『超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー』
野口悠紀雄
講談社
読後の感想
主題は、「後で探すために上手に保存する方法」についてです。整理の目的は後で使うことであって、見た目を麗しくするためでも、美的にするためでもないことを再確認しました。
ネットでの検索の方法については、無意識のうちにやっていた部分も多かったのですが、似たようなことが書かれていたので後付けですが自信につながりました。
ただ、前作(?)の『「超」整理法』ほどのインパクトはないんだよなぁ、なぜ?もう凄さに慣れてしまったのかな。
印象的なくだり
使っているうちに自然に使い勝手がよくなるシステムでないと、実際には機能しない。
つまり、必要なのは、「自分では格段の整理作業はせず、データを投げ込むだけ。一定の時間がたつと、データが徐々に蓄積され、気づいた時にはデータベースとして機能している」というシステムだ(P019)。
重要なことの第二は、「どのような能力を磨くか」についての見極めである。
将来、機械が自動的にやってくれることを、いま一所懸命に努力して身につけても、無意味である(P021)。
デジタルカメラでデータをメモする(P113)
写真、手紙、カード、卒業証書、誕生日カード、子供が書いた絵などは、なかなか捨てられない。
しかし、しまっておいても使わないので、どこに保存したか分からなくなる。
それなら、コピーを検索可能な形で保存したほうがよい(これらは画像データなので、後からの検索のためには、テキストで説明をつけておく必要がある)。
そして実物は捨てる(P124)。
最近、つぎのような意見をよく見かける。
学校で宿題を出すと、インターネットのサイトをコピーしてつなぎあわせるだけ(「コピーしてペーストするだけ」なので、「コピペ」と呼ばれる)の解答を出す生徒が多くなった。
これは由々しき問題だ。
(中略)
問題は、コピペでできてしまう問題を出した教師の側にこそある。
「この町の歴史を調べましょう」とか、「日本に生息する帳の種類を調べましょう」というような問題を出すから、コピペの解答になってしまうのだ(P220)。
私も「コピペ」方式に問題は多いと考えている。
ただし、その理由は、「安易だから」「簡単に答えが見つかるから」ということではない。
第一の理由は、検索で何でもすぐに分かるとなると、自分を見失うことだ。受動的になる。
そして、問題意識が明確でないと、迷子になる。データベースを調べていると、つぎつぎに興味がわいてくるので、引き込まれてしまうと、最初の目的を忘れることもある。
第二の理由は、条件や前提を無視することだ。
「ブラック=ショールズ式」に必要データを放り込めば、答えは出てくる。しかし、適用できない対象に適用しているかもしれない。
この式では「原資産の価格(株式オプションなら株価)が対数正規分布に従うことを仮定している」ということは、導出法を丁寧にたどらなければ分からない(P221-222)。
一貫性のある主張をするために、モデルは不可欠だ。モデルがないと、その場その場のアドホックな思いつきで、主張は支離滅裂になる(P237)。
だから、現在の状態を変える必要がある。
「空気を読む人」ではなく、「革新する人」が政党に認められる組織になるだろうか(P294)。
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