アーバンエステートのお話

アーバンエステートのお話。
当時は民事再生法の申請をしたものの、債務超過がひどくて却下となり、破産へ移行したことで、一部のマニアの間で話題となったアーバンエステート。
民事だけでなく、刑事のほうでも攻めていたのですね。

報道などによると、どうやら倒産間近に契約した顧客には、「前払金として全体の八割払えば、5%割引する」なんて「どう考えても、とんずらする気まんまんなあの手この手で、お金を集めていたようですね。
というわけで、実刑判決とな。

ヨミウリ・オンラインより

アーバンエステート詐欺事件、元幹部に実刑判決

 埼玉県川口市の注文住宅販売会社「アーバンエステート」が顧客から建築代金をだまし取ったとされる事件で、さいたま地裁(杉山慎治裁判長)は10日、詐欺罪などに問われた同社元会長永井昭四郎被告(64)に懲役4年(求刑・懲役5年)、同社元取締役営業部長三井晴子被告(60)に懲役2年8月(同4年)の実刑判決をそれぞれ言い渡した。
 判決によると、2人は2009年3月、同社が倒産することがほぼ確実で、代金を支払われても住宅が建築できないことを認識しながら顧客20人と契約を交わし、契約金などの名目で計約4900万円をだまし取った。
 弁護側は倒産の認識はなかったと無罪を主張したが、杉山裁判長は「会議で経営状態を知り、融資が受けられなければ倒産すると認識していた」と退けた。

日経新聞より

 注文住宅販売会社アーバンエステート(破産)の旧経営陣による詐欺事件で、さいたま地裁は10日、詐欺罪などに問われた創業者、永井昭四郎被告(64)に懲役4年(求刑懲役5年)、元営業部長、三井晴子被告(60)に懲役2年8月(求刑懲役4年)の判決を言い渡した。

 杉山慎治裁判長は、両被告が経理担当者から経営悪化の報告を受けていたことなどから「倒産を認識しながら担当者に営業を続けさせた結果、被害が生じた」と指摘。「会社が倒産する認識はなかった」との弁護側主張を退けた。

 その上で、永井被告が実質的経営者として事件を主導、三井被告も永井被告の右腕として重要な役割を果たしたと認定。「被害人数、金額が多く責任は重大」と述べた。

 判決によると、両被告は2009年3月、会社の倒産がほぼ確実であることを認識しながら、顧客20人に「契約書通りの家が建つ」などと持ち掛けて約4900万円をだまし取るなどした。

 破産管財人らの調査では、住宅が未完成の約500世帯が支払った前払い金は計約35億円に上り、うち約27億円分は工事が行われていなかったことが判明している。

 さいたま地裁では、顧客23人が旧経営陣や従業員に総額約2億2千万円の損害賠償を求めた訴訟が係争中。

ちなみにこちらは、アーバンエステート被害対策弁護団(埼玉中央法律事務所)。


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『非選抜アイドル』

読後の感想
ちょうど第5回AKB総選挙(実質は株主総会的だけど)が行われており、折角なので読みました。
アイドルだけではなくテレビも含めてですが、実に商業的になり、視聴者の興味を引くためならばある程度のアレやコレ(特に秘す)なんかは平気でやってしまう気がします。
もちろんそれはとりもなおさず、視聴者が受け入れているということであり、どちらか「だけ」が悪いというものではありません。
と、話が横に逸れましたがAKB48のお話。
本当にお商売が上手だと思いますよ、ほんとに。
たかだがアイドルグループの人気投票が毎年良くも悪くもみんなの話題になる、なんて現象はAKB以前はありえなかったと思います、という意味で商売上手。

この選挙の様子を見て、本当に残酷だと思うのは「自分の人気(というか出資額)がどれだけなのか可視化され、衆人に晒される女の子」の姿をニヤニヤ楽しんでいる風景ではないでしょうか。

と、実は本書を読むまでそんなことを思っていましたが、本書からはそんな感じは微塵も受けませんでした。
書いたのはなかやん。
アイドルにしては優しすぎる女の子、と彼女のことを勝手に思っていましたが、本書にはむしろ、これを商業的機会と捉えて這い上がっていこうとするたくましい気持ちが描かれていました。

文中には何度も「出来なければ辞めるしかない」という単語が出てきます。
プロとしての意識の高さと中の人は、同情など望んでいないことすら気付かない自分の浅はかさに少し反省です。

