『高台家の人々』

『高台家の人々』

監督
土方政人
脚本
金子ありさ

出演
斎藤工
綾瀬はるか
夏帆

レビューは4作目(2016年)、通算24作目。

鑑賞のきっかけ
ニューヨークから帰ってくる飛行機の中で見ました。
というわけで全然見る気もなく前提知識なしでみました。

あらすじ
人の心の中が読めるという高台家の三兄弟。その長男光正(斎藤工)に妄想癖のある彼女木恵(綾瀬はるか)ができたという話。原作はマンガ。

鑑賞後の感想
他人の心が読めるテレパス能力があるので、他人の悪意に敏感な人格形成がなされた高台光正。そんな彼が、妄想ばかりで計算なく接する平野木恵に惹かれるという設定はまぁベタですが、ほっとしますね。

それにしても、綾瀬はるかさんってコメディエンヌが似合います。

個人的には「八重の桜」を彷彿とさせる方言キャラがツボにはまりました。

この映画には筋という筋がないので、結局のところ人間関係の築き方が話の中心になります。その意味でキャラの魅力が最重要なのですが高台家を取り巻く人々も個性的で魅力的です。

特に、獣医師さん斉藤純役の夏帆さんの、臆病なドジっこは最強です。

最強です(大事なので二回書きました

逆に話のあらすじとしてはアレレという場面もありました。

最後のほうの場面で、光正が木恵を空港で待つシーンがあったのですが、実家に帰っていた木恵はその光正を思いながら、自転車で駆けるシーンがありましたが、「いや、自転車じゃ間に合わないでしょ」と思わずつっこみが入りました(まぁ、実家が成田市という設定なら・・・)。

ここのシーンは構成ミスなんでしょうかね。

音楽は西野カナ、というわけで、自分はターゲット層から完全に外れていたにしては、結構楽しめたように思えます。

5点満点中3点です。

『サウルの息子』

『サウルの息子』

監督
ネメシュ・ラースロー
脚本
ネメシュ・ラースロー
クララ・ロワイエ

レビューは3作目(2016年)、通算23作目。

鑑賞のきっかけ
レンタルビデオ店での陳列を見て。

鑑賞後の感想
カンヌ国際映画祭でグランプリを取った作品です。
第二次世界大戦時にポーランドのアウシュビッツ強制収容所で無理矢理ゾンダーコマンド働かされたハンガリー人サウルの二日間を描いた作品です。

ある日サウルは収容所の中に息子に似た遺体を見つけます。その遺体をユダヤの教えに従ってラビにカーディッシュ(お悔やみの言葉)をしてもらうため東奔西走するという話でした。

内容は筆舌に尽くしがたい衝撃でした。

強制収容所に列車で運ばれたユダヤ人たちは、まずはシャワーを浴びろと建物の中に連れて行かれます。その際に誘導したりするのもサウルらゾンダーコマンドの役割です。運ばれてきたユダヤ人たち着ている洋服をフックにかけさせられてガス室に送られます。そのときに混乱が起こらないように、後で洋服を取るからフックの番号を覚えておけ、と言われるのです。こうやってだまされたユダヤ人たちはシャワーを浴びると称されて混乱もなくガス室に送られていくのです。

ガス室に入れられた後、外から鍵が掛けられます。そして致死性のガスが噴射されるのです。中からは叫び声や悲鳴、ドンドンと扉をたたく音がこだまします。そんななかゾンダーコマンドは粛々と、フックに掛けた洋服から貴金属類を回収し、遺体を焼却炉に送るのです。本当にひどい。

別の本で読んだのですが、ガスがもったいないため濃度を薄くし、その結果致死に至るまでの時間は10分から12分ほどだったそうです。より長く苦しむ結果になった話を聞いて心が痛くなりました。

映像として、カメラはほぼ全編サウルの後ろ側から映しており、映像としては目の前のものが焦点が合わずぼんやりとしか見えません。

そして、スクリーンのサイズもほぼ正方形に近く、サウルの後頭部以外はほぼ何も見えません、と同時に、目の前で起こっている虐殺からも目を背けることもできませんでした。

いわゆるサウル側からの視点しか見えないため、否が応にも一人称的に視点しか見れません。それがより一層何が起こっているか分からない恐怖感を増していました。

アウシュビッツに関しての本を読むと、生き残った人は目の前の現実を直視することが辛く、記憶から抜け落ちている部分もあるということが書いてありましたが、サウルにとっても、目の前で起こっている残虐な行為は焦点が合わない事象なのでしょうか。

画面が俯瞰されたのは、最後のシーンだけでした。

ポーランドの農民の子にカメラが向けられたシーンだけが、サウルを映していないシーンだったのです。そのシーンの時に、サウルに何が起こっているかは、映画を見ている人が想像するしかないのです。

