『僕はパパを殺すことに決めた』

前にも書きましたが、タイトルの本を手に入れたので読んでいます。
前回の感想はこちら
https://fukudashigetaka.com/article/72970221.html

 全体で250ページで現在半分くらい読み進んでいるのですが、率直な感想として「よく本を出す気になったな」と思うくらいのひどい内容です。
 まず文章の八割以上が供述調書の引用で占められており、著者本人が書いた部分はごくごくわずかでした。本来供述調書は外に出ない性質のものであり、それを前提として話すわけですから、プライバシーの侵害もいいところです。

 プライバシーの問題のデリケートなところは、一度流失してしまうと取り返しが付かないことにあります。

 それを「だが、この事件の大きな原因は、父親にある。その事実から目を背けてはならないと私は思った。だから本書に、父親の供述調書の全容を記すことに決めた。」(P059)と、わずか二行で記してしまうところに、この著者のプライバシー感覚が如実にあわられていると感じました。著者の考えはある一つの考え方であって、明らかにジャーナリストとしての正常なバランス感覚を逸脱していると思います。

 それが、正当な手段を経ないで手に入れた情報源を基にし、それを公表してしまうところが、その感覚の一端を示していると感じました。ちなみに、この著者に供述調書の内容をもらした崎濱盛三医師は、奈良地検に、刑法の秘密漏示罪の疑いで逮捕されています。同容疑での逮捕は異例。しかも、新聞報道を見る限り、検察に逮捕されているようです。

 

佐世保のスポーツクラブの事件

 散弾銃を乱射し長崎県の佐世保のスポーツクラブで起こった事件。非常に痛ましく、また被疑者死亡でこれから議論が紛糾しそうです。

 「無防備な子どもたちにも銃口が向けられたという点で、日本の犯罪史に残る事件になるのはでないか」、と青森中央学院大の大泉光一教授も16日付読売新聞に語っていますが、この点が一番の衝撃でした。
 大阪の池田小学校のときも同じ様な感じを受けました。

 確かに銃の所持許可を受けていたことも問題視されるのでしょうけど、事前に問題を起こしそうな人を許可の時点で見極めるのは不可能でしょう。ならば現在の許可の仕組みを何らかの手を加える必要があると思います。
 「事前によく調べる」なんて個人の努力に頼っていては、また同じことが起きてしまうと思いました。

ねかはくは

 布団に入って急に思い出して検索。なんかの啓示か?

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 

 一般的には
「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」かなぁ。山家集に治められている西行の句。

「子」がつくと安心

 今日の日記は特定個人を指しているわけではないので、くれぐれも、くれぐれもお間違えないように(挨拶

 年賀状を書く季節となりまして、毎日セコセコと宛名書きに勤しんでいるわけです。個人的な決め事として、裏面は印刷でも、宛名のお名前とご住所だけは、毎年必ず手書きでお送りしているので、計画を立てて書かないと間に合わなかったりするのです。

 で、書いていて思うのが、(自分が送る年賀状の)女性の名前に「子」がつく人がやっぱり多いこと。高校時代の先生だったり、年長の親戚筋だったり、同級生だったり。

 特に明確な理由はないのですが、自分はそういった人に囲まれて育ってきたわけで、初めてお会いする人で名前に「子」が付いていると、なんとなく安心しちゃうんですね(「子」が付いていないと安心しないという意味では決してありません)。

 生きていくってのは、あったりまえですが、年上は減っていき、年下が増えていくわけで、これから少しずつ(「子」が付かない人と出会うことに)慣れていくんだろうけど、ちょっぴり寂しいなと思ったり、思わなかったり。

 新聞の子供の紹介とか見ると、自然と「子」の付く名前を探してしまうのは、もはや一種の執着なんでしょうかねぇ。

追記
 最近は、以前に比べて女の子に「子」の付く名前をつけなくなっている傾向にある、というのが日記の前提です。