印象的なくだり

公演に取り組んでいる間は、束の間、人気を得なければならないという責任を忘れることもできた。日々の公演に集中することで、自分の人気のなさを見て見ぬ振りをすることができたのである。
しかし、それは単に見ていないだけで、決してなくなりはしなかった。人気がない現実は、そうした忙しい日々の中でも、折りに触れてさまざまな形で差し迫ってきた。
例えば、お客さんの反応にくっきりと現れた。公演をすれば、私たちは否応なくお客さんと向き合わされるのだけれど、そうすると、そこで誰にどれだけ声援があるとか、誰にどれだけ視線がいくといったことがわかるのだ。
それに続いて、公演でのポジションや、CDでの選抜、非選抜、他のメディアのお仕事の多い少ないなど、ことあるごとに差がつけられた。だから、いかに忙しくしていようと、またいかに見て見ぬ振りをしようと、その現実からは逃れるわけにはいかないのだ。
中でもメンバーの「卒業」は、その現実を、最も強烈に突きつけられるイベントだった。AKB48は、プロのアイドルである以上責任を果たせなければ、いつまでもそこにいられはしないのだが、そうなると、残された道は「辞める」ということしかなくなるのである。
入団したての頃、レッスンなどで音をあげると、何度となく「できない人間には辞めてもらうしかない」と注意された。しかしその時は、あまり真剣にとらえてはいなかった。それは、学校でもよく聞く一種の慣用句のようなもので、「あれは脅しているだけで、実際はそんなに簡単に辞めさせられたりはしないだろう」と、どこか高をくくっているところがあった。
しかしAKB48では、それは脅しでも何でもなかったのである。単なる事実にすぎなかった。できない人間は、本当に辞めるしかないのだ。それは、お金を払ってレッスンを受けてるアマチュアではなく、お金をもらってお仕事としてやっているプロである以上、当然のことだった(P.067)。

プロとして重要なのは、「成る」ということ以上に「辞めない」ということなのだった。アイドルにとっては、オーディションに受かるということよりも、続けることの方が大事だった。
私は、ほとんど幸運のみでアイドルに成ることができた。特に、あっちゃんが同級生だったという幸運は、他のどのメンバーにもなかったことだろう。
それに、声優という夢がもともとあって、アイドルには特別興味がなかったことも、オーディションを受ける際には幸運として作用した。他にそういう受験者がいなかったので、個性的だと評価されたのだ。
しかし、いざ合格してそれを続けるとなると、もうそうした幸運の入り込む余地はなかった。そこからは、努力と実力とが否応なく問われた。歌や踊りを一定のレベルでこなすのはもちろんのこと、ファンの人気を得なければならなかった。
それができなければ、辞めるしかない。それが、AKB48を続けていくうえで私に課せられた最大の試練であった。もう「人気を得るのは億劫だ」などと甘えたことを言っている場合ではなかった。それを言い続けていれば、後は辞めるしかない。そして私は、AKB48を辞めるわけにはいかなかった
(P.068)。

この「オーディションを受けられる」というのが、私にとっては大きなチャンスだった。と言うのも、アニメの世界では普通のドラマと違って、声優のキャスティングをする時には、どんなに有名な声優さんでも、オーディションを経て決められるのが一般的だからであった。それはおそらく、どんな声優さんでも実際に声を当ててみないことには、役に合うかどうかがなかなか判断がつかないということがあるからだろう。
そのため、新しいアニメ番組が始まる時には、オーディションが行われることが一般的だったのだが、しかし逆に言えば、このオーディションを受けるということが、普通はなかなかできなかったのである。
と言うのは、オーディションを受けるのが一般的である分、そこに参加するのは有名な声優さんばかりなので、それ以外の人にはなかなかお声がかからなかったのだ。
オーディションというと誰でも参加できるようなオーブンな場所というイメージがあるけど、声優のオーディションはそうではなかった。「受けてみませんか」と依頼された人だけが参加できる、クローズドな世界だったのである。
だから、実は声優というのは実際に採用されることよりも、まずオーディションに参加できるようになることが大変だった。声優として何らかの実績がなければ、そこに参加するチャンスを手にすることはほとんどできない
(P.153)。


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『ルポ 貧困大国アメリカ』

読後の感想

アメリカではいま中流階層がすごいスピードで貧困層へ転落し、社会は貧困層と富裕層に二極化しているらしい。
それは「自己責任」という名で、選択の余地のない選択を迫られてた結果なのです。
本書では、一章で肥満、二章で行き過ぎた民営化、三章で医療保険、そして四章、五章では搾取される若者労働者という視点から、貧困を描いています。
本書を読み薦めるにしたがって、貧困と無知は本当に仲が良いのだなぁとため息をつきました。
全体を通して、貧困層から富を吸い上げ富裕層に分配する制度設計の不良が見て取れました。
一時期、経済学者のミルトン・フリードマンをもてはやす風潮があったように思いますが、この結果を見るととてもではないが「正しい結果」を生んだとは思えませんでした。

