考えであり、そもそも自分の考えと似通っていたので非常にすっきりと理解できたのですが、仲間力の考え方は斬新でした。

どんな性格の人であれ、仲間やグループの力を借りるこ とは絶対に必要です。コミュニティはだれもがつまづく問題へのヒントを与えてくれ、幅広い知見にもとづいて、大きなインパクトをもたらすひらめきを与えてくれます。仲間を引き入れることの最大の利点は、他者への責任を負うことであり、これが常にアイデアを実行に移し続けるための拘束力になります。他者に対して責任を負うようになれば、クリエイティブな衝動が目に見えるプロジェクトになるのです。アイデアは根になります。コミュニティは創作意欲を育み、根に栄養を送るのです(P023)。

このように人は他人に対して責任を負う、という人間の本能的な部分を
利用した自己の制御方法は、誰も傷つかないいいやり方だと感じました。

つまるところ、どんな手法もやり続けることで、一番効 果が上がるのです。人それぞれにシステムは違いますが、生産性の高い人々は、自分の習慣の細かい部分に注意を払うことで、やる気を持続させています。アク ション・ステップを管理するシステムを作るときには、「持続できるもの」にしなければなりません。
アクション・ステップはアイデアを前進させるために実 行すべき具体的な事柄です。アクション・ステップがはっきりとして具体的であればあるほど、実行に移す際のハードルが低くなります。アクション・ステップ があいまいだったり複雑だったりすると、それを飛ばして、よりわかりやすいものに取り組んでしまいます。そうならないために、すべてのアクション・ステップを動詞で表すのです。
プログラマーに電話して、○○を話し合う
○○のためにソフトウェアをインストールする
○○の可能性を調査する
○○のサンプルを集める
○○のために資料を更新する
○○の問題に対応する
動詞で表せば、アクション・ステップを一目見ただけで、すぐにどんな行動が必要かわかります。また、同じ理由で、アクション・ステップは短い文書にしなければなりません(P052)。

デジタルな生活に慣れてくると、なんらかの規律をもたなければ受信箱を整理することがおぼつかなくなります。というのも、携帯デバイスと常時接続のおかげで、メッセージがあまりにも頻繁に流れてくるからです。電話、PCメール、携帯メール、対面-その他さまざまなオンラインの情報はもちろんのこと-といった延々と流れ込む情報によって、集中力は失われます。ですから、いわゆる「受け身の作業」の罠にはまらないように気をつけなければなりません(P073)。

次から次へとアイデアを生み出す人は、それだけ多くのプロジェクトに関わったり、自分ではじめたりしているはずです。プロジェクトの要素を書き出して整理し、実際の問題解決のためにあれこれと工夫し、アクション・ステップをやり遂げるには、膨大なエネルギーを必要とします。エネルギーは人間にとってもっとも貴重な資源です。持てるエネルギーには限りがあります。
(中略)
その貴重なエネルギーをどこに注ぎ込むかを決める場合、すべてのプロジェクトを「最高」から「休止中」までの範囲に添って一目でわかるように書き出してみましょう。現在進行中のプロジェクトにどのくらいのエネルギーを使うべきでしょう?
いつの時点でも、最大の注意を払うべきプロジェクトがいくつもあるでしょう。一方でそこまで重要でないプロジェクトや、今は休眠中のものもあるはずです。
(中略)
覚えておいてほしいのは、プロジェクトにかける時間の長さに従って分類するものではないということです。プロジェクトの重要性をもとに、それにどれだけのエネルギーを使うべきかによって、振り分けるのです(P080)。

自分の中でいま現在もっとも重要なプロジェクトはなにかを考えてみた。
実際に時間をかけているものとは異なった。ふむ。

次々と作業を続けていくうちに、プロジェクトが踊り場にさしかかり、自分を見失うことも少なくありません。アクション・ステップに圧倒され、終点が見えなくなったときが、その踊り場です。
(中略)
プロジェクトの踊り場から逃げ出すためのお手軽で魅力的な理由、それはもっとも危険なもの—新しいアイデアです。新たなアイデアは、エネルギーとやる気を取り戻してくれますが、それでは1つのことに集中できません。すると、どうなるでしょう?形にならないまま見捨てられたアイデアばかりが、踊り場にとどまることになるのです。新しいアイデアを常に生み出すことは創造性の本質の一部ですが、そこから離れられなくなると、自らの可能性を狭めてしまいます(P094)。

まるで、自分のことを言われているようです…
新しいことをやり始めるのは、前に進んでいるようで、実は本質から逃げているだけ。

上記の通り、決してクリエイティブな人だけに使える方法ではなく
むしろ大部分の非クリエイティブな人向けに書かれているのではないか
と思うくらいオススメの本でした。

ちなみに一番心に突き刺さった言葉は

「自分のキャリアは、100%自分の責任だ」(ロバート・キャプラン)