衝撃的だったのが、ガスでは処理が追いつかなくなり、大きな穴を掘ってユダヤ人たちを生きたまま穴に追い立て射殺し埋めていくシーンです。本当にこの世の地獄かと思いました。

ただ一つちょっと入り込めなかったのが、サウルがラビを探していろんな人に迷惑をかけ続けるところでした。ギリシャの背教者はそれによって殺されてしまうし、レジスタンスたちが脱出用に用意した火薬はなくしてしまうなど、周囲の人にとってサウルはいい迷惑だったと思います。この部分が気になってしまい映画を楽しめなかった部分はちょっとだけマイナスでした。

とはいえ、アウシュビッツを描いた作品としては必ず後世に残る作品だと思います。

5店満点中、5点です。

http://www.finefilms.co.jp/saul/

『百円の恋』

『百円の恋』
監督
武正晴
脚本
足立紳

レビューは2作目(2016年)、通算22作目。

鑑賞のきっかけ
公開されたのが2014年11月。
その頃埼玉県に出張しており、レンタカーを運転していてラジオの中で、主題歌のクリープパイプの「百八円の恋」に衝撃を受けたため、ずっと「見たい映画」リストに入っていました。
調べていなかったのですが、かなり評価が高いらしく、行きつけのレンタルビデオ屋さんではいつも貸し出し中。
そんな訳で、タイミング合ってようやく見ることが出来ました。

あらすじ
実家に引きこもり、自堕落な生活を送っていた32歳の独身女性・一子は、離婚して子連れで実家に戻ってきた妹の二三子と入れ替わるようにして家を出、百円ショップで深夜に働きながらひとり暮らしを始める。そんな彼女にとって、近所のボクシングジムで黙々と練習に励むボクサー、狩野の姿を仕事の行き帰りに眺めるのがいつしか日々のささやかな楽しみとなっていた。やがて彼女は、店の客として訪れた狩野と…。

鑑賞後の感想
なんといっても安藤サクラの演技力がすごい。
斎藤一子(安藤サクラ)は、ひきこもりでニート、甥っ子とゲームやって手加減しなかったり、ジャンクフードばかりでぶくぶくとしている自堕落な女性役でした。
しかし、ボクシングを始めて、引き締まった体つきになり、目つきまで変わっていました。
これが実際には二週間前後で変わったというのですから、本当に女優ってすごい。
ボクシングのポーズも様になっており、美しいと感じる場面もありました。

内容はいわゆるロッキーものというのでしょうか、自分を変えるためにひたむきに努力している姿を見ていると、見ている側まで元気が出てくるように思えました。
ボクシングの練習は鏡の前で、フォームを整えながら、ひたすら練習です。
つまりボクシングは今まで自堕落に生きてきた一子が、自分と向き合うという意味だったのではないでしょうか。

しかし、一子をとりまく環境は「社会の底辺」そのものです。
タイトルにもなっている「百円ショップ」の店員は、高圧的な本部社員、うつ病の店長、44歳でバツイチ・ギャンブル狂の野間(坂田聡)、レジのお金を盗んでクビになっても廃棄の食事をもらいにくるおばさん(根岸季衣)と何というかとても親近感が湧くものではありませんでした。

というか、嫌悪感でした。

追い打ちをかけるように野間から受ける残虐な行為。
(あのシーンって本当に必要?)
こうやって自堕落な一子の環境はどんどん悪化していきました。
そんな一子が送る社会の底辺の生活で、唯一心温まったシーンが、プロ定年間近のボクサーである狩野祐二(新井浩文)が練習するのを見つめる場面。
しかし、この狩野も一子が努力しているのを見て、自己嫌悪に陥り、一子を捨てて、なぜか豆腐屋の女とつきあい始めるクズでした。

というわけで、どんどん追いつめられた一子がプロテストに受かって、華々しくデビューを飾る・・・とならないのは、そんなうまくいかないからですよね。
ただ、一子がボクシングをはじめ自分と向き合うことによって家族とのが回復したように思います。
最後のシーンで「勝ちたかった」と泣きじゃくる一子とそれをなぐさめる狩野の二人が、夜の道を下っていくのは、彼らが迎える未来が暗いことを暗示しているとかしていないとか(パンフレットに書いてあるらしい)

音楽はクリープパイプ。
こっちは消費税込みで「百八円の恋」
エロの人だと思っていたけど、響く歌詞とメロディ。
「痛い」と「イタイ」と「居たい」を掛けた歌詞は一子というよりも狩野の心情だったのでしょうか。
途中メロディがマイナーに変わる部分が、恋の感情が揺れ動いたことの表れかなと思いました。

