私はパフが好きだ

私はパフが好きだ。

一般的にはコーンパフと呼ばれる、うまい棒とかカールに使われているあの食感が好きだ。

「パ」と破裂して始まるのに、「フ」と静かに収めるのも非常に慎み深い。

口の中で圧をかけると、シュっと小さくなっていくのもかわいらしい。

あんなに無抵抗で食べられるのに、高カロリーというギャップもたまらない(そして困る

パフィーもパフュームも好きなので、必然的に共通項であるパフも好きになるハズだ(そうか?

思えばライスチョコも好きだった(傾向としてポン菓子系が好き

私はパフが好きだ。

どっとはらい。

登記事項証明書等の交付手数料

登記事項証明書等の交付手数料が改定されました(リンク先は法務省民事局のpdf)。

俗に「とうほん」と呼ばれている、不動産の登記事項証明書。
今まで法務局で書面請求した場合は、700円かかっていましたが、4月から600円になったようです。
合わせてインターネットを利用した「登記情報提供サービス」も397円から337円に値下げ。
この手の手数料が値下げになる背景はよく分かりませんが、利用者としては単純に嬉しいですね。
まぁ、一般の人からすると登記事項証明書なんか取得するのは、不動産屋か司法書士ぐらいなもんなので関係ないとも思えるかもしれませんが、その分一般の人への手数料や報酬に上乗せさせていることを考えるとみんな喜んでいいのではないかと。

ところで、確か以前はもっと高かったよなとふと思い調べてみました。

1977年(昭和52年) 300円
1979年(昭和54年) 350円
1985年(昭和60年) 400円
1990年(平成2年) 500円
1991年(平成3年) 600円
1993年(平成5年) 800円
1998年(平成10年) 1000円
2011年(平成23年) 700円

そうか、高かったと思っていたのは、「高い時代しか知らなかった」の間違いでした(笑
それにしてもバブル時期の値上げ幅は尋常ではないですね。

ちなみに平成23年度からは、特別会計に関する法律(平成19年3月31日法律第23号・施行は平成23年4月1日)の成立により、今まで「登記印紙」だったものが「収入印紙」で納付するようになりました。

おしまい。

そろそろ「手放しでおめでとうと言われることに用心したい」

35歳になりました(正確には、4月1日の満了した瞬間なので、昨晩という方が正確であろうか、年齢計算ニ関スル法律参照)。
(ついでにどうでもいい話だが、この法律があるおかげで(せいで)、4月1日生まれの子は、3月31日満了時点で一歳加算されるので、早生まれになり、押し出される恰好で4月2日生まれが、年度の一番初めにくるんですよ(ああ、そうですか

甲子園風に書くと、35年連続35回目の誕生日(あれ?0歳が初出場だとすると、36回目か)です。
35歳がレベル35だとするならば、ドラクエⅢで言うと魔法使いがアバカムを覚える頃で、もう最後の鍵とか不要ですね。

さて、ともあれ齢35ともなれば、世間様から見ればもう立派な大人のはずですよ。
世が世ならもう隠居している可能性だってあるだろうし。
とにもかくにも、妻もいて子もいてお仕事だってきちんとしているのに、自分のこのイマイチな頼りなさはなんなんだろうねぇ(困った

「おめでとう」と言われるたびに、もちろん嬉しいは嬉しいんだけど、周りからの年相応の見られ方に対して「こんな感じで誕生日を迎えていいのか、俺」と思ったり思わなかったり。
まぁ、順調に生え際は後退してきているので、あと数年もすれば切ない(ヤバイ)感じになりそうです。
当面の間は短髪にして、紛れ込まそうかと思いますが、どうやらロマンスグレーにはなれないようです(全体的に白いのはいいんだけど、一本だけの白髪は苦手
あとは、健康診断の肝機能の部分で引っかかったり、子どもをブンブン振り回して遊んでいたら(DV・虐待にあらず)、翌日肩が上がらないなど、部分部分で少しだけ老化しておりますが、当面は元気に暮らせそうです(根拠なし

そんなわけで今年もよろしゅう。

35歳も目標は、詳しくは記載できませんが、起業の「準備」をしようかなと。

34歳の目標は

ちなみに今年の目標は健康。
積極的に健康になるために活動しようと思います。

週に二回はスポーツジムに行っているので形式的には達成しているかと。

というわけで、そろそろ「手放しでおめでとうと言われることに用心したい。」

BIRKENSTOCK FLORIDA RED

細君から「誕生日に何がほしい?」と聞かれたので
最近は物欲がめっきりと無くなってしまったため、
特にないなぁと回答しました。
まぁ、強いて言えばnikeのfuelbandかなぁと答えたのですが
数日後、細君から「日本未発売のものはダメ」との返答が。

というわけで改めて身の回りを見渡してウンウン考えていたのですが
そういえばオフィスで使っているサンダルがそろそろ
ソール部分がすり減ってきて、すってんころりんなわけでして
サンダルかなぁと答えておきました。

ちなみにいま履いているサンダルは2008年頃に購入したもの。
内勤で履いている時間が長いのだからいいものを買いなさいとの
細君(当時の彼女)の指令により、試着を重ねた結果
BIRKENSTOCKのTATAMIブランドのものを購入したのでした。

本当は同じTATAMIを購入したかったのですが
お店のお姉さんに聞くと残念ながら別ブランドとして独立していまっているため
いまは取扱がないとのこと。
そんなわけで、今回はちょっとだけ趣向と気分を変えて
フィット感が強いものを選んでみました。