でした。
自己責任ではない。結果責任でもなく「キャリア」と線にすることによって責任の所在がより明確になるなぁ。

印象的なくだり

制約は実行を促す役割を果たします。制約が与えられないなら、自分からそれを求めるべきです。まず、希少な資源-時間、資金、エネルギー(人材)-からはじめるといいでしょう。また解決すべき問題をさらにかみくだくことによって、ある種の役に立つ制約を見つけることができるでしょう(P117)。

ものづくりの道のりで自信を持つためには、進歩が少し ずつ目に見えなければなりません。たとえば、列に並んで待つときがそうです。コンサート会場に入る人たちの長い列に並んでいると、ほんの数センチずつです が全員が前に進んでいくのがわかります。ですが、列は進んでいるのに自分のすぐ前の人だけが止まると、いらいらするでしょう。その人がすぐに列に追いつく とわかっていても、間が空くといらいらします。じっと立ったままで全身を感じられないといやなのです。生産的だと感じるには、列と一緒に動き続けていたい ものです。列と一緒に少しずつ動いていても(後で追いつくのに比べて)目的地に早く着くわけではありませんが、その方が気分がいいですし、時間がかかってもいいと思えます。
(中略)
前進を感じることは実行の重要な要素です。今あるアイデアを実行するよりも新しいアイデアを考えることに関心が向きがちなら、進歩の印を身の周りに置くことで、集中力が高まるかもしれません(P123)。

フリーのクリエイターでも、大きなチームの責任者で も、継続的にフィードバックを収集し、交換するための手法を開発できます。私は、ヒューレット・パッカードのリーダーシップ育成担当のバイス・プレジデン トであるステファン・ランダウアーから、小規模でも大きな成果をあげているチームのやり方を1つ教わりました。ステファンは、チームリーダーが各メンバーと主要クライアントに対して、参加者それぞれが「すべきこと」「やめるべきこと」「続けるべきこと」の3点をメールで尋ねるように勧めています(P161)。

自分の能力を率直に知らしめようとすると、自慢だと思われかねません。そのため、自分勝手だと思われたり、押しが強すぎると思われるのを恐れて、積極的に自分を売り込むことに躊躇するのです。
ですが、仲間の手助けやチャンスを手に入れられるかどうかは、周囲の人が自分の資質や積極性や関心を知ってくれるかどうかにかかっています。
(中略)
周囲の人があなたの長所を知らなければ、いつ、どこで、どのようにそれを活用したらいいか、わかるはずがありません(P190)。

クリエイティブなプロジェクトのリーダーは、まず自分にしかできないこと―他人には任せられないこと―に集中すべきです(P204)。

プロジェクトの最初から完全なコンセンサスを求めようとするべきではありません。コンセンサスにこだわると、結局だれも怒らせず、だれも喜ばせないものに落ち着く危険があるからです(P235)。

仕事に生かそう

よい部分を発見しそれを共有する能力は、建設的な批判 を与えるよりも難しいことです。人間は生まれつき批判的な生き物です。オーケストラの中では、ずれた音を聞きとる方が完璧な音程を聞きとるよりも簡単で す。オキャラハンが言うように「みんな、長所を教えるのは簡単だと思っています。ですが、『そのフレーズは新鮮で、まるで雪に覆われた山のような、ベット の上のシーツの美しいイメージが浮かびますね』と言えるまでには、何年もかかります。その技術には、みんななかなか気づかないものなのです」(P248)。

自分の仕事などまさにこれに当てはまる。
みんなが簡単だと思っていることをどうやったら簡単ではないと伝えることが出来るのだろうか、いつも考えてます。

『年収1億円思考』

読後の感想
読み始めてから途中で気がつきましたが
タイトルの「年収1億円」というのは著者のことではありませんでした(いまさら…
実は、年収1億円の「クライアント」が50人以上居る、ということだったのでした。

しかし、これは有る意味、これは本人が1億円稼いでいます、という本よりも稀有な存在。

なぜなら、稼ぐ人が書いた本だと、なんだかんだいってその人だけの感想
しかし、50人以上知っているとそれなりに共通項が浮かんできます。

また面白いのは、あくまでクライアントであるわけで他人なので
いい感じで客観的でかつ、「行動に現れているところ」が見えているところでした。

…とまあここまでは褒め言葉。

ここからはちょっとどうかな?と思う部分。

この本自体はすごく分かりやすく歯切れがよい文章が並んでいます。
ただ、著者は保険商品を扱っているのに

具体的に言えば、稼げるセールスマンは最初に結論として
「私にお任せください」と言い切れるのだ。
保険商品なら、「何年の間に、間違いなく、これだけお金は増えます」と言い切る。