5店満点中4点です。

『Mamma mia』

『Mamma mia』
監督
フィリダ・ロイド(Phyllida Lloyd)
脚本
キャサリン・ジョンソン(Catherine Johnson)

ニューヨークから帰ってくる飛行機の中で鑑賞しました。
過去にちらっと見たことがあったし、元ミュージカルで言葉の問題があったとしても大丈夫だろうと、高をくくっていましたが、正解でした(笑
これから見る方は、決して吹き替えで見てはいけませぬ。
演者が持つ歌唱力の凄さが半減してしまうかもしれません。

あらすじ
イタリアの孤島でホテルを経営するドナ・シェリダンと娘のソフィ。
もうすぐ結婚するソフィは父親を知らずに育っていたが、母親の日記を盗み見して、父親候補の三人に結婚式の招待状を送る。
一方そのころ、ドナも娘の結婚式に二人の親友を呼ぶ。
作家で未婚のロージー・マリガン、バリバリ整形しまくりの離婚経験豊富なターニャの二人。

観後の感想
ぱっと見の主役は娘のソフィ(アマンダ・サイフリッド Amanda Seyfrid)に思えるのですが、やはり主役はドナ(メリル・ストリープ Meryl Streep)でしょうね。
喜怒哀楽もきっちりこなし、コメディエンヌもできる完璧女優です。

特に、途中流れるDacing Queenのくだりは最高でした。
最初は部屋の中で3人で歌い踊り始めるのですが、2番からは戸外に出て、島の中を歌い踊り始めます。
その様子を見た島中の女性たちが、それぞれの家事を投げ捨て、一緒に歌い踊り始めるのです。
そして最後は笑いながら、海へ次々と飛び込み始めるのです。
まさにウーマンリヴそのものではないかと思いました。

You can dance.
You can jive.

(ちなみに、海岸でオルガンを弾く男性はABBAのベニー・アンダーソン Benny Andersson)

ラストは今まで見てきた映画の中でも圧巻でした。
みんなで歌い踊り盛り上がってジャンプしていたら、なんと地下から温泉が湧き出てくるというなんか言葉で言いにくいシーンでした。

なお、個人的にこの映画の一番の見所は、スタッフロールが流れるエンドクレジットです。
世代的にずれている自分でさえ、どのシーン、どの曲も楽しく見れたので、ABBA世代にはかなり響くんじゃないかな、この映画。

5点満点で4点です。

『ダブルフェイス 潜入捜査編』

あらすじ
指定暴力団の織田組に警察官として潜入捜査をしているのは西島秀俊演じる森屋純。
組長からは右腕と呼ばれ、長年の潜入故に刺青まで入れてます。
警察側で潜入捜査を知っているのは小野寺警視正のみ。
逆に小野寺警視正が信頼する香川照之演じる高山良介は、実は織田組の内通者というねじれの構造。

織田組が壊滅すれば、森屋は警察官に戻れるので、なんとか無理して
証拠をつかもうとするが、当然織田組に内通している高山が操作を邪魔するという内容です。

観後の感想
まだ偽装警察編は見ていませんが、ここまでの感想。
内容は香港映画「インファナル・アフェア」のリメイクらしいが
日本版に置き換えられているのがとても自然で吸い込まれる。

特に、森屋が警察官に戻りたい一心で一線を越え、組長に疑われ始めるシーンや
それを森屋がそれを察知して、次第に精神的に追い詰められていく辺りは
気が付くと文字通り手に汗を握りながら見ていました。

途中、同様に潜入捜査をしていた警察官が殺されるニュースが挿入されたり
組長が少しずつプレッシャーを掛けてくる流れは真綿で首を閉められるようでした。

前編最後で森屋は味方を全て失ってしまい茫然自失としたままで終わりを迎えました。
前編はほぼ西島秀俊無双で香川照之にはほとんどスポットが当たっていませんでしたが後半はどうでしょう。

それにしても既視感たっぷり。
(時系列的にはこのダブルフェイスが先なのですが)
キャスト(西島秀俊、香川照之、小日向文世、伊藤淳史)からはドウ考えてもMOZUであり
ロケ地や演出の派手さはドラマ版のクロコーチですね。

個人的には舞台となっている横浜市内の中心地が懐かしくて見入ってしました。
(麻薬密売の現場である織田組事務所?は伊勢佐木町や日の出町
映画館で密会後に追いかけるあのへんは商店街の関内駅側
その他コミッションがあるのか、よく出てくる風景が実際の横浜でした)
最後のシーンのランドマークタワーが勤めてた時代を
思い出して「あぁ、あそこだな」と逆聖地巡りをしている感覚で見れました。