『クリード チャンプを継ぐ男』

クリード チャンプを継ぐ男
Creed
監督
ライアン・クーグラー
脚本
ライアン・クーグラー
アーロン・コヴィントン
出演者
マイケル・B・ジョーダン
シルヴェスター・スタローン
音楽
ルートヴィッヒ・ヨーランソン

鑑賞のきっかけ
Amazonプライムにあったため。
ダウンロードしておいて北陸新幹線の中で鑑賞しました。
レビューは3作目(2017年)、通算30作目。

鑑賞後の感想
これは、熱い、熱すぎる。
ロッキー1を彷彿とさせるシーンがあちこちに散らばって、映画『ロッキー』への愛があふれる作品でした。
フィラデルフィアの町並みも、美術館のロッキーステップも、レストラン「エンドリアン」も。
実はロッキー1もテレビで放映したのを斜め鑑賞しかしていないのですが、それでもなお、です。

あらすじは
かつてロッキーと対戦したアポロ・クリードに隠し子がいて、その息子をロッキーが育てるというもの。
(言葉遊びではアポロのあとがアドニスと神様続きですね)。
ロッキーが育てていく過程で、ロッキーにもアドニス自身にも困難が振りかかり、それを乗り越える様が山場なのですが、主人公のアドニスが完璧超人過ぎてちょっとだけ心がアレってなってしまいました。

それでもなお、ステディカムで撮った試合の長回しのシーンは、圧巻です。
最後の試合で、あの有名なロッキーのテーマが流れた瞬間と言ったらもう大興奮でした。
テレビ放映の翌日に、みんながランニング始めちゃう勢いですよ。

少し残念だったのは、元々が完璧なアドニスが、完璧なコーチがついたら、どんどん成長していってしまったものだから、サラブレッド成長物語を見ているようで、感情移入が難しい場面もありました。

とはいえ、あのシルヴェスター・スタローンがロッキー役で出演なのですが、当然上がります。
年齢の部分を笑いに帰る場面もありました。ロッキーが作った練習メニューのメモをアドニスに渡したところ、アドニスはiPhoneで写真を撮って返してしまいます。
ロッキーが携帯をなくしたらどうするんだ?と聞くと、クラウドに保存してあるから、と回答するアドニス。
ところがロッキーにはクラウドが分からず、「雲?」となるシーンがありました。
なんかもう微笑ましくてニヤニヤが止まらないワンシーンでした。

ともあれ、スピンオフであるこの作品はやっぱり本編を見ないと全部楽しめないのだろうなぁと思います。
その後でもう一度見ると、あ~アレはそういう意味だったのか、的なことも楽しめるのでしょうね。

もう一度見たい作品でした、5点満点中5点です。

『この世界の片隅に』

『この世界の片隅に』
監督 片渕須直
脚本 片渕須直
原作 こうの史代
製作総指揮 丸山正雄
真木太郎(GENCO)
出演者
のん
細谷佳正
稲葉菜月
小野大輔
潘めぐみ
岩井七世

あらすじ

18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。

夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。

ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。

鑑賞のきっかけ
たまむすびの町山さんの映画評を聞いて。
レビューは2作目(2017年)、通算29作目。

鑑賞後の感想
なかなか感想を書く、という作業に着手できない、そんな映画でした。
喜怒哀楽のどれにも該当しない感情で胸がいっぱいになってしまったのでした。
いわゆる「戦争は悪だ」的なステレオタイプではない、素のままの感情です。

本作品は戦争中の国内の生活(いわゆる内地)をありのままに描いています。
配給制となる食生活、灯火管制の毎日、出征する兵士を見送る町内、と
どれもこれもほかの作品では当たり前の風景でした。

絵を書くことが好きで得意だった素朴な主人公の女の子すずさんから、
戦争の被害が大きくなるにつれて、笑顔が消えていきます。
特に義父圓太郎の見舞いに行った帰りに空襲に遭った1945年6月22日を境に
ぷっつりと笑顔がなくなってしまうのです。

