『続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』
中央公論社
野口悠紀雄
読後の感想
人間は時間をそのまま見ることができないけど、技術を使えば視覚的に見ることができる、とのくだりが自分の時間に対する認識を改めさせてくれました。
もう何年も前に読んだ本ですが、何度読んでも自らの生活を省みるきっかけを与えてくれます。
ちょっぴり極端でユーモアがふんだんに取り込まれた文章が素敵です。
印象的なくだり
努力すれば成功するというのは、ある意味では当然だ。ノウハウは、人間の怠慢さに寛容なものでなければならない。
これが、私の基本方針である。ノウハウがないことについて精神訓話で片付けようとするのは、旧帝国陸軍以来の悪しき伝統だ(P007)。
連絡を受ける側からみて最大の問題は、電話は仕事中に割り込んでくることだ。どんなに重要な仕事をしていても、中断を余儀なくされる。
通話そのものに時間がかかることもさることならが、仕事を中断されることが大きな問題である(P089)。
口頭のほうがよい場合
a(前略)ブレイン・ストーミングがこれにあたる。
b本音や機密事項を伝達する必要がある場合。文書は残るために、不特定多数に読まれる可能性がある。
このため、「本音」や機密事項の伝達には適さないことがある。
c仕事を強制するため(P137)。
いま一つ。あまり指摘されていないけれども重要だと思うのは、教師が間違えることの教育効果である。
私は学生として、教師が間違えるところを何度も見てきた。そのつど興味深く思ったのは、どこで間違いに気づき、どのように修復したかである。
数式の計算の場合、最後まで展開してからではなく、途中で気づいている。
これを見ていると、計算過程でどのようにチェックをかけているかが分かる。
また、間違いを修復する場合、導きたい結論から逆に辿っている場合が多い。これによって、推論の過程が分かる。
図も同じであって、スケールなどを間違えて、説明したい点が表せない場合がある。この修復過程を見ていると、図の背後にある考えがよく分かる(P148)。
もっとも簡単に分かるのは、約束の時間に遅刻する人だ。とくに、会議の始まりにいつも遅れる人は、要注意である。
ここで指摘したいのは、その遅刻によって時間が奪われたということだけでなく、今後も奪われる危険が大きいということである。
なぜなら、遅刻常習犯というのは、忙しい人でなく、暇な人だからである。暇であるがゆえに、時間間隔がルースになっている。
したがって、これからも同じことを繰り返すだろう。こうした人とは、一緒に仕事をしないほうがよい。
忙しい人は、時間の貴重さを熟知しているから、定刻に正確である(P203-204)。
アイディアの逃げ足は非常に速い。「重要なことだから忘れないだろう」と思ってメモしないでいると、「何か大事なことを思いついた」という記憶しか残らない。
したがって、メモ魔になることが必要だ。重要なアイディアが浮かんだとき、手元に紙がなければ、ワイシャツの袖に書いてもよいくらいなのである(P240)。
もっとも強く望みたいのは、待ち時間を明示することだ。これは、とくに病院の待ち時間に関して痛感する。
需要と供給の関係から、待ち時間が長くなるのは、止むを得ぬこととは思う。しかし、どの程度待てばよいかを知らせることは、できるはずだ。
その時間が分かれば、本を読んでいることもできる。もし待ち時間が長ければ、別の場所で待つこともできる。
しかし、いつ呼ばれるか分からないという状態では、何もできない。それに、いつまで待たされるか分からない状況は、人間を一番疲れさせる(P255)。
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