『「超」説得法  一撃で仕留めよ』

「超」説得法  一撃で仕留めよ
野口悠紀雄 著

「超」説得法 一撃で仕留めよ -
「超」説得法 一撃で仕留めよ –

読後の感想
仕事上、関係者を説得する必要があり、積ん読から復帰した一冊。

一番響いた話の流れは
説得の場合は、これをすればよい、というものではなく
これをしてはいけない、というもの。

野口先生はこれを負けの一撃と呼んでおり
これだけは絶対やってはいけないと何度も書かれています。

一番心にズシンと響いた文章です。
心情的には従いたくないけど、その通りなので・・・

必要なのは、正しさでなく、正しいと思われること
正しくない報告に説得される場合もある
第9章で、説得が成功するための4つの条件をあげた。この中に、「説得したい内容が正しいものであること」が入っていないことに注意していただきたい。説得が成功するのは、説得が正しい場合とは限らないのである。
説得者は、ものごとを正しい方向に動かそうとしているときもあるし、正しくない方向に動かそうとしているときもある(P.260)。

時々使うずるい口説き文句です(笑

「あなたは能力があるのに、周りの人がそれを分かっていない」これは、誰もが聞きたいと願っている究極の殺し文句だ。相手の関心を獲得するために、この一撃(あるいはその変形)が有効(P.299)。

過去に読んだ野口先生の本
『ホームページにオフィスを作る』

『ホームページにオフィスを作る』


『続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』

『続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』


『超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー』

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『仕事が他人の3倍速くなる!時間管理力―今からすぐに始められる!』

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『「超」整理法』〈4〉コミュニケーション』
https://fukudashigetaka.com/article/141952976.html

印象的なくだり

「中身が重要」とは、そのとおりである。しかし、「中身さえよければ人々は説得される」と考えるのは、誤りだ。中身は、説得が成功するための十分条件ではないのである。「説得テクニックは邪道」と言っている人は、山中教授の言葉をかみしめるべきだ(P.003)。

「一撃で仕留める」をドイツ語で言えば、mit einem SchuB erlegenだ。私は、ドイツ語のこの語感が好きで、ときどき心の中でつぶやいている(P.021)。

会社では上司の命令にひたすら服従し、自分からは何も提案しない。会議では何も発言せず沈黙したままで、意見を求められても「とくにありません」と答える。これでは、「私は無能です」と自ら証明していることになる(P.052)。

ドキドキ。

魔女はマクベスのことを調査し、最近の戦いの状況もよく把握していたに違いない。コードアの領主が謀反を起こして敗れ、捕らえられたこと、それは勇将マクベスの奮戦の賜物であることを知っている。だから、マクベスが彼に代わってコードアの領主になるのは、十分ありうることと知っているのだ。「コードアの領主」と呼びかけるのは、それほどリスクがあることではない。
魔女は予言能力を持っていたのではなく、調査能力を持っていたのだ。調査であれば、われわれにも真似できる(P.066)。

図表4-1 講演やスピーチの出だし
1.皆さんこんにちは。○○です(姓名を名乗る)
2.話す機会をいただき、光栄です
3.主催者に礼。幹事へのねぎらい
4.「この町には特別の関心がある」云々
5.この話がどのような効用を持つか
6.全体の見取り図。「話したいことは3つある」(P.113)。

まず、「見出し」で全体を要約する。これは書籍や論文のタイトルにあたる。つぎに、記事の冒頭で、主要なメッセージを伝える(この部分は、「リード」として本文とは別になることもある)。そして、説明や補足が続く(P.120)。

ジョークの一撃で反撃されたら、勝ちめはない。「二の句をつげない状態」になるからだ。会場が大爆笑に包まれたあとでは、いくらもとに戻そうとしても無駄なことだ(P.132)。

これは実際に経験あり、もうこれには敵わない。

タイトルにはせめて「問い」を、できれば「答え」を
タイトルは、内容が分かるものにしよう。取り上げる対象を示して「○○について」とするのは下策だ。少なくとも、問題意識が分かるようにしよう。答えが示されているのが、もっともよい。
例えば、「土星の輪について」は×だ。「土星の輪はなぜできたのか?」なら△。「土星の輪は小惑星の残骸」なら○を付けられる(P.198)。

『超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー』

『超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー』
野口悠紀雄
講談社

読後の感想
主題は、「後で探すために上手に保存する方法」についてです。整理の目的は後で使うことであって、見た目を麗しくするためでも、美的にするためでもないことを再確認しました。
ネットでの検索の方法については、無意識のうちにやっていた部分も多かったのですが、似たようなことが書かれていたので後付けですが自信につながりました。
ただ、前作(?)の『「超」整理法』ほどのインパクトはないんだよなぁ、なぜ?もう凄さに慣れてしまったのかな。

