エンリケ航海王子

タイトルは、Infante Dom Henrique, 1394年3月4日 – 1460年11月13日
は、ポルトガルの王子(タイトルと本文は関係ありません)。
でも、航海王子なのに、本人は航海したことがないって反則です…

自宅にある書類関係をスキャンしていたら思いがけない発見がたまにあります。

娘が生まれる前に、細君といった両親学級の資料が出てきたので読んでいたらちょっと胸が熱くなりました
(いわゆる「胸熱」です

これは江東区で2009年6月13日に行われた両親学級の資料です。
講師として小学校の先生の渕脇稔尚さんがお話をしてくれました。
その中で特に心に残ったこと、「今の自分」に再度言い聞かせたいことを書いてみました。

・親が子どもに一番言う言葉、何でしょう?

これはすぐには分かりませんでした。
答えは「早くしなさい!」。
親が焦って生活をしているとついついこの言葉が出てしまいます。
もしかしたら自分も言っていたかもしれません、自戒。

・子育ては協働作業
子育てでどうしても父親にできないことが3つあります。

話の中で渕脇さんは、その3つは1.妊娠 2.出産 3.授乳とおっしゃっていました。
しかし、大事なのは「この3つ以外のことはできる」ということであり
向き不向きは有るにせよ、他のことは父親でも出来るから協働しましょう、ということでした。
以前にもブログで書きましたが、忘れないように大事なことなのでもう一度書きます。

・親も子どもと一緒に育つ(親になっていく)
しつけとは?(考えたことがありますか?)
一日一回、子どもの目を見て体に触れ笑顔を作って、子どものい名前を呼ぶ
愛してあげる、命を守ってあげる(親だけです))

2009年当時は(子供がまだ生まれていないことあり)実はピンときていないところも多々ありましたが
いまこうやって見返してみると、頭の中でモヤモヤしていた部分がちょっと晴れた感じです。
いま自分が直面している問題は、親であれば誰でも感じた(感じている)ことなんですね。

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塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない だが、なめてみればすぐ分かる。

タイトルは、松下幸之助さんの名言より抜粋(でも出典は不明なのです…、しかもタイトルと本文はちょっと関係あります)。

敬愛する小田和正先生なら「伝えたい事があるんだ」と書き始めるところですが
あいにく今日はあんまり考えずに行動だけしていた一日なので特に伝えたい事はありません…

というのもアレなので、気になったことをば。

進地 崇裕
ブログを書こうと思うのだけど、ネタが浮かばない。というか、Twitterでいいじゃんとか思ってしまう。長文を書く理由が浮かばないのよね。

twitterより

なぜ心に強くひっかかったというと、自分も同じ傾向にあるなぁということを考えていたからです
(さすが、彼とは無駄に時間を共有していただけあります)。

そんな訳で、なぜ心に引っかかったのか、
またなぜ自分もそのようになってきたのかをムムムと考えてみました。

話を分かりやすくするために、時系列順に場合分け。
「1.インプット」があって、「2.思考」があって「3.アウトプット」があると仮定します。
つまり、「ある風景を見て」→「綺麗だなぁ、誰かに伝えないなぁ」と思い→
「この世のものとは思えない素晴らしく美しい風景に出会ったよ」と表現する、となるはずです。

まず、インプット。
ここはそんなには変わらないのかなと思います。
単純に何も思いつかなかっただけ。

次に、思考。
思ったのはtwiiter用に140字に収まるようにする癖が
そのまま思考に影響しているのかもしれないと考えました。
つまり、論理数を減らすために(AならばB)みたいになっているのかなぁと。
一次方程式みたいな論理ばかりになってしまっているので、深く考え(られ)なくなったのかも。
もしくは、深く考える体力がなくなってきたのかもしれません(加齢で

で、一番の肝はやはりアウトプットの表現力。
近年この力の衰えを痛感していて、その手の本を読んだり、読書会に出たり
自分なりに熟考しているのですが語彙の貧弱さも含め、人に「的確に」伝えることがほとんでできません。
「正しく伝えよう」と思えば思うほど、このように無駄な文章が増え
却って遠回りしてしまうことが本当に多いです。

