手荷物の重さを測ってみました

6月にLCCで上海に行こうと思っています。LCCはローコストキャリア、つまり格安航空会社ですね。通常の航空会社と違って、コストダウンのため、食事や預け入れ荷物などが制限されています。

本格LCCは初なのできちんとサイトを見てみると、やはり一般の航空会社と違って、色々な制限がありますね。その中でも手荷物の重量制限が5kgということに驚きました。

考えてみればそもそも普段自分の手荷物が、どのくらいの重さなのか測る習慣がなかったので、ちょっと興味を持って測ってみました。

重さのチェックはラゲッジスツールで計測します。旅行に持参できるように割と小さめのものが多いですね。測り方は簡単で、電源を入れて鞄を吊るすだけです。

結果は6.55kg。パソコン込みの重量なのでこれだと機内に持ち込めないですね。
余り考えたことがありませんでしたが、毎日この荷物を持ちあるいていると思うと、結構体に負担がかかっていますね、知らなかったです。

というわけで、日々の暮らしの中で、荷物を少しずつ減らしていき、毎日の荷物がパソコン込みで5キロ以下になるように減らしていきたいと思っています、できるかな。

『最強のふたり』

最強のふたり(原題: Intouchables)
監督
エリック・トレダノ
オリヴィエ・ナカシュ

フランス映画。実話ベースのお話。2013年日本アカデミー賞最優秀外国作品賞受賞作。

鑑賞後の感想
登場人物は大きく分けて二人。
パリに住む大金持ちのフィリップ(フランソワ・クリュゼ François Cluzet)。かつてパラグライダーの事故に遭い、首からつま先まで感覚がない車いす乗り。奥さんもその事故でなくしてしまい、二重の苦しみを味わる孤独な大富豪。
そして、そのフィリップを介護をするのは経験ゼロのドリス(オマール・シー Omar Sy)、しかも宝石強盗の前科持ち。
元々いろんな人から距離を置かれていて気難しいフィリップが、一時の気の迷いからドリスを介護係に採用するところから、話が進みます。

オープニングの車を飛ばすシーン、BGMはEarth Wind & FireのSeptember。警察に囲まれる、フィリップが嘘発作、警察は見逃し、警察の対応について賭けごとする二人、仲よさそう。この二人のイチャイチャ感が最高です。

時間軸は逆に戻り、二人の出会いであるフィリップの介護者面接シーン
元々失業手当をもらうためだけに面接を受けにきたドリスは面接の順番を待ち切れず面接に乱入、対してフィリップはドリスを気に入りみんなの反対をしり目に採用。
実はフィリップは気難しくて今までの人はみんな一週間程度で辞めていたので、似たような応募者にうんざりしてたんですね。
で、採用されたドリスは泊りでの仕事になり、場面は夜へ。
フィリップには動かはないはずの身体から痛みを感じる発作、いわゆるファントムペインが(幻想痛)があることを知るドリス。
ここら辺からすべてのエピソードがどんどん仲良くなるドリスとフィリップ、友人たちは辞めとけと忠告するもそれがなお一層、天邪鬼のフィリップには気に食わない。

というか、フィリップがドリスを気に入っている一番の理由、「ドリスは、フィリップに対して障害者だからという対応をしていない」ことなのです、たぶん。
他の介護者がやってきたことを一つも守らず、雇い主にも平気で歯向かうし、タバコ吸わせたり、自動車いすを改造させて、セグウェイを追い抜いたり。

二人の関係がきっちり対等になりつつあるところに、一石を投じたのがフィリップと文通しているエレオノールの存在。
障害を隠したいフィリップはずっと文通だけをしているが、ドリスはそれが気に食わない。勝手に会う約束を取り付けてしまい、しかも写真の交換まで約束してしまう。
それにもかかわらず、勇気の出ないフィリップ、ドリスが選んだ「障害者であることを隠していない写真」を勝手に、障害者になる前の写真に変えて送ってします。
どうやら相当隠したい事実のようでコンプレックスなのだなぁという演出です。

