『野生の証明』

あらすじ

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
森村誠一のベストセラーを、高倉健と薬師丸ひろ子主演で映画化したバトルアクションのデジタル・リマスター版。大量虐殺事件の生き残りである少女と平穏に暮らしていた元自衛隊員・味沢は、運命に操られるように巨大な陰謀に巻き込まれていく。

観賞後の感想
この映画にあらすじの整合性とか説いても意味ないんだろうか。
そんなわけでデタラメですが、どのシーンも全力で印象的でした。
つまり手抜きで作っているわけではなく真剣に作っても(今から見ると)チープ。
ナタを一振りして首チョンパなわけないでしょーが。

まぁリアルタイムで見た方は、懐かしさ補正が入っているんでしょうけど、わたくしめには補正が入っておりませんでした…、残念。

『ナチスが最も恐れた男』

『ナチスが最も恐れた男』

あらすじ

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
ナチスに立ち向かった伝説の男、マックス・マヌスの闘いを描いた戦争アクション。1940年、フィンランドでロシアとの戦争に参加した後、ノルウェーに帰郷したマックス。そこで彼は、ナチスに占領された故郷の現状を目の当たりにして抵抗運動に参加する。
内容(「Oricon」データベースより)
1940年、青年マックス・マヌスは、反ナチスの思いから、志願してフィンランドでロシアとの戦いに参加した後、ナチ占領下のノルウェーに帰郷する。彼は仲間と共にドイツ占領下で巻き起こっていたレジスタンス<抵抗運動>に加わるも捕まってしまう。しかしすぐに脱出、スコットランドに逃げそこで破壊工作員としての訓練を受ける。第二次大戦下、反ナチス・レジスタンスと実在した破壊工作人を描いた実録戦争アクション巨編。

観賞後の感想
フィンランドやノルウェーの歴史を知らないとよく理解できないでしょうね、この映画。
主人公はノルウェーでは独立の英雄であるマックス・マヌス。
あらすじを読むとノルウェー人ながらフィンランドでソ連と戦ったとあるのですが、これはいわゆる冬戦争の志願兵のことです。

ちょっと話はズレますが、冬戦争のお話。
背景は独ソ不可侵条約です。
鉄鉱石確保のため、ソ連は北欧に圧力をかけてきます。
で、最終的には自作自演で先にフィンランドが攻めてきたと口実を作り、侵入してきます。
兵力差はおよそ四倍で(フィンランド25万人、ソ連100万人)したが、すぐに片付くだろうと高をくくったソ連側は特に冬の準備をせずに攻めてきており、それを逆手に取ったフィンランドの持久戦略で、圧倒的な不利にもかかわらず講話できたという戦争のことです。
(更に脱線するとこの冬戦争を指揮したのはフィンランドの伝説的軍人かつ政治家のマンネルヘイムです)
で、この冬戦争に志願したマックスが、ノルウェーに帰国した、というところから話は始まります。

当時、ノルウェーはナチスに占領されおり、マックスはレジスタンスとして活動します。
その中で、ナチスに追われるというのが物語の骨子です。

戦争映画というよりもヒューマンドラマですね。
主人公ではないですが、市井の登場人物の設定が切ないです。
イギリスの外交官を夫に持つ女性。息子を寄宿舎に入れるものの、戦況が悪化して避難する様子。
ナチスに雇われるノルウェー人のタイピスト。
最初は反感を持ちつつも、将校夫人となり、最後は夫が銃殺されてしまう。

外国の映画に顕著に表れますが、国旗への敬意が随所に見られ、所属意識というものを強く感じます。
国王から勲章を授与されたり、話しかけられたりする場面とかね。

面白い面白くないというよりも、北欧の歴史に興味がないと楽しめない映画のような気がします。

『闇の子供たち』

あらすじ
タイで行われているとした、臓器移植を目的とした幼い子供たちの人身売買や
幼児売買春を描いた作品。あくまでもフィクションである、ということになっています。
映画はタイの田舎の貧しい農村から始まります。
男がやってきて親と思われる人にお金を渡し、娘である少女を連れて車で村から都市へ。
都市に連れてこられた少女は外国人相手に売春をさせられ続けます。
やがて、少女はエイズに感染し、商品として価値がなくなったと売春宿に判断され
ゴミ袋に入れられて捨てられます。
一方、日本の新聞社の海外駐在員である南部(江口洋介)は、
日本の本社からタイで臓器移植手術が行われると聞いて、タイで取材を始めます。
また、音羽(宮﨑あおい)は貧困層の子供たちを救うため
タイでボランティア活動をしているNGOに参加します。