映画を見ていて意識しないまま1945年の8月6日を頭に浮かべていました。
映画の左上に日付が出るのですが、どんどん8月につれてドキドキしてくるのです。
1945年の初頭に、ナレーションで「その冬は特に寒くて、春が待ち遠しかったのです」と
流れた時、本当に心が痛かったです。
そして、8月6日は実家のある広島市のお祭りだから里帰りしたら?と妹に声を掛けられたとき
「行っちゃだめ~」と心の底から必死でで思ってしまっていました。
それくらいのめり込んで見てしまった映画でした。

映像で言うと、ところどころに差し込まれる虫のカットが、人間のことを暗喩しているようでした。
蟻が行列しているシーンと人間が配給の行列を待つシーン
カブトムシが木の蜜を吸うシーンと砂糖さえ貴重に使う人間たち
他にもトンボやチョウがふわふわと楽しげに飛び回るのに対して人間は殺し合いをしているという
(正確には一方的に殺されているということか)。

とにかく今までの戦争映画とはまったく別の視点と尺度で描かれた映画です。
本当にたくさんの人に見てほしいし、この映画がちゃんと話題になるところが
まだまだ日本も捨てたものではないのかもしれないと思いました。

個人的にすずさんの右手と実母のことがかぶってとても辛い作品でした。
コミック版も購入しましたが、非常に実験的な手法でも書かれており、攻めてる作品です。

5点満点中5点です、文句なし。

『きっと、うまくいく』

『きっと、うまくいく』

インドの映画
きっと、うまくいく
3 Idiots

監督
ラージクマール・ヒラーニ
脚本
ラージクマール・ヒラーニ
ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー
アビジット・ジョーシ
原作
Chetan Bhagat
『Five Point Someone』

出演者
アーミル・カーン(ランチョー)
R・マドハヴァン(ファラン・クレイシー・狂言回し)
シャルマン・ジョシ(ラージュー・ラストーギー)
ボーマン・イラニ(ピア・サハスラブッデー)

あらすじ
舞台はインド。
10年前にICE工科大学の寮でD26号室で同室だったランチュー、ファルハーン、ラージュー。
しかし、卒業を期に、ランチューだけが連絡がとれなくなってしまっていました。
三人はいわゆる三バカトリオと呼ばれて、大学長から目を付けられていました。

鑑賞のきっかけ
レンタルビデオショップの店頭で見て気になっており、「見たい映画リスト」の中に入っていました。
友人のEさんのフェイスブックを見て見ようと決意しました。
レビューは1作目(2017年)、通算28作目。

鑑賞後の感想
インド映画の基本は、全部詰め込み型。
喜怒哀楽から、シリアス、恋愛、感動と170分の映画に全部まとめて入っていました。そんな映画。

インド映画らしく途中でミュージカルのように全員で歌い踊り出すシーンもあり、アニメーションで比喩したり、白黒映画にしてラージューの貧しい家庭を表現するなど、演出方法が実験的で挑戦的でした。こういうの好きだし、惹かれるんだよなぁ。

この映画は、友情と成長が表のテーマだとすると、裏のテーマはインドの抱えている教育に対する矛盾と、個への抑圧の解放があるのではないかと思います。
主人公のランチューもある意味インドの伝統的な身分制度の犠牲者でもあり、ファラーンは家父長に反抗できず抑圧されている、ラージューに至っては期待に押しつぶされる若者の典型でした(明確に書かれていないけど、ラージューの家はカーストの下の方っぽい)。

そして、ランチューと知り合い友情をはぐくみあうことによって、ファラーンとラージューはランチュー考え方の影響を受け成長し、周囲の問題を乗り越えていきます。
ところが、ランチューに課せられた問題は実は触れないまま進んでいくのでした。

