待ちぼうけ

予定日から一週間経ちました。
わが子はまだ生まれていません。

正直なところ、この一週間、ほとんど何にも手につきません。
(あ、仕事は時間がかかっていますが、きちんとやってます)。
落ち着きがないというか、集中力に欠けるというか、挙動不審というか。
かみさんと離れているときは、携帯電話が気になります。
「急に産気づいた」とか「すぐに病院へ」とか「もう生まれたよ」とか(笑)
そんな連絡が来るような気がいつもしています(でも結局来ていませんが)。

きっと子供が生まれたら、自分たちの生活は一変することでしょう。
それが大局的には幸か不幸か分かりませんが、「変わる」ことは間違いありません。
その「変化」を恐れているのか、まだ生まれてこない状態をほっとしている自分もいるような気がします。

誕生の話と百八十度変わってしまいますが、長くはもたない患者を看病するときってこんな感じなんだろうかと、ふと思ってしまいました。
いつになるか分からないけど、その日は必ず来てしまう。
逝く人が一秒でも永らえようと努力するのは、残された人に覚悟と決意をさせるためだ、と何かの本で読んだような気がします。

翻って考えると、わが子がなかなか生まれないことも「自分に父親としての覚悟と決意をさせる時間を与えるため」なのかなぁと(笑)。
胸に手を当てて考えてみるといまだに責任とかあんまり実感が湧きません。
妊娠期間があったせいか、かみさんのほうが一足先にお母さんになったような気がします。
生物学上しょうがないですが、男親ってそういうもんです。

数年後か数十年後、わが子がこの文章を見るとき、「お父さんも若かったんだなぁ」とくすっと笑ってくれるでしょうか。

どうでしょう。

どうだろうね。