鑑賞後の感想
見ていて何度も目をそらしたくなるシーンがかなりの部分を占めました。
外国人男性に犯され、血を流す少年が、殴られないために無理やり愛想笑いするシーン。
子供を折檻し、他の子供たちの前で性虐待を行うシーン。
少年と少女を二人買い、目の前で性交させ、それを外国人が見て楽しむというシーン。
処女を犯すという行為をビデオ撮影し、ネット掲示板に書き込みをするシーン。
二人の少年と性行為を楽しむために、一方の少年にホルモン注射を無理やりさせて殺し、
もう一方の少年の前で、殺したことをいくらで解決するかと交渉するシーン(劇中では7000USドル)。
どのシーンを思い出しても本当に心が痛みます。

時折、カメラの視点が低くなり、子供の視点になっていることが分かります。
自分たちが見えているものは、子供からはどう見ているのか?と考えずにはいられませんでした。

この映画の裏テーマは贖罪(償い)ではないかと思いました。
登場人物の設定や表情、取った行動などに裏テーマを裏付けるものを幾つか感じました。

マフィアの手先であり、自ら臓器売買や児童売買の実行者として行動するチットは
子供の時に自分も売られた経験があり、完全に商品として見ている他のマフィアたちとは
少し違ったしぐさを見せます。
また、最後のシーンでは、ふてくされた表情をする他のマフィア、外国人客とは異なり
一人だけ清々しい笑顔で立ち去って行きました。
新聞記者であり「見て見ぬふりはしない。見たものを書く。助けられなかった代わりに
犠牲者の子供の顔を見る。」と主張し、マフィアに殺されかけてもなお取材を続ける
南部は(ネタバレ)な過去を背負っています。
上述のような行動を南部が取った理由は、まさに償いと罪悪感なのだろうと思います。

それにしてもタイに限った事ではありませんが、本当にこういった問題は根が深いです。
警察も買収されているので、密告者も多く、正しいと思って行動しようと思っても返り討ちにあう環境。

あくまでもフィクションと銘打たれていますが、現実はもっと悲惨なのだと思います。

心臓の鼓動が聞こえてくるたびに、自分の心臓のことを考えずにはいられませんでした。

見たい映画「365日のシンプルライフ」

久しぶりに細君と一緒に見てみたいと思う映画。

「365日のシンプルライフ」

予告編を見ると新婚旅行で滞在したヘルシンキの町並みが。
懐かしいなぁ、と見ていたら何故か全裸の男性が駆け抜ける映像が。しかも雪の中。

フィンランド人の若者が、失恋をきっかけに、自分の持ちモノすべてをリセットして行なった365日の“ 実験”生活。監督・脚本・主演を務めたペトリ・ルーッカイネンの実体験から生まれた「とにかくやってみよう!」のアイディアが、映画という形になった。登場する家族や友人は全てホンモノ、ペトリを中心とするリアルな人間関係と日常生活に起こるドラマが、北欧ジャズシーンをリードするティモ・ラッシーのサックスに乗って、軽快に綴られていく。2013年のフィンランド公開時には、多数の“実験”フォロワーが生まれ、若者の間で一大ムーブメントとなった。

ヘルシンキ在住・26歳のペトリは、彼女にフラれたことをきっかけに、モノで溢れ返った自分の部屋にウンザリする。
ここには自分の幸せがないと感じたペトリは、
自分の持ちモノ全てをリセットする”実験”を決意する。
ルールは4つ。