ランチューの持っている真の問題の重大さをひも解くために映画の大半の舞台は10年前にさかのぼります。
(余談ですが、この映画は10年前と現在を行ったりきたりするのですが、現代の問題を解決するために過去に戻るところは、クロノトリガーと一緒ですね)

10年前の三人の物語には、大学生時代の三人の友情、学長との確執、学長の娘とランチョーとのラブロマンス、両親との和解など、青春友情映画にありがちな要素満載でしたが、一つ大きく特徴的な内容がありました。

それは「若者の自殺」です。

物語中、幾人もの若者が自ら命を絶つ(絶とうとする)シーンがあります。それは、インドの強烈な競争社会のひずみなのです。
学長は学生に向かってアジります「人生は競争だ」と。
物語の舞台であるインドは、まだまだ家父長制が強い国です。
子供は生まれたときから父親からエンジニアになるように進路を決められて、家族の収入の大半をつぎ込まれて期待されるのです。
当然全員がその期待通りにいける訳ではなく、途中でドロップアウトするものも出てきます。ところが、過剰な期待に押しつぶされて途中で自殺する(I QUITと書き残して)のが社会問題となっているようです。
ICE工科大学は40万人に対して200人という超狭き門。その中に入れたあともまた競争・競争に次ぐ毎日。
主人公のランチューはそんな社会構造のあり方に疑問を持ち、独自のやり方で既存の仕組みに対して反抗していくのです(でも、その割には既存の試験では優秀な成績を取るという、完全無欠型です)。

映画の構成もすばらしく、まずは現在のファラーンとラージュー(そしてイヤな奴役のチャトゥル)が、連絡が取れなくなったランチューを探すシーンから始まります。
そして、狂言回し役のファラーンの回想シーンに進み、彼らの出会い・友情の熟成・それぞれの成長と別れに話が進むにつれて、ランチューに近づいていくという組み立て型も本当に分かりやすかったです(まさにランチュー導師の教えの通り)
終盤への複線もあちこちにあって、それを回収しつつラストシーンにたどり着く構成は本当に見事でした。

小さいネタでいうと、「ミリ坊や」が成長して「センチ」になったり、飼い犬たちが「キロバイト」「メガバイト」「ギガバイト」だけど、「バイト(噛む)」しないよ、とか、分かる人だけクスリと笑えるシーンがたくさんありました。
ただ、ランチューの本名のランチョルダース・シャマルダース・チャンチャルが変な名前というのはいまいちピンと来なかったですね。

ちょっと長いけど、若者たちの成長する姿を見ていて心がすっとする映画です。

5点満点中5点です、おすすめです。

『日本のいちばん長い日』

『日本のいちばん長い日』
2015年版
THE EMPEROR IN AUGUST
監督 原田眞人
脚本 原田眞人
原作 半藤一利
製作総指揮 迫本淳一
出演者
役所広司
本木雅弘
松坂桃李
堤真一
山崎努

2015年(平成27年)、半藤一利の『日本のいちばん長い日 決定版』を原作に、原田眞人監督により再び映画化された。製作・配給は松竹。第二次世界大戦後70年に当たる2015年(平成27年)8月8日に全国公開された。

鑑賞のきっかけ
ツタヤでパッケージを見て面白そうだったため。
レビューは7作目(2016年)、通算27作目。

鑑賞後の感想
2015年版の元作品は未鑑賞です。
元作品の副題は「The Longest Day」でしたが、2015年版では「THE EMPEROR IN AUGUST」と変わっています。
つまり2015年版は天皇陛下を中心の物語というわけですね。
だからなのか、史実なのか今まで見た映画の中で最も天皇陛下の台詞が多い映画でしたね。

映画は1945年4月の鈴木貫太郎内閣の組閣シーンから始ります。
明治天皇から「軍人は政治に関与せざるべし」と教わった鈴木は
内閣総理大臣の内示を固持しようとしますが、そこを曲げてと陛下から言われます。
その際に、「阿南といたころが懐かしい」と漏らされます。
鈴木が侍従長、阿南惟幾が侍従武官だった時代のころを懐かしんでのお言葉であったそうです。
最終的にそういった人間関係があったからこ、終戦に導けたとい書かれ方をしています。