主役の二人以外もいい人が多くてほほが緩みます。
ドリスがちょっかいかけている美人秘書のマガリーは、最後になぜドリスに興味がなかったかが明かされます。
ドリスの先輩介護補助イヴォンヌはドリスのおかげで人生か少し楽しく変わります。

個人的に一番好きなのが、フィリップのサプライズ誕生日パーティー、フィリップはドリスが気に入るようなクラッシックを色々試してみるがダメ、むしろドリスが持ってきたEarth Wind & Fireでみんな踊りだしてしまう、使用人も楽しそうで、それを見ていたフィリップも笑顔。なんて素敵な物語。

「チェイサー」

チェイサー

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監督:ナ・ホンジン

ネタバレありです。

きっかけ
「哭声(コクソン)」の予習のため、監督ナ・ホンジン

あらすじ
元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)デリバリーヘルスの元締め、デリヘル嬢を脅したりしながら経営している。そんな中、ある特定の男性の家に呼ばれたデリヘル嬢が連続して発生する。
敵役はヨンミン(ハ・ジョンウ)。ヨンミンは他人の家を乗っ取って、連続殺人を行っているのでした。
発覚のきっかけはデリヘル嬢のミジン(ソ・ヨンヒ)がヨンミンに呼ばれたことです。風邪で7歳の娘ウンジ(キム・ユジョン)に看病されていたミジンは、ウンジを残して仕事に出かけたのでした。

鑑賞後の感想
ネタバレありです。
韓国映画得意の暴力シーンのオンパレード。特に、ノミとカナヅチで頭蓋骨を砕き、死体は水槽の中や、土の中に埋めて犬が掘り返すあたりは、もう目を覆わざるをえないシーンでした。よく考えたら、自分は血が苦手なんだよね。
男性の暴力的な演技に対して、女性の心理描写が秀逸でした。中でもミジンの役割が物語の中心であり、またもの悲しさを表していました。
そのミジンはヨンミンに会った時から、ちょっと恐怖を感じてて、外のドアを開けたまま家に入ったり、かなりの緊張感を持った演技をしていて、見ている側としては「逃げて~」とヒヤヒヤものでした。
特に、ヨンミンが鍵束をジャラジャラさせながら自分の家(と思わせている)鍵を探す様子を疑わしそうに見ているシーンは最高です(いい意味で)。
背景として、韓国に警察組織の腐敗っぷりが目立ちました。本当にそうなのか映画なので誇張ありきなのか分かりませんが、暴力警官も多いし、ヨンミンを挑発させ殴らせるように仕向けて「ブラボー」と言ったり、ジョンホにヨンミンを殴らせてみて見ぬふりをしたり、通報を受けても車の中で寝てたり(これはひどい)、証拠を作ってでも探せと言ったり。
ただ、変だなと思ったのは、あれだけ違法捜査をやっておきながら、12時間という時間だけは守ろうとするのか(別件の現行犯で上げれば、時間制限が繰り返されるのでは?)と。
ジョンホはジュンホが2年前にやめた職場とうまくやっているあたりは人間性が出ていい背景ですね。今回ジョンホだけが、最初は動機は違ったもののミジンを救おうと行動してくます。ジュンホとウンジの関係がレオンチックで、この映画の中で唯一のホッコリシーン。
二人の関係性が最初は反発、母の死に感づき号泣、手をつなぐシーン、保護者欄にサインするなど、徐々に近まっていくくだりには、ぐいぐい引き込まれました。
そして、ジョンホ、ウンジ、ミジンの努力が完全に無にされるラストは本当に衝撃です。あの結末の理由は、実話ベースだからなのか、それとも生きる努力を無にしようとしたのか、さっぱりわからん。嫌な感じしか残りませんでした。なんで??