などと、ちょっと極端なものいいが気になります。

とにもかくにもポジショニングだ大事と言い切る、
パートナー選びは慎重に(自分と逆の性格の女性を選べ)、など
好き嫌いの好みがはっきりと分かれるかなと思いました。

最近「独立」という言葉にドキッしている
今日この頃、心に沁みました。

印象的なくだり

「稼げない人」の共通項を「ここが稼ぐ人と違う」という点でしぼりこんでいくと、大きく5項目が重要項目として残る。
キーワードを列挙すると、次の5つになる。
①マインド
②固定観念(概念)
③素直さ
④数値判断
⑤金遣いの思考(P020)。

丁稚奉公覚悟の人間なら、自分のいやな点を指摘してくれる上司などは、むしろ「ありがたい。自分のことを考えてくれる人だ」と喜ぶところだが、なにしろ、ほめて育てられるのが当然という世界にいたのである。絶えられるわけがない。
結果、存在するはずもない「青い鳥」を求めて、うろうろとさまよい出てしまうのである(P028)。

思い返すと自分もすごくダメなヤツだったはず。
自分を叱ってくれた上司たちや同僚たちに感謝。

こいつを何とかしてやろうと考えるから、上司・先輩は叱ってくれる。本当に見込みがないやつだと思い切ったら、あるいは嫌いなやつだと思ったら、とっとと配置転換したり、クビにしたりするはずなのだ。
クレームが来たら、あるいは文句を言われたら、ありがたいことだと素直に聞く。自分の気付かなかった欠点を指摘してくれたと考えて、自らその欠点に食らいついていく。納得することは、すぐに改める(P036)。

採用した以上はたしかに企業の責任だよなぁ。
最後まで面倒を見る、ということを頭に入れておかないといけない。
将来万が一「独立」なんてことを考えても、軽々に人は雇えないなぁ。

内向きに財布の中身を気にしながらお金をつかうと、これは堅実、ということになる。財布の残金以上に使うことはしないので、貯まっていくことが多い。だから悪い思考えはないのだが、「稼ぐ」ことをキーワードに置くと、稼げる思考方法ではない。
予算思考は「貯める」思考である(P042)。

私が思うに、A氏のお母さんの褒め方が良かったと思う。
母親は褒めるときに、抽象的な表現で褒めているのではない。A氏の言葉の、具体的な事実に対して、具体的に褒めているのである。
近ごろは「褒めて育てる」が流行っているようだが、たいていは「○○ちゃん、頭がいいね。いい子だね」みたいな、褒められた側が、何に対して褒められたのか分からないような褒め方をしている。
こういう褒められ方に慣れてくると、ひたすら思い上がった子どもに育つだけである。
子どものうちはまだいいが、たいていは大人になるまで思い上りが直らない。
大人で思い上がっているヤツは、ハナつまみになるか、自滅していくかだけの人生を送ることになる。
褒めるのは、具体的な行為や結果に対して、具体的に良いところを指摘しながら褒めるのでなくてはならない。子どもは褒められると嬉しいから、指摘された具体的なことに対して、もっと褒められようとするのだ(P059)。

前出の古賀氏は、営業マンとしてサラリーマン時代、つねに売上げがトップだった。当然ながら、ねたまれて、一番業績のよくない支店に飛ばされた。
最下位に低迷する支店の支店長である。支店内は不満とコンプレックスとやる気のなさに満ちている。
だが、古賀氏は切り返し方が実に鮮やかだった。
氏は着任そうそう、取引先から社員、女子社員、掃除のおばさんにいたるまで、すべての人にヒアリングを行なったのである。
取引先に対しては、「うちの会社のよくない点はなんでしょうか」、支店のスタッフに対しては「前任の支店長のやり方で、直さなくてはならないところ、みんなが迷惑していたこと、きらいなところ、こうしてほしい点は何か」、それらをすべて聞き出したのだ。
古賀氏が言うには、「組織は頭から腐る」ということだった。
会社の不振は社長以下経営陣の責任。そいつらが腐っているからである。業績がよくないのは、支店長にすべての原因があるのだ。正すべきはトップのあり方をおいてほかにない。
その結果、この支店の業績不振がどこに由来しているか、明瞭になった。仕事のルール無視やら怠けといった当然の原因があったが、古賀氏が注目したのは取引先や社内の弱いものいじめだった。真っ先にそこを改善した。
「前任者の悪いことの逆をやればいいんだ。特に弱いものが私のファンになるような運営をすればいいんだ」
こんなことをすれば絶対に失敗するだろう、と感じた逆のことを行なったのだ。このときの体験は独立する上で、すごい参考になったと述懐したものである。少なくとも失敗しないやり方でだけは学んだという(P066)。

これはすごく考えさせられる教訓。
どんな状況でも現状確認(ヒアリング)→仮説(原因を考える)→行動につながること。

己を知るためにには、厳密な分析が必要だ。
いちばん手っ取り早いのは、これまでけんかしたヤツの名前を書き出し、その性格を箇条書きにすることである。好きな人間よりは「嫌いなヤツ」のほうが、その性格を正確に把握できているからだ。特にヘドが出るほど嫌なヤツを書き出して、どんなところにヘドが出るか分析する。
で、結論を出すのだ。その嫌いなヤツ、けんかしたヤツ、ヘドがでそうなヤツ、実はその人間たちとあなたはかなり相似形なのである。そいつらとあなたはよく似ていて、性格もマインドも裏でつながっているのである(P080)。