加えて、「思考」と「アウトプット」の間に横たわる大いなる罠、それは
近年ブロードバンド化が進み、文字データ(テキスト)だけでなく
画像や音声、映像を簡単に使えるようになったことだと思います。

今までは風景について文章で表現しなければならなかったことが
写真一枚で簡単に、しかも正しく伝えられるようになってしまったからです。
つまり「文字で書いて伝えるよりも、写真を一枚添付したほうが楽だ」とか
「他のサイトにリンクを張っておけばいいや」とか思うようになるのです(いや、思ってます

というわけで、それぞれの要因が相まって
「長い文章で表現することが」面倒になっているのかなぁと思いました。

ちなみに、現状ではネットを通じても絶対に表現できないことがいくつかあると思います。
例えば、食べ物の味や花の香り、触感などです。
そこで、ちょっぴり「他人に伝えるトレーニング」をしようかなと思ったときに
これらのことを考えてみると、代替できる手段がなくてとても効果的でした。
例えばラーメン食べて美味しかった、ではなくどのように美味しかったかを考える、伝えることは
個人的に非常に勉強になりました。

そんなわけでまとまりの無いまま文章を終わらせるのが自分のスタイルなのでこの辺りで。

本日の妻との対話
お題「栄養ドリンクといえば?」
俺「リボD」
妻「ユンケル」

駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは犬と豚

タイトルは、ゲーム「タクティクス・オウガ」第三章のタイトルより引用(タイトルと本文は関係ありません

かつては時刻表。
いまはジョルダンとgoogle street view。

実は自宅に居ながら旅行の計画を立てるのが好きです。
そして実際には行かないことのほうが多いです。
というか大抵物理的制約(ジカン・オカネ)でなかなか行けません…

松本清張の『点と線』の登場人物の安田亮子は
病弱で余り動けないため、ひがなひがな時刻表を眺めては
ダイヤグラムで架空の旅行を作ったり時刻表についての随筆(どんな?)を書いていたり
していたそうですが、自分もそんな生活が送りたいです(元気なままで

というわけで
来週末沼津に行く計画を立ててました。
新幹線を使えばあっという間に着いてしまう距離ですが
せっかくなので御殿場線に乗っていこうかなぁと考えてます。
あえて遠回りをするのが美学!

『スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学』

『スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学』
ダイヤモンド社
吉本 佳生

読後の感想
一時期こういった本が流行ったなぁと思います。
『さおだけ屋はなんちゃら』みたいな感じの本。
共通点としては「身近な話題で興味をひきつけ」「さらっと経済学の基礎原理をからめて」
「ロジック(論理)が単発で、○○だから××」みたいな本です(嫌いじゃないよ)。
いわゆる学問としては読めないけど、箸休め的な(もしくは単発知識として)本としては
非常に読みやすく、ふむふむと読めました。
特に100円ショップやペットボトルなど、誰もが一度は思うアレってどうなの?という書き方は
営業スタイルとして非常に参考になりました。
また引用元がきちんと示されているのも好感度アップです(学者出身の人って安心です。

全体として、上記のような印象でしたが、本筋とは別に気になった点が一つだけあります。
それは著者の政治に対するバランスの良さです。
すぐに効果が出ないもの、短期的には無駄に見えるもの、そういった本当に重要なものこそが
国や地方公共団体がやるべきで、予算を削るのは本末転倒であると、サラっと書かれていました。
本当にその通りだと思いましたので個人的には、ここの部分を掘り下げて書いて欲しかったなぁと思います。

そうそう、もちろんスタバでソイラテを飲みながら読みましたよ(但しグランデではなくトール

印象的なくだり
(前略)アルバイトばかりが働いている店では、アルバイトがいい加減に仕事をしたり、店の商品を勝手に持って帰ったりしないか、心配になります。
そこでザ・ダイソは、商品の在庫を定期的にチェックするときに(いわゆる棚卸しの際に)、もし1%以上のロスが出ていたら、アルバイトを解雇できるという厳しい雇用契約を結んでいます(『週刊東洋経済2006年1月21日号』)
(P159)。