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意外としっかりした作りのトート

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箱を開けると

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偽物防止なのか、ブランディングなのか、こんな証明書が(前回はなかったような気が

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チラッ

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三倍仕事が捗るように赤です。

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シャキーン

『幕末会津の女たち、男たち 山本八重よ銃をとれ』

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『幕末会津の女たち、男たち 山本八重よ銃をとれ』
中村彰彦

読後の感想
恥ずかしながらw大河ドラマに影響されて読んでみました。
高校時代まで日本史をがっつり勉強し、「風雲児たち」や光栄の「信長の野望」シリーズが好きな我が身としては、若干手薄な時代だったので非常に勉強になりました。
やはり歴史というものは、勝った側のみの歴史であり、いわゆる敗者である会津藩の歴史はほとんど語られることがないため(筆者曰く会津人の語らない気質がさらに影響しているとのことらしいのですが)、本当に知らないことだらけでした。

特に本書は、おそらく大量の資料と地図を読み解きながら史実に従って忠実に記載しているので、非常に綿密な記載がなされており読むほうも安心して読むことができました(原典がきちんと記載されているところも好印象)。

例として、京都守護職として京都で陣を張っていた松平容保と国家老として会津に残っていた西郷頼母との関係が挙げられます。
京都での勤務を終えて帰ってきた武士たちが、今まで木綿物・紺色の足袋をはいていたのに、京都から帰ってきたら絹物・白足袋だったを見て、西郷は「会津にはお金がないのに贅沢しやがって(意訳)」と怒って京都まで諫めに行った、という史実があります。
ところが、本書によると、これは実は西郷の浅慮によるものであったというのです。
実際には京都で守護職を全うするには通常のやり方だけではなく、朝廷や芸者衆から情報を得る必要がある。
ところが、京都の人は外見で相手を値踏みするから(そうか?)、木綿に紺足袋だとまったく相手にされないため情報戦で後れをとった。
というわけで、贅沢ではなく職務上やむを得ず絹物と白足袋だったにも関わらず、そういった部分を無視している西郷の批判は失当、だというのです。

ふむふむ〆(._.)メモメモ

というわけで、「八重の桜」の背景を楽しみたい人ならぜひ
(但し、西郷頼母こと西田敏行が嫌いになっても責任は持てません)。
あ、あと最後の最後にあった柴五郎についての文章は、作者の考え方がきちんと反映された素晴らしいものでした。トレビアン!

印象的なくだり

大山(大山巌)に銃弾を浴びせたのはだれだったのでしょうか。私は八重だった可能性が高いと考えています。八重は銃砲の威力をよく知っていますから、本一ノ丁の通りへ薩摩砲が曳き出されるや瞬時にその目的に気づき、この砲隊の責任者を倒してしまわないと北出丸を落とされかねない、と直感したと思われるのです。だから指揮旗をつかんでいる大山を狙った、というわけですが、大山の受けた傷が貫通銃創だったという点もこの際注目に値します。
というのも会津藩の老人たちが迎撃に使用したのは前述のように火縄銃かゲベール銃で、いずれから発射されるのも丸い銃弾だからです。この丸玉の直径は銃身の内径より小さいため、丸玉は推進火薬が銃尾近くで爆発的な燃焼を開始すると、その圧力に吹き飛ばされ、銃身内部のあちこちにぶつかってから発射されます。その分だけ発射速度が遅くなるので敵のからだに命中したとしてもなかなか貫通銃創にはならず、盲管銃創になることが多いのではないでしょうか。
対して、八重の使用していたスペンサー銃とは南北戦争(一八六一)の直前にアメリカで発明された元ごめ式七連発のライフル銃ですが、このライフルとは銃身内部に刻まれた螺旋状の溝のことで、薬莢から飛び出した椎の実形の銃弾はこのライフルによって回転を与えられるため発射速度がより早く、しかも銃身内部のあちこちにぶつかってから発射されるわけではないので命中率も良いのです。火縄銃やゲベール銃と較べたらスペンサー銃で撃たれたときの方が貫通銃創を生じる確率は圧倒的に高いであろうという点も、大山を撃った銃弾は八重のスペンサー銃から発射されたものとする私の説を支持しているのではないでしょうか(P.158)。

鹿児島で自殺できなかった(徳冨)廬花は、明治二十二年、民友社を起こして「国民之友」を発行していた兄徳富蘇峰を頼って上京し、その「国民之友」や「国民新聞」に寄稿することから文筆生活をスタートさせます。いわば蘇峰は兄であると同時に恩人だというのに、廬花はいったん臍を曲げれるとその蘇峰と十数年にわたって絶交し、おなじ徳富姓を用いることもイヤになって徳冨の表記を使ったほどの変わり者なのでした。
明治二十七年、原田愛子と結婚するとその妻と兄の肉体関係を疑うという「一種特有の病的示現」の持ち主でもあった、と蘇峰の「弟徳冨廬花」にありますが、その変人ぶりは「廬花日記」大正三年八月四日の項に「細君以外に余が交接した女」「犯さんとせし女、多少心をかけし女」が三ページ半にわたって列記され、同月十二日の項にそのつづきとして「女として余の頭に残つて居る若い女(余をそそった女)」の名が三ページも書きつらねていることなどからも、十分に察することができます(P.220)。