不況のいま、「景気が悪いから家賃が払えません。下げていただけませんか」という訴えほど説得力のあるものはない(P101)。

なるほど、お金を持っていないふりをするのが一番賢いやり方だね。
不況下だからすぐにテナントが埋まらないだろうという思惑はかなり外れないはず。

あるカリスマといわれた料理人が独立して、そろばん勘定もできないのに内装費に大金をかけた。
「前の店では人使いが荒かった。オレは人を大切にする。社会貢献をする」と言って、社会保険に全部入り、社員の福利厚生にもお金をかけた。
だが、毎月赤字の連続。2年で倒産した。
投資勘定なしの商売は破綻する。破綻すれば雇っていた人も路頭に迷う。つぶれた会社、儲からない会社は税金を払えない。税金も払えない会社は、どんなエラそうなことを言っても社会に貢献できない。
メリハリのないお金の遣い方は破綻に結びつくのである(P103)。

自分が仮に経営者になったら・・・と考えて骨身に沁みた。
きっとこの料理人のような行動を取ってしまうだろうと思う、間違いなく。
で、会社を駄目にするかどうかは分からないけど。
おそらく、社員にダメ経営者だとは思われたくないが為にだろうなぁ。

自分に投資するという意味では、高額なゴルフ会員権を25歳の男が買うと同じような、少々背伸びをした行動がときには必要になる。
「この人のようになりたいな」と思う人と同じ行動をとるわけである。
飛行機もたまにはビジネスクラスに乗る、ホテルもハイアットに宿泊する。そうした自己投資によって、一流のサービスとは何かに気づくし、ふだんの自分とは異なる視点でものを見、考えることができるはずである(P107)。

34歳になってようやく自分もこの人のようになりたいなぁと思う人の行動を真似始めた。
なかなか素直でない自分はこの程度のことをするにも時間がかかるのだなぁ(遠い目

私は創業で強い人と、会社を大きくできる人は違うと考えている。創業で強い人というのは、優秀な営業マンのように自分で売上げを上げられる人である。
しかし、そういう人が会社を大きくできるというのは、自分は裏方に引っ込んで分身を何人も育て、営業や技術から経営(マネージメント)に舵を切れる人である(P163)。

営業というと、効率ばかりを重視する人間がいるが、これは間違いである。
効率は積み上げ式の考えで、効率を重視したら、即結果に結びつくなんて甘い考えだ。逆に、結果が出なくてもいいから効率を重視しなさいといったら、何のための営業か、分からなくなる(P221)。

『プロフェッショナルの条件』

『プロフェッショナルの条件』―いかに成果をあげ、成長するか

ダイヤモンド社
P・F. ドラッカー, Peter F. Drucker, 上田 惇生

読後の感想
ここの記述も去ることながら体系的に優れた一冊です。現状分析→評価→転換の必要性→そのため備えるべきもの、の流れが、物語のように己に入り込んできます。特に自らをマネジメントする、との考え方は、いつどんなときにも参考になります。
ドラッカーの考え方が他の本と大きく異なるのは「組織の中での個人」としての生き方を説いた点にあります。
組織の中での自分はどうあるべきか、と考える必要性は痛感しました。
組織に属する前と後では印象はガラリと変わるでしょうね、きっと。

印象的なくだり
知的労働者とは、他のいかなる者とも二つの点で大きく異なる存在である。第一に、彼らは生産手段を所有する。しかも、その生産手段は携行品である。第二に、彼ら(そしてますます多くの彼女ら)は、雇用主たる組織よりも長生きする。加えて、彼らの生産手段たる知識は、他のいかなる資源とも異質である。高度に専門分化して、初めて意味を持つ(P.ⅷ)。

成果を生み出すために、既存の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識がマネジメントである。しかも今日、知識は、「いかなる新しい知識が必要か」「その知識は可能か」「その知識を効果的にするためには何が必要か」を明らかにするうえでさえ、意識的かつ体系的に適用されるようになっている。知識はイノベーションにも不可欠である(P.024)。

ソクラテスにとって、知識の目的は己れを知ることであり、己れを啓発することだった。成果は心のうちにあった。ソクラテスのライバル、プロタゴラスにとって、知識の目的は、何を言うかを知り、いかに上手に言うかだった。彼にとって重要なことは、今日のいわゆるイメージだった。二〇〇〇年以上の長きにわたって、このプロタゴラスの知識の概念が西洋の学問を支配し、知識を規定した。中世の三大科目、いわゆる教養科目の基本は、論理、文法、修辞である。それらは、何を言うか、いかに言うかの道具であって、何をなすか、いかになすかの道具ではなかった(P.028)。

