『他人を許せないサル』
講談社
正高信男
読後の感想
良く目にする行動を捉えて、○○という理由によると書いてありますが、根拠が薄弱で説得力に書ける印象です。軽い文章なので読みやすさは抜群なのですが、結局何が書いてあったのか、読後の徒労感も抜群です。講談社ブルーバックスなので、と信じたらひどい目に遭いました。蛭子能収さんのイラストが好きならどうぞ。
印象的なくだり
まだ「個人主義」という言葉が一般的でなかった次代に、夏目漱石は自己本位について、「私の個人主義」という講演を試みている。座談や講演の名手としても一目置かれていた漱石は、イギリス留学で自我意識を明確に自覚するようになる。それは「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する」などの言葉で表現されている(P138-139)。
求めようとしている対象が本当に信頼できるクオリティなのか、クオリファイされるに値する人間なのかを知る手がかりがない状態で、いくらネットワークを広げたところで、日本人の利用法から見て地縁を広げたところで意味がない。それどころか、ガラクタ情報ばかりかもしれないし、思いもよらぬ損害を被る危険性もはらんでいる。
ぬるい関係、緩い関係
要するに、お見合いの相手を見つけるときに、ご近所の範囲では相手が足りないから、広く世界に求めますということになって候補者は多くなるわけだが、そのときに仲人してくれる人間が、日本の風習のようにいいことしか言わないようであれば、いくらフィリピンや中国へ行って嫁さんを連れてきたって、本質は変わらない。
その根底が変わりうる何かがない以上、SNSで付き合いを広げたとことで、ぬるい関係、緩い関係でしかありえない。なぜ緩いかというと、裏切られたときのリスクが高いからだ。そのリスクはますます高くなる。だって、直接顔をあわせていないのだから。裏切られたときのリスクが極めてハイリスクになるから、そのリスクを少しでも軽く防ぐにはどうしたらいいかというと、自分自身が最初から裏切られることを見越した上での付き合いしかできない。ぬるめの温泉につかっているような心地よさがあるのかもしれない(P146)。
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