『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
扶桑社
リリー・フランキー

読後の感想
泣かそうとしているのであれば、ずるい。無意識ならすごい。
母の無償の愛と、葛藤。筆者は東京に負けない結果で良かったと思うが、しかし、その影には無数の挫折をした人も多くいるのだろうなぁと。切なくなりました。

印象的なくだり
前世紀末に人々が信じ恐れた予言は当たることもなく、ただ単純に、次々と日めくりがめくれるだけで、はるか未来であったはずの二十一世紀はやって来た。
その昔、人々が想像した二十一世紀の姿。それは大幅にはずれることもなく、今、我々の身近なものになりつつある。
コンピューター。テレビ電話。宇宙旅行。ロボット。
映画で観たそれぞれは、現実になった。しかし、ひとつだけ、昔の人が想像のできなかったこと。気付かなかったこと。
それは、すべてのものは進化の過程で小さくなってゆくということだった。
兵器並みの能力を持つコンピューターを描く時、フィルムの中、漫画の中ではいつもそれは家具のように大きくかたどられていたものだ。しかし、今はその程度のコンピューターでも、子供机の上に、コンパクトに並べられている。
それは実寸の問題ではなく、人々の心の中では偉大なるものはすべて大きく映っていたからなのだろう。
母親に手を引かれている子供が、その母親の身長など気にしたことがないように。
「たわむれに母を背負いてそのあまり軽さに泣きて三歩歩まず」
石川啄木が目を潤ませて立ち止まったように、誰しもがかつて大きかったはずの母親の存在を、小さく感じてしまう瞬間がくる。
大きくて、柔らかくて、あたたかだったものが、ちっちゃく、かさついて、ひんやり映る時がくる。
それは、母親が老いたからでも、子供が成長したからでもない。きっとそれは、子供のために愛情を吐き出し続けて、風船のようにしぼんでしまった女の人の姿なのだ。
五月にある人は言った。
どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと(P321)。

「『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』」への2件のフィードバック

  1. ドラマで見たからいいかなぁと思っていたけれど
    ちょっと読んでみたくなった。
    それにしても福ちゃんの読んでいる本の幅は広いねぇ。

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