組織は創造的破壊のためにある
社会、コミュニティ、家族はいずれも安定要因である。それらは、安定を求め、変化を阻止し、あるいは少なくとも減速しようとする。これに対し、組織は不安定要因である。組織は、イノベーションをもたらすべく組織される。イノベーションとは、オーストリア生まれのアメリカの経済学者ジョセフ・シュンペーターが言ったように創造的破壊である。
組織は、製品、サービス、プロセス、技能、人間関係、社会関係、さらには組織自らについてさえ、確立されたもの、習慣化されたもの、馴染みのもの、心地よいものを体系的に廃棄する仕組みをもたなければならない。要するに、組織は、絶えざる変化を求めて組織されなければならない。組織の機能とは、知識を適用することである。知識の特質は、それが急速に変化し、今日の当然が明日の不条理となるところにある。
新しい組織社会では、知識を有するあらゆる者が、四、五年おきに新しい知識を仕入れなければならない。さもなければ時代遅れとなる。このことは、知識に対して最大の影響を与える変化が、その知識の領域の外でおこるようになっていることからも、重大な意味をもつ(P.032)。

企業、病院、学校、その他あらゆる組織が、いかにコミュニティに根を下ろし、コミュニティから愛されていようと、人口構造や技術や知識の変化によって成果をあげるための条件が変われば、自らを閉鎖できなければならない。これらの変化すべてが、コミュニティを動揺させ、混乱させ、継続性を断つ。コミュニティにとっては、それらのすべてが理不尽である。コミュニティそのものを不安定にさせる(P.036)。

組織が果たすべき責任
組織の中には、企業よりはるかに大きな力をもつものがある。歴史上、今日の大学ほど強大な力を与えられたものはない。入学や卒業を拒否する権限は、ひとりの人間が仕事や機会を得ることを不可能にする。同じようにアメリカでは、病院が医師に対し病院の利用を拒否することは、医師が医師としての仕事をすることを事実上不可能にする。労働組合は、組合員しか雇用をしないクローズドショップにおいて、組合入りの拒否権をもつこによって雇用機会を支配する力をもつ
(P.038)

(前略)、知識労働の生産性の向上を図る場合においてまず問うべきは、「何が目的か。何を実現しようとしているか。なぜそれを行うか」である。手っとり早く、しかも、おそらくもっとも効果的に知識労働の生産性を向上させる方法は、仕事を定義し直すことである。特に、行う必要のない仕事をやめることである(P.055)。

教えるときにもっとも学ぶ
第一に、生産性の向上には継続学習が不可欠であるということである。仕事を改善し訓練するという、テイラーが実践したことだけでは不十分である。学習に終わりはない。まさしく日本企業の経験がわれわれに教えているように、訓練の最大の成果は、新しいことを学びとることにあるのではなく、すでにうまく行っていることを、さらにうまく行えるようにすることにある。
第二に、同じく重要なこととして、ここ数年の観察で明らかになったこととして、知識労働者は自らが教えるときにもっともよく学ぶという事実がある(P.064)。

知力や想像力や知識は、あくまでも基礎的な資質である。それらの資質を成果に結びつけるには、成果をあげるための能力が必要である。知力や想像力や知識は、成果の限界を設定するだけである(P.065)。

組織の存在理由
外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
組織は、存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。その点が動物とは違う。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく(P.074)。

根本的な問題は、組織にとってもっとも重要な意味をもつ外のできごとが、多くの場合、定性的であり、定量化できないところにある。それらはまだ事実となっていない。事実とはつまるところ、誰かが分類し、レッテルを貼ったできごとのことである。定量化のためには、概念がなければならない。そして、無限のできごとの集積から特定のできごとを抽出し、名称を与え、数えなければならない(P.075)。

あるコンサルタントは、新しい客と仕事をするときに、最初の数日間を使って先方の組織や歴史や社員について聞くなかで、「ところで、あなたは何をされていますか」と尋ねることにしているという。ほとんどの者が、「経理部長です」「販売の責任者です」と答える。時には、「部下が八五〇人います」と答える。「他の経営管理者たちが正しい決定を下せるように情報を提供しています」「客が将来必要とする製品を考えています」「社長が行うことになる意思決定について考え、準備しています」などと応える者は、きわめて稀だという。
肩書や地位がいかに高くとも、権限に焦点を合わせる者は、自らが単に誰かの部下でることを告白しているにすぎない。これに対し、いかに若い新入りであろうと、貢献に焦点を合わせ、結果に責任をもつ者は、もっとも厳格な意味においてトップマネジメントである。組織全体の業績に責任をもとうとしているからである。
貢献に焦点を合わせることによって、専門分野や限定された技能や部門に対してではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向けるようになる。自らの専門や自らの部下と組織全体の目的との関係について、徹底的に考えざるをえなくなる。経済的な財、政府の施策、医療サービスなど組織の産出物の究極の目的である客や患者の観点から、ものごとを考えざるをえなくなる。その結果、仕事や仕事の仕方が大きく変わっていく(P.084)。