印象的なくだり
使っているうちに自然に使い勝手がよくなるシステムでないと、実際には機能しない。
つまり、必要なのは、「自分では格段の整理作業はせず、データを投げ込むだけ。一定の時間がたつと、データが徐々に蓄積され、気づいた時にはデータベースとして機能している」というシステムだ
(P019)。

重要なことの第二は、「どのような能力を磨くか」についての見極めである。
将来、機械が自動的にやってくれることを、いま一所懸命に努力して身につけても、無意味である(P021)。

デジタルカメラでデータをメモする(P113)

写真、手紙、カード、卒業証書、誕生日カード、子供が書いた絵などは、なかなか捨てられない。
しかし、しまっておいても使わないので、どこに保存したか分からなくなる。
それなら、コピーを検索可能な形で保存したほうがよい(これらは画像データなので、後からの検索のためには、テキストで説明をつけておく必要がある)。
そして実物は捨てる(P124)。

最近、つぎのような意見をよく見かける。
学校で宿題を出すと、インターネットのサイトをコピーしてつなぎあわせるだけ(「コピーしてペーストするだけ」なので、「コピペ」と呼ばれる)の解答を出す生徒が多くなった。
これは由々しき問題だ。
(中略)
問題は、コピペでできてしまう問題を出した教師の側にこそある。
「この町の歴史を調べましょう」とか、「日本に生息する帳の種類を調べましょう」というような問題を出すから、コピペの解答になってしまうのだ(P220)。

私も「コピペ」方式に問題は多いと考えている。
ただし、その理由は、「安易だから」「簡単に答えが見つかるから」ということではない。
第一の理由は、検索で何でもすぐに分かるとなると、自分を見失うことだ。受動的になる。
そして、問題意識が明確でないと、迷子になる。データベースを調べていると、つぎつぎに興味がわいてくるので、引き込まれてしまうと、最初の目的を忘れることもある。
第二の理由は、条件や前提を無視することだ。
「ブラック=ショールズ式」に必要データを放り込めば、答えは出てくる。しかし、適用できない対象に適用しているかもしれない。
この式では「原資産の価格(株式オプションなら株価)が対数正規分布に従うことを仮定している」ということは、導出法を丁寧にたどらなければ分からない(P221-222)。

一貫性のある主張をするために、モデルは不可欠だ。モデルがないと、その場その場のアドホックな思いつきで、主張は支離滅裂になる(P237)。

だから、現在の状態を変える必要がある。
「空気を読む人」ではなく、「革新する人」が政党に認められる組織になるだろうか(P294)。

過去に読んだ同じ著者の本
『続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』 感想はこちら
『ホームページにオフィスを作る』 感想はこちら
『「超」整理日誌 地動説を疑う』 感想はこちら

『続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』

『続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』
中央公論社
野口悠紀雄

読後の感想
人間は時間をそのまま見ることができないけど、技術を使えば視覚的に見ることができる、とのくだりが自分の時間に対する認識を改めさせてくれました。
もう何年も前に読んだ本ですが、何度読んでも自らの生活を省みるきっかけを与えてくれます。
ちょっぴり極端でユーモアがふんだんに取り込まれた文章が素敵です。

印象的なくだり
努力すれば成功するというのは、ある意味では当然だ。ノウハウは、人間の怠慢さに寛容なものでなければならない。
これが、私の基本方針である。ノウハウがないことについて精神訓話で片付けようとするのは、旧帝国陸軍以来の悪しき伝統だ
(P007)。

連絡を受ける側からみて最大の問題は、電話は仕事中に割り込んでくることだ。どんなに重要な仕事をしていても、中断を余儀なくされる。
通話そのものに時間がかかることもさることならが、仕事を中断されることが大きな問題である(P089)。

口頭のほうがよい場合
a(前略)ブレイン・ストーミングがこれにあたる。
b本音や機密事項を伝達する必要がある場合。文書は残るために、不特定多数に読まれる可能性がある。
このため、「本音」や機密事項の伝達には適さないことがある。
c仕事を強制するため(P137)。