そうそう、オ・ウンシル刑事が綺麗すぎですね。

小見出しを付けるのは本文の前か後か問題

小見出しを付けるのは本文の前か後か問題
仕事や遊び、家庭で色々な文章を書くことが多いのですが、読み手に分かりやすいように本文前には小見出しを付けるように心がけています。
ところで最近、とあるエッセイを読んでいてふと思ったのが、小見出しと本文が余り一致していない、というかむしろ本文内容から考えると、結論が小見出しと逆なのでは?ということがありました。
なぜこのようなことが起こったのかを考えると、おそらく読み手と同じように書き手も、まず小見出しを書いてから本文を欠いていたのでしょうかと思いいたりました。本文よりも前に小見出しを書く以上、先に要約してから後から付け加えた、という形になるはずです。

しかし、往々にして書いているうちに文章の本筋が変わってくることもあり、結果として小見出しの内容と本文が不一致ということになったのでしょう。
さて、このことから分かるように本文を書き終わって本文は書いてみないとどういったものなるか分からない為、書いた文章を振り返った上で、流れを整えてから、小見出しを付けるのがよいのではないかと個人的には思っているのですが、そうなると文頭に戻らないといけないという大変面倒な作業が発生してしまいます。

たとえば、日常的に文章を書く人であれば余計に手間です。面倒です。当然面倒からは逃げ出したくなるのが人の常というものです。多分にもれず私もです。
そのため、正確に他人に伝えないといけない、というような重要な文章に限ってのみ推敲して日常的には書き殴って過ごしている、という結果になるのですが、それはそれで「あの人、普段の文章は読みにくいよね」ということになってしまうのです。「しまうのです」とあたかも受け身で不可避のように書きましたが、あくまでも自業自得であることは間違いありません。

というわけで、小見出しを見ると「この小見出しは先に書いたのかな?それとも後に書いたのかな?」とどうでもいい視点で見てしまいます。

どっとはらい。

『たった一人の熱狂-仕事と人生に効く51の言葉』

見城徹
「たった一人の熱狂」
仕事と人生に聞く51の言葉

読後の感想
この本は小手先ではない本当の仕事のやり方の書いた本です。
まさに見城さんの熱意が人を動かす、そしてその熱意は人に伝わる、ということを体現したような一冊です。
この本を通じて、自分にも見城さんの熱が伝染してきました。

自分もこんな人と仕事をしたいと思う反面、こんな熱い人と一緒に仕事ができるのだろうかという不安を大きく感じました。

見城さんの話を読んでいると、マクドナルドのファウンダーであるレイ・クロックを思い出します。
言っていることも同じです。

何よりも凄いのは、自分が幻冬舎の社長なのに、この本が双葉社から出ているということ。

印象的なくだり

努力することに意味があるなどと言うのは単なる人生論であって、仕事に関して言えば「成功」という結果が出ない努力に意味は無い。
いや、そう考えるしかないのである。
僕の口癖は「これほど努力を、人は運と言う」だ。
幻冬舎からベストセラーが出たり、新しい事業が成功すると、「運がいいですね」と言う人がいる。
そんな時、僕は「おかげさまで運がいいですよ」と返しながら心の中で舌打ちをする。「俺はあんたの100倍血を流し、努力しているのだ」と独りごちる。
圧倒的努力とは何か。人が寝ているときに寝ないで働く。人が休んでいるときに休まずに働く。どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。
「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事を敢えて選び、その仕事をねじ伏せる。人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない(P.029)。

こんなこと書かれたら、「俺はまだ努力が足りない」と思うしかなくなる。
自分自身にはいいけど、他人に言わないように気をつけないと。

仕事ができない人間には決まって共通点がある。小さなことや、片隅の人を大事にしないことだ。そんな人間に大きな仕事ができるわけがない。雑用をいい加減にやったり、人との約束を簡単に破ったり、名もない人を無下に扱うような人は、大きな結果や成功をつかむことは出来ない。
自分一人だけが一匹狼として活動するのであれば、小さな約束を守らず、小さな人を大切にしなくても仕事は回って行くかもしれない。
だが、数多くの人と関わる仕事をするのであれば、他者への想像力は必須だ(P.091)。

つまらないことをやたらと人に頼まない。そのかわり、人の重要な頼みは全力で引き受ける。これが僕なりの「安目を売らない」という意味だ(P.100)。