知識ある者は、常に理解されるように努力する責任がある。素人は専門家を理解するためには努力すべきであるとしたり、専門家はごく少数の専門家仲間と話ができれば十分であるなどとするのは、野卑な傲慢である。大学や研究所の内部においてさえ、残念ながら今日珍しくなくなっているそのような風潮は、彼ら専門家自信を無益な存在とし、彼らの知識を学識から卑しむべき衒学に貶めるものである(P.089)。

ゼネラリストについての意味ある唯一の定義は、自らの狭い専門知識を、知識の全領域の中に正しく位置づけられる人のことである。いくつかの複数の専門領域について知識をもつ専門家もいる。だがたとえ複数の専門領域をもっていても、ゼネラリストとはえいない。単に、いくつかの専門領域のスペシャリストであるにすぎない。たとえ三つの領域に通じていても、一つにしか通じていない人と同じように、偏狭でありうる。
自らの貢献に責任をもつ人は、その狭い専門分野を真の全体に関係づけることができる。もちろん、たくさんの知識分野を統合するなどということは決してできない。だが彼らは、自らの仕事の成果を活かしてもらうためには、ほかの人のニーズや方向、限界や認識をしらなければならないことを理解している(P.089)。

成長と自己変革を続けるために
第一に、ヴェルディの『ファルスタッフ』の話が教えてくれるようなビジョンをもつことである。努力を続けることこそ、老いることなく成熟するコツである。
第二に、私が気づいたところでは、成果をあげ続ける人は、フェイディアスと同じ仕事観をもっている。つまり、神々が見ているという考え方である。彼らは、流すような仕事はしたがらない。仕事において真摯さを重視する。ということは、誇りをもち、完全を求めるということである。
第三に、そのような人たちに共通することとして、日常生活の中に継続学習を組み込んでいることである。
(中略)
第四に、自らを生き生きとさせ、成長を続けている人は、自らの仕事ぶりの評価を、仕事そのものの中に組み込んでいる。
第五に、きわめて多くの成功してきた人たちが、一六世紀のイエズス会やカルヴァン派が開発した手法、つまり行動や意思決定がもたらすべきものについての期待を、あらかじめ記録し、後日、実際の結果と比較してきている。そのようにして、彼らは自らの強みを知っている。改善や変更や学習になければならないことを知っている。得意でないこと、したがって、他の人に任せるべきことまで知っている。
第六に、成果をあげている人たちに、その成功の原因となっている経験について聞くと、必ずといってよいほど、すでに亡くなった先生や上司から、仕事や地位や任務が変わったときには、新しい仕事が要求するものについて徹底的に考えるべきことを教えられ、実行させられてきたという。事実、新しい仕事というものは必ず、前の仕事とは違う何かを要求するものである。
しかし、これらのことすべての前提となるべきもっとも重要なこととして、成果をあげ続け、成長と自己変革を続けるには、自らの啓発と配属に自らが責任をもつということがある(P.109)。

知識労働者たるものは、自らの組織よりも長く生きる。したがって、他の仕事を準備しておかなければならない。キャリアを変えられなければならない。自らをマネジメントすることができなければならない。つまるところ、これまで存在しなかった問題を考えなければならない(P.112)。

今日では、選択の自由がある。したがって、自らの属する場所がどこであるかを知るために、自らの強みを知ることが不可欠となっている。強みを知る方法は一つしかない。フィードバック分析である。何かをすることに決めたならば、何を期待するかをただちに書きとめておく。九か月後、一年後に、その期待と実際の結果を照合する。私自身、これを五〇年続けている。そのたびに驚かされている(P.112)。