いま一つ。あまり指摘されていないけれども重要だと思うのは、教師が間違えることの教育効果である。
私は学生として、教師が間違えるところを何度も見てきた。そのつど興味深く思ったのは、どこで間違いに気づき、どのように修復したかである。
数式の計算の場合、最後まで展開してからではなく、途中で気づいている。
これを見ていると、計算過程でどのようにチェックをかけているかが分かる。
また、間違いを修復する場合、導きたい結論から逆に辿っている場合が多い。これによって、推論の過程が分かる。
図も同じであって、スケールなどを間違えて、説明したい点が表せない場合がある。この修復過程を見ていると、図の背後にある考えがよく分かる(P148)。

もっとも簡単に分かるのは、約束の時間に遅刻する人だ。とくに、会議の始まりにいつも遅れる人は、要注意である。
ここで指摘したいのは、その遅刻によって時間が奪われたということだけでなく、今後も奪われる危険が大きいということである。
なぜなら、遅刻常習犯というのは、忙しい人でなく、暇な人だからである。暇であるがゆえに、時間間隔がルースになっている。
したがって、これからも同じことを繰り返すだろう。こうした人とは、一緒に仕事をしないほうがよい。
忙しい人は、時間の貴重さを熟知しているから、定刻に正確である(P203-204)。

アイディアの逃げ足は非常に速い。「重要なことだから忘れないだろう」と思ってメモしないでいると、「何か大事なことを思いついた」という記憶しか残らない。
したがって、メモ魔になることが必要だ。重要なアイディアが浮かんだとき、手元に紙がなければ、ワイシャツの袖に書いてもよいくらいなのである
(P240)。

もっとも強く望みたいのは、待ち時間を明示することだ。これは、とくに病院の待ち時間に関して痛感する。
需要と供給の関係から、待ち時間が長くなるのは、止むを得ぬこととは思う。しかし、どの程度待てばよいかを知らせることは、できるはずだ。
その時間が分かれば、本を読んでいることもできる。もし待ち時間が長ければ、別の場所で待つこともできる。
しかし、いつ呼ばれるか分からないという状態では、何もできない。それに、いつまで待たされるか分からない状況は、人間を一番疲れさせる(P255)。

過去に読んだ同じ著者の本
『ホームページにオフィスを作る』 感想はこちら
『「超」整理日誌 地動説を疑う』 感想はこちら

過去に読んだ類似の本と感想
『能率手帳の流儀』野口晴巳 感想はこちら
『システム手帳新入門!』舘神龍彦 感想はこちら
『一冊の手帳で夢は必ずかなう』熊谷正寿 感想はこちら
『仕事で差がつく手帳の技術』長崎快宏 感想はこちら
『佐々木かをりの手帳術』佐々木かをり 感想はこちら
『夢に日付を! ~夢実現の手帳術~』渡邉美樹 感想はこちら
『必ず目標を実現する「鳥の目」手帳術』 久恒啓一 感想はこちら

『ホームページにオフィスを作る』

ホームページにオフィスを作る
光文社
野口悠紀雄

読後の感想
自分自身を表すようなサイトを作りたいと思って読み始めた本です。
まずは、自分にとって便利なものを作る、という目標を与えてくれた本です。
個人で作るというより、団体で運営するときに参考になる本だと思います。

印象的なくだり
(前略)、「自分が使って意味がないようなホームページであれば、他の人が見ても意味がない」ということを確認しておこう(P038)。

インターネットは、どんな人でも自分の意見を全世界に向けて発することができるという意味で、画期的な意味をもつメディアである。
ただし、「自由に発言できる」ということが、半面において大きな危険をもっていることも事実である(P063)。

私は、複雑な情報の伝達に関してはテレビの能力に大いに疑問を抱いているのだが、宣伝能力に関しては、脱帽せざるをえない。
テレビは、まさに、現代社会の怪物である(P121)。

つまり、「自由の確保」ということが、自前のサイト運営に踏み切った最大の理由だったのである(P122)。

アクセスを増やし、リピーターを確保するための方法は、以下に述べるように、いくつか考えられる。
ただし、経験から分かった最も重要な結論は、「一に更新、二に更新、三に更新」だ。
つまり、できるだけ頻繁に更新し、つねに新しい情報を提供することである。
これは、考えてみれば当然のことだ。
「アクセスしたところでいつも同じ内容」というのでは、すぐに飽きられてしまう。
インターネットの利用者は、きわめて短気で、移り気なのだ(私自身が、他のサイトを利用するときには、そうである)(P172)。

実は、本当のデバイドが発生するのは、パソコンやインターネットでは処理できない専門的な仕事だ。
(中略)しかも、パソコンやインターネットでできないサービスの価値は、パソコンやインターネットの使用が増えれば増えるほど、増加する。
そして、こうした分野の高度な専門家は、簡単には育成できない。
だから、彼らの価値は、IT時代においては、きわめて高くなるはずである。つまり、IT時代における本当の差は、IT以外のところでつくのである(P203-204)。