グアムに行く途中の機内で読みました。
本書に出てくる「マカロニ&チーズ」なども現地のマートで見ました。
太った人がそういったインスタント食品を食べているのを見るたびに、本当に複雑な気持ちになりました。

印象的なくだり

国境、人種、宗教、性別、年齢などあらゆるカテゴリーを超えて世界を二極化している格差構造と、それをむしろ糧として回り続けるマーケットの存在、私たちが今まで持っていた、国家単位に世界観を根底からひっくり返さなければ、いつのまにか一方的に呑みこまれていきかねない程の恐ろしい暴走型市場原理システムだ。
そこでは「弱者」が食いものにされ、人間らしく生きるための生存権を奪われた挙げ句、使い捨てにされていく(P009)。

貧困層の受給者たちの多くは栄養に関する知識も持ち合わせておらず、とにかく生きのびるためにカロリーの高いものをフードスタンプを使って買えるだけ買う。貧困層のための無料給食プログラムに最も高い頻度で登場する「マカロニ&チーズ」(一ドル五0セント)を始め、お湯をかけると一分で白米ができる「ミニッツ・ライス」(九九セント)や、味の濃いスナック菓子(一袋九九セント)、二ヶ月たってもカビの生えない食パン(一斤一ドル三0セント)などが受給者たちの買う代表的な食材だ。
これらのインスタント食品には人工甘味料や防腐剤がたっぷりと使われており、栄養価はほとんどない(P026)。

ブッシュ政権誕生時のホワイトハウスでは、災害対策の重要な要素を含む公共事業を、政府全体にわたり早急に民営化する努力が開始されていた。
「FEMAは実質的に民営化されたも同然でした。他の多くの業界同様、アメリカ人が最も弱い「自由競争」という言葉とともにです。私たちは市場に放り出され、競争が始まりました。
主要任務はいかに災害の被害を縮小し多くの人命を救うかということから、いかに災害対策業務をライバル業者よりも安く行うことができるかを証明することに代わったのです」
(中略)
「政府が業務を民間に委託すると、敏速な対応ができなくなります。民間会社の第一目的は効率よく利益をあげることであり、国民の安全維持という目的と必ずしも一致しないからです」(P043)。

学校が民営化されることで国からの教育予算は大幅にコスト削減され、貧困家庭の子どもたちは教育における平等な機会を奪われることになる。
「国家が国民に対し責任を持つべきエリアを民営化させては絶対にいけなかったのです」(P053)。

日本でも昨今問題になっている「貧困と教育格差」が、国が国内の何に対し未来へに投資を行うかという問いと同義語であることを、アメリカの若者たちを追いつめてゆくこの流れが象徴している。
「仕事の意味とは、ただ生活費を稼ぐ手段だけではないのです」とティムは言う。
「若者たちが誇りをもって、社会の役に立っているという充実感を感じながら自己承認を得て堂々と生きられる、それが働くことの意味であり、「教育」とはそのために国が与えられる最高の宝ではないでしょうか?将来に希望をもてる若者を育ててゆくことで、国は初めて豊かになっていくのです。学びたいという純粋な欲求が、戦争に行くことと引きかえにされるのは、間違いなのです」(P141)。

一九九0年代の「外注革命」をモデルにして、アメリカ政府は国の付属機関を次々に民営化していった。アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは「国の仕事は軍と警察以外すべて市場に任せるべきだ」という考えを提唱したが、フリードマンに学んだラムズフェルド元国防長官はさらに、戦争そのものを民営化できないか?と考えた。この「民営化された戦争」の代表的ケースが「イラク戦争」であり、アメリカ国内にいる貧困層の若者たち以外にも、ここに巧妙なやり方で引きづり込まれていった人々がいる(P146)。

教訓は、いつも後からやってくる。ニ00一年九月一一日以後のアメリカで真っ先に犠牲になったもの、それは「ジャーナリズム」だった。
九・一一テロの瞬間をとなりのビルから目撃していた私の目の前で、中立とは程遠い報道に恐怖をあおられ攻撃的になり、愛国心という言葉に安心を得て、強いリーダーを支持しながら戦争に暴走していったアメリカの人々。
だが、実はすべてを変えたのはテロそのものではなく、「テロとの戦い」というキーワードのもとに一気に推し進められた「新自由主義政策」方だった。何故ならあの言葉がメディアに現れてから、瞬く間に国民の個人情報は政府に握られ、いのちや安全、国民の暮らしに関わる国の中枢機関は民営化され、競争に負け転がり落ちていった者たちを守るはずの社会保障費は削減されていったのだから(P203)。


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