フィードバック分析から分かること
フィードバック分析から、いくつかの行うべきことが明らかになる。
第一は、明らかになった強みに集中することである。成果を生み出すものに集中することである。第二は、その強みをさらに伸ばすことである。フィードバック分析は、伸ばすべき技能や新たに身につけるべき知識を明らかにする。更新すべき技能や知識を教える。同時に、自らの技能や知識の欠陥を教える。無能でない程度の技能や知識であれば、よほどのことがないかぎり、誰でも手に入れることができる。第三は、無知の元凶ともいうべき知的な傲慢を正すことである。多くの人たち、特に一つのことに優れた人たちは他の分野を馬鹿にする。他の知識などなくとも十分とする。ところが、フィードバック分析は、仕事の失敗が、知っているべきことを知らなかったためであったり、専門以外の知識を軽視していたためであったことを明らかにする。第四は、自らの悪癖を改めることである。行っていること、あるいは行っていないことのうち、仕事ぶりを改善し成果をあげるうえで邪魔になっていることを改めなければならない。フィードバック分析では、それらが明らかになる。
第四は、自らの悪癖を改めることである。行っていること、あるいは行っていないことのうち、仕事ぶりを改善し成果をあげるうえで邪魔になっていることを改めなければならない。フィードバック分析では、それらが明らかになる。第五は、人への対し方が悪くて、みすみす成果をあげられなくすることを避けることである。頭のよい人たち、特に若い人たちは、人への対し方が潤滑油であることを知らないことが多い。
第六は、行っても成果のあがらないことは行わないことである。フィードバック分析は、そのような無駄を明らかにする。いかなる能力が足りないかを明らかにする。人には、苦手なものはいくつもある。超一流の技能や知識をもつ者は少ない。そのくせ人には、並の才能や技能さえもちえない分野がたくさんある。そのような分野では、仕事を引き受けてはならない。
第七は、努力しても並にしかなれない分野に無駄な時間を使わないことである。強みに集中すべきである。無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーを必要とする。しかるに、多くの人たち、組織、そして学校の先生方が、無能を並にすることに懸命になっている。資源にしても時間にしても、強みをもとに、スターを生むために使うべきである(P.113-114)。

仕事の仕方について初めに知っておくべきことは、自分が読む人間か、それとも聞く人間かということである。つまり、理解の仕方に関することである。
(中略)
もう一つの仕事の仕方について知っておくべきことは、仕事の学び方である。学び方は、読み手か聞き手かという問題以上に深刻な状況にある。なぜならば、世界中のあらゆる国のあらゆる学校が、学び方には唯一の正しい方法があり、それは誰にとっても同じであるとの前提に立っているからである(P.115)。

成果をあげる者は、時間が制約条件であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、もっとも欠乏した資源である。それが時間である。時間は、借りたり、雇ったり、買ったりすることはできない。その供給源は硬直的である。需要が大きくとも、供給は増加しない。価格もない。限界効用曲線もない。簡単に消滅する。蓄積もできない。永久に過ぎ去り、決して戻らない。したがって、時間は常に不足する。時間は他のもので代替できない。他の資源ならば、限界はあっても、代替することはできる。アルミの代わりに同で代替できる。労働の代わりに資本で代替し、肉体の代わりに知識で代替できる。時間には、その代わりになるものがない。
時間はあらゆることに必要となる。時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。しかるに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を当たり前のように扱う。おそらく、時間に対する愛情ある配慮ほど、成果をあげている人を際立たせるものはない。しかし一般に、人は時間を管理する用意ができていない(P120)。

実は、本当に行うべきことは優先順位の決定ではない。優先順位の決定は比較的容易である。
集中できる者があまりに少ないのは、劣後順位の決定、すなわち取り組むべきでない仕事の決定と、その決定の遵守が至難だからである(P.142)。

必要条件を満たさない決定は、成果をあげられない不適切な決定である。実際、そのような決定は間違った必要条件を満たす決定よりもたちが悪い。もちろん、正しい必要条件を満たさない決定も、間違った必要条件を満たす決定も間違いである。だが間違った必要条件を満たす決定ならば、救済することはできる。一応の成果はあがるからである。満たすべき条件を満たさない決定は、新しい問題を生むだけである。
一度行った決定をいつ放棄するかを知るためにも、必要条件を明確にしておくことが必要である。さらに、必要条件を明確に理解しておくことは、もっとも危険な決定、すなわち万一都合の悪いことが起こらなければうまくいくかもしれないという決定を識別するうえで必要である。その種の決定は、もっともらしく見える。しかし必要条件を仔細に検討すれば矛盾が出てくる。そのような決定が成功する可能性は皆無ではないが、きわめて小さい。奇跡の困った点は、稀にしか起こらないことにあるのではない、あてにできないことにある(P.153)。

決定を行動に移すには、「誰がこの意志決定を知らなければならないか」「いかなる行動が必要か」「誰が行動をとるか」「行動すべき人間が行動するには、その行動はいかなるものでなければならないか」を問わなければならない。これらのうち、特に最初と最後の問いが忘れられることが多い。そのため、ひどい結果を招くことがある(P.156)。

勇気をもつ
これでいよいよ、決定を行う準備は整った。すなわち、決定が満たすべき必要条件は十分に検討し、選択肢はすべて検討し、得るべきものと付随する犠牲とリスクは、すべて天秤にかけた。すべては分かった。ここにおいて、何を行うべきかは明らかである。決定はほぼ完了した。しかし、まさに決定の多くが行方不明になるのが、このときである。決定が、愉快ではなく、評判もよくなく、容易でないことが急に明らかになる。
とうとうここで、決定には判断と同じくらい勇気が必要であることがあきらかになる。薬は苦くなければならないという必然性はない。しかし一般的に、良薬は苦い。決定が苦くなければならないという必然性はない。しかし一般的に、成果をあげる決定は苦い。
ここで絶対にしてはならないことがある。「もう一度調べよう」という誘惑に負けてはならない。臆病者の手である。臆病者は、勇者が一度死ぬところを、一000回死ぬ。「もう一度調べよう」という誘惑に対しては、「もう一度調べれば、何か新しいことが出てくると信ずべき理由はあるか」を問わなければならない。もし答えがノーであれば、再度調べようとしてはならない。自らの決断力のなさのために、有能な人たちの時間を無駄にすべきではない
(P.167)。