ネットで得られるのは、細切れの断片情報だ。学校教育では、そうした断片情報を位置づけ、評価するための「知識」の体系を教える必要がある。
だから、むしろネットからは遠ざけなければならない(P206)。

『「超」整理日誌 地動説を疑う』

ダイヤモンド社
野口 悠紀雄

読後の感想
 サブタイトルの『地動説を疑う』に書かれたとおり、今まで常識だと思っていたことは本当に常識なのか、本当に理解しているのか、という視点を強く意識させられる本です。

 Ⅰ部の「常識に対する疑いが社会を前進させる」というのはまさにその通りだと思いました。「あるべきものがない」というのは意識しても、気づくのは難しいでしょう。

 難しい事象も身近な具体例に置き換えて書かれており、分かり易さを非常に意識しているのが、読み取れます。良書だと思います。

印象的なくだり

本の「積ん読」は、一般にはよくないこととされる。だが、私は、大変意味があると考えている。
自分の蔵書なら「自分の側」にあると感じられるから、本のほうから近づいてくる。
そして、いつかは読めて、本当に「自分の本」になる。

五年も一〇年ものあいだずっと積んでおいた本を、何かのきっかけで読了し、自分のものとしたことも多い。
これに対して、書店や図書館にある本は、なかなか読めない。いつになって、「あちら側」のままだ。
だから、読みたいと思った本は、迷わず買うべきだ(P020)。

分からなければ、聞けばよい。実際、質問できるのは、自信の表れなのである(P030)。

内容を本当によく知っている人は、分かりやすい言葉で説明するものだ。
アルファベット略語を振り回すのは、理解していないことの証拠と考えて、まず間違いない(P031)。

固定観念とは、ある刺激に対して常に同じ反応をすることである。
刺激に対する最適反応をいちいち考えていたのでは緊急事態に対処できないし、思考作業のムダだから、こうした短絡的・画一的行動様式が一定の合理性を持っていることは間違いない。しかし、それしかできないのであれば、昆虫と同じである(P055)。

「情報」については、必要性の判断が非常に難しい。そして、不要なものを大量に抱え込む危険が大きい。
しかも、情報は、「多ければ多いほどよい」というわけではない。重要な情報が過剰な情報のなかに紛れてしまって分からなくなってしまうということもある(P062)。

地上デジタル・テレビ放送について
何より最大の疑問は、「ハイビジョンの画像やCD並の音声」にふさわしい、充実した内容が提供されるのだろうか?ということだ。
現在とあまり変わらぬ内容であれば、情報量が多くなっただけアラが目立つだけではなかろうか?
「髪の毛一本ずつ見分けられる鮮明画像」というが、タレントが馬鹿騒ぎするだけの番組で髪の毛が見分けられても、馬鹿さ加減が拡大するだけだろう(P068)。

言葉は、登場自分物の文化的・社会的背景を端的に表している。それを理解できないことは、作品の最も重要な部分を理解していないことを意味する。
そう考えると、異なる文化の理解はなんと難しいのだろうと、ため息が出る。言葉が重要な役割を担う文学、演劇、映画は、絶望的なのだ(P084)。

これまでの日本で、リスク評価の重要性が意識されなかったのは、つねに値上がりする「土地」という絶対確実な担保があったからだ。
これさえ押さえておけば、貸し付けの安全性は確保された。
銀行にとって重要だったほとんど唯一の課題は、支店を拡大して預金を獲得することだった。
支店の開設は大蔵省の認可事項となっていたため、当局とのつながりを密にすることが必要だった。
「モフ担」と呼ばれた大蔵省担当係が出世コースになったのは、当然の帰結だったのである。
「地価が上昇し続ける」という環境のなかで、日本の銀行のこうした体質は、まったく合理的なものだったと考えざるをえない(P106)。

「食糧安全保障」ということが言われる。ところが、そう言う人の多くは、「安全保障のために国内生産を」と言う。
しかし、供給源分散こそが、食糧安全保障なのである。われわれは、すべての卵を一つのバスケットに入れるという愚を犯してはならない。
「自給率が低いから心配」というのは、国内供給者の論理なのである。われわれは、そうした議論に惑わされることなく、消費者の立場から問題の本質を見きわめなければならない(P178)。

この本をどう活用するか
毎日当たり前に受け止めていることについて、もう一度理由をつけてみようと思いました。全てを疑ってみます。