Rules1 自分の持ちモノ全てを倉庫に預ける
Rules2 1日に1個だけ倉庫から持って来る
Rules3 1年間、続ける
Rules4 1年間、何も買わない

1日目は、空っぽの部屋から倉庫まで、全裸で雪のヘルシンキを駆け抜ける。こうして始まった365日の“実験”生活。毎日、倉庫からモノを1つ選ぶたびに、「自分にとって今、必要なモノは何か?」を考える。そんな中で、モノに反抗したくなったり、逆にモノが恋しくなったり、気持ちは日々変化していく。

こういった実験映画大好きです。
自ら設定したルールの中で悩む姿を見ていると、
「なんでこんなことやっているんだろ?」と思うと同時に
そのルールを守る真面目さに胸を打たれるんですよ、ええ。

と、同時にやはりモノが多い己が身も振り返るわけですね、きっと。
実はいま似たようなことをやっています、正確には逆ですが
「一日一個はモノを捨てる」ということ。
inが多く過ぎていまひとつ効果が実感できていないのが玉に瑕。

というわけで、関東に居たら16日に渋谷に見に行く勢いでしたが
上映スケジュールを見ると、一番近い富山県がなんと10月。
細君を誘って名古屋まで足をのばそうか考え中です。

金沢唯一のミニシアター、シネモンドでやってくれないかぁ(望遠

『北のカナリアたち』

あらすじ

小学校の教師・川島はる。彼女が赴任したのは北海道の離島にある生徒6人の小さな分校だった。生徒たちの歌の才能に気づいたはるは、合唱を通してその心を明るく照らし、響きわたるその歌声は島の人々を優しく包み込んでいった。そんなある日、衝撃的な出来事が彼らを襲う。その出来事で島を追われ、生徒たちの前から姿を消すはる。「先生は俺たちを捨てたんだ」生徒たちもまたそれぞれが心に深い傷を残してしまう。
20年後、東京で暮らすはるに生徒の一人が起こした事件の知らせが届く。「なぜ、あの子が…」真相を知るため、北へ向かう。成長した生徒たちの姿に喜びながらも、20年もの間、それぞれがあの時に言葉にできなかった想いを抱え、生きてきたことを知り愕然とするはる。そして自身もまた、心に閉じ込めていた想いを生徒たちに明かしていく。凍てついていた感情が真実となって氷解する時、物語は感動のクライマックスを迎える。

観賞後の感想
おそらくクライマックスのシーンであろう、分校にみんなが集まってくるシーンには泣けました、ええ。
ただね、泣かす気満々だったのが、癪に障るところでした。
もう、ストーリーがてんやわんやだったのとは相対的に木村大作さんの素晴らしい撮影が非日常感を出していて最高でした。
いや、普通の帰り道なのにステキな風景を当てるとそれだけで絵になりますね(褒めてます

とまあ、良かったところは撮影技術くらいであとはもう・・・

まずストーリーからいくと、ちょっと配役に無理があるんじゃないかなと思いました。
吉永小百合こと川島はるは作中では定年の六十歳で、回想シーンでは四十歳を演じるのですが、実年齢が六十歳を超えているのに流石に四十代は無理があるかと・・・。
父親役の里見浩太朗との会話シーンは親子というよりも夫婦です。
また柴田恭兵・仲村トオルとくれば例の『あぶない刑事』しか浮かんできません。
今回二人の絡みのシーンはないので「関係ないね」は聞けなくて残念です。
で、ストーリーですが回想シーンが多くていまどっちの時代の話なのか結構混乱しました。
川島はると不倫相手の阿部英輔の出会いのシーンなんか突然過ぎて、最後まで意味不明でした。
あと、小池栄子演じる藤本七重と二十年ぶりに再開するのですが、「先生が不倫していたのを見てました」→「先生嫌い」→親友が怒鳴りこんでくる→実は七重も親友の夫と不倫してた・・・の流れがわずか数分で起こっていくのはちょっと失笑です。
生島直樹(勝地涼)と安藤結花(宮﨑あおい)も二十年ぶりに話して、いきなりハグして「好き」はないでしょう。いくらなんでも一気に瓦解しすぎです。

まぁ真のサユリストには目に毒なキスシーンもあったりして、何やら目のやり場に困ったりもしたのですが、主役はもうちょっと年齢が低い人にしないと話の辻褄ばかりが気になってしまいました、とさ。

おしまい。