すでにわれわれは、コミュニケーションについての四つの原理を知っている。コミュニケーションとは知覚であり、期待であり、要求である。情報とは違う。依存関係にはあるが、むしろ相反することのほうが多い(P.169)。

リーダーシップの本質
それでは、カリスマ性でも資質でもないとすると、リーダーとは何か。
リーダーたることの第一のリーダーシップを仕事と見ることである。
(中略)
効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を定め、基準を定め、それを維持する者である。もちろん、妥協することもある。
(中略)
リーダーたることの第二の要件は、リーダーシップを、地位や特権ではなく責任とみることである
(P.186)。

第一に、イノベーションを行うためには、機会を分析することから始めなければならない。私がイノベーションのための七つの機会と呼ぶものを徹底的に分析することから始めなければならない。もちろんイノベーションの分野が異なれば、機会の種類も異なる。時代が変われば、機会の重要度も変わっていく。
①予期せぬこと②ギャップ③ニーズ④構造の変化⑤人口の変化⑥認識の変化⑦新知識の獲得(P.199)。

イノベーションに成功する者は保守的である。保守的たらざるをえな
い。彼らはリスク志向ではない。機会志向である(P.205)。

自らの仕事をし、自らのキャリアを決めていくのは自分である。自らの得るべきとところを知るのは自分である。組織への貢献において、自らに高い要求を課するのも自分である。飽きることを自らに許さないよう、予防策を講ずるのも自分である。仕事を心躍るものにするのも自分である(P.232)。

『ザ・ゴール 2 ― 思考プロセス』

『ザ・ゴール 2 ― 思考プロセス』
ダイヤモンド社
エリヤフ ゴールドラット , 三本木 亮

読後の感想
前作が非常に良かったので、楽しみにしていたのですが『ザ・ゴール』よりはるかに劣るような気がしました。期待値が高すぎたせいなのかな。思考プロセスと制約理論についてなんだけど、どこか三文芝居を見ているような気がしちゃうのはなぜなんだろう。前回のように反証がうまくいってないからなのかなぁ。
よく分からないけどいまいちでした。ちぇっ。

印象的なくだり
相手が「当たり前だ」とか「常識だ」などと答える時は、ちゃんと相手とコミュニケーションがとれている証拠だ(P.077)。

ただ会社を売ったわけじゃない。コンセプトを売ったんだ。非常に価値あるコンセプトを。会社とその経営陣は、そのコンセプトを実行するためのツールなんだよ(P.332)。

「現在から将来にわたって、お金を儲ける」、「現在から将来にわたって、従業員に対して安心で満足できる環境を与える」「現在から過去にわたって、市場を満足させる」。この三つについては、みなさん異論はなかったと思います。「現在から将来にわたって、お金を儲ける」は企業を所有する側の考え方です。二番目の「現在から将来にわたって、従業員に対して安心で満足できる環境を与える」は従業員を代表する組合側の考え方です。三つ目の「現在から将来にわたって、市場を満足させる」ですが、これは最近の経営手法で特に強く唱えられていることです。我々企業の経営者は、この三つすべてを実現しなければいけません。
(中略)
企業活動の行動一つひとつをとってみれば、この三つの必要条件のいずれかと衝突するものもあるでしょう。ずっと続けていれば、いずれ三つの必要条件全部と対立を起こしてしまうでしょう・・・。しかし、必要条件同士はそんなことはありません。
(中略)
三つの必要条件同士を対立させてはいけない。必要条件同士は、対立するものではなく、本来補完し合うものだ、ということかね。
(中略)
「つまり、この三つの必要条件は同じように重要だと言いたいわけだな。ようやくジムものみ込めたようだ。もしそうなら、どうしてみんなお金を儲けることが目的だと言っているんだ。」
「ウォール街の連中はそう言うかもしれません。お金を儲けることのほうが、実体がつかみやすいからだと思います。数字ではっきりとか測れるのはお金だけですから。」
「やはりそうか」ブランドンがにっこり笑った。
「でもだからと言って、お金を儲けることがいちばん大切だということにはなりません。そういう罠には、はまらないでください」私は、ブランドンに警告した。「お金儲けが数字で測れるというのは、たまたまなんです。太古の昔、ある天才が麦とヤギの価値を比べる方法を発明しました。お金の抽象的な単位である通貨を発明したんです。しかし、満足度や安心感などを測る単位はいまだに発明されていません」(P.347)。