本当に低い能力しかなくても、人はたいていの仕事をやりながら覚え、何度もくり返しおこなうことで能力を高めていくものです。
「縁の下の力持ち」から始めても、ていねいに仕事をしていれば能力が高まり、つぎに「器用貧乏」を経て「スター」になる可能性も十分にあるはずです。
人生は運が大きく左右するという冷たい現実がありますから、誰にでもチャンスがあるとは言いませんが(P192)。

①自分に何ができるか(できないか)をきちんと自覚していて、自分にできることを確実に行うことができる(一定以上の責任感がある)
②相手がどういったことを望んでいそうか想像できる(いろいろな状況を想定できる)
③論理的に、あるいは熱意・誠意をもって、説明する能力が一定程度ある
④自分がミスをすることを前提に、重要な点は他人に確認を依頼することをいとわない
実際に、専門的な技能が高い人よりも、平凡だけども、平凡なりに①~④の能力があるという人のほうがたくさん稼ぐという例は多いはずです。
また、①~④の能力があれば、専門的な能力は、何らかの仕事を続けることで経験から学んで高められるでしょう(身体能力に依存する部分が大きい場合など例外もありますが)。
これらの能力を持ちながらも稼げない人がいるとすれば、それは、自分が生み出した利益の一部をきちんと受け取るしくみができていないからです。
正当な報酬をもらうことは、意外にむずかしいのです(P194)。

政府による税金の無駄遣いについては、私たちはどうしても、目につきやすい公共事業や製作を政府に要求しがちで、政治家や官僚もそれに応えるほうが楽だという点が、大変に深刻な問題点です。
逆に、どうしても必要で、しかも政府でないとできないことなのに、有権者の目につきにくいために、政府が役割を放棄しようとしている事業もあります。
その代表例は、将来起きるかどうかわからないけれども、起きたら困ることの不安をなくしてくれるような事業です。
多くは目立たない活動で、選挙などでも注目されませんから、実際にはどんどん削減されています。

たとえば、エイズ患者が増加する中で「エイズ対策」の予算は約10年で3分の1ほどに減らされています
(2006年9月18日の日本経済新聞)。
(中略)エイズ対策や、商品テストや消費者相談などの消費行政は、地道な活動ですが、まさに政府(国や地方自治体)がおこなうべき、本当に重要な仕事のはずです。
それをどんどん放棄して、他方で、本来はなくても困らないけれど、目につきやすいイベント(たとえば、何とか博覧会や世界的なスポーツイベント)の招致・実行や、目につきやすい施設の建設・整備などに巨額の税金を投入する地方自治体は、本当にたくさんあります。
本末転倒とは、まさにこのことです(P212)。

自転車に乗って

タイトルは、モダンチョキチョキズの名曲タイトルより抜粋(ちなみにアルバム「レディーメイドのモダンチョキチョキズ」に収録されている「自転車に乗って(remixed By Konishi Yasuharu)』は最高です(タイトルと本文は関係あり…ます))。

休みの日くらいしか乗ってあげられない自転車。
今日は本牧を経由して山下公園まで行ってきました。
本当は埠頭にあるシンボルタワーに行こうと思ったのですが、天候が心配なのと
そもそも道がよく分からなかったため断念。
風も強いし気持ちがいいかなと思い山下公園へと目的地変更。

公園では昼寝をする人、午睡をするひと、シエスタを楽しむひと(寝てばっかりだ)
フリスビーをする家族連れ、シャボン玉に吠えまくる犬など様々な人が
それぞれの日曜日を楽しんでいました。
平和だなぁとのほほんとしてきたので、今度は娘を連れていこうと決意。

自転車とマーリンルージュ号をパチリ。
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そうそう、公園入口でアイスクリームを売っているおばあさんは健在でした。
おしまい。

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