陸軍は常に権力闘争 いわゆる「陸主海従」 にこだわり続けているように描かれ
海軍の米内光政が割とバランス派に書かれているように書かれていますね。
特に、陸軍の東条英機の描かれ方は組閣に反対したり、 阿南のやり方に対して留守の隙に
「勤皇には狭義と広義二種類がある。狭義は君命にこれ従い、和平せよとの勅命があれば直ちに従う。
広義は国家永遠のことを考え、たとえ勅命があっても、まず諌め、度々諫言しても聴許されねば
陛下を強制しても初心を断行する。私は後者をとる」と火をつけて回りました。
ただ、陛下とのサザエのやり取りに関しては陛下の台詞は創作であったそうです。
今となっては真実は不明ですが、陛下のような返答があったらそれは相当のキレ者です。

度々出てくる最高戦争指導会議(Big Six)。
参加者は内閣総理大臣 、外務大臣 、陸軍大臣、海軍大臣 、参謀総長 、軍令部総長で
それに陛下を加えると御前会議になるそうな。
よく会議は開かれているけど、いつも何も決まらない最高戦争指導会議と描かれている。

中でも薄氷の上を迫水久常(内閣書記官長)が花押集めたり、うまく言いくるめたりして、
手続きの正当性を踏みつつ裏工作をしていくシーンは事務方としての凄みを見たような気がします。

全般的に早口で何を言っているのか分からず、前後の文意から推測するのはわざとでしょうね。

陸軍式の敬礼がとても印象的でした。
東条英機が訓示をたれるとき、文中に「陛下」を示す言葉が出ると
背筋を伸ばさねばならない伝統は、「ジョーカーゲーム」でも揶揄されていましたね。
ただ宮城事件を起こした青年将校たちも、戦争を終わらした指導陣も
当時の考えの中では真剣に日本の将来を考えての行動であったと強く感じました。

当時の当事者が皆鬼籍に入っている今だからこそ描けたシーンがもっとあってほしかったです。

5点満点中4点です。

『キングスマン』

『キングスマン』
Kingsman: The Secret Service
監督
マシュー・ヴォーン
脚本
ジェーン・ゴールドマン
マシュー・ヴォーン
原作
マーク・ミラー

主演はコリン・ファース。

あらすじ
ロンドンにある高級スーツ店「キングスマン」は、実はいかなる国の干渉も受けない屈指のエリートスパイ集団だった。ブリティッシュスーツを小粋に着こなす紳士ハリー(コリン・ファース)もその一人で、日々極秘任務の遂行に務めていた。そんなある日、仲間が何者かに暗殺され、彼は街で不良少年エグジー(タロン・エガートン)をスカウトする。
(シネマトゥデイ)

鑑賞のきっかけ
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レビューは6作目(2016年)、通算26作目。

鑑賞後の感想
舞台はイギリスでスパイものと言えば、いわずもがなの007。
自分が気付いただけでも相当数の007のオマージュと愛にあふれた作品でした(グロいけど)
ハリーがエグジーに教えるお酒も「A martini. Shaken, not stirred」(「マティーニを。ステアせずシェイクして」)と
007を意識したものでした。

単なる青年の成長譚というわけではなく、ネタとして英国風格差社会・階級社会が色濃く出ており節々に感じられました。
例えば、スパイ組織の「キングスマン」のメンバーはアーサー、ランスロット、ガラハッドと円卓の騎士の名前を模しています。
(魔術師マーリンは教育係り)
それに対して、エグジーは公共団地に住み、チンピラの義父とドラッグまみれの母と過ごし
海兵隊も中途除隊になり、無職で車を盗んだりパブで献花するような最底辺の生活をしています。
ちなみにロンドンでの若者の失業率は非常に高く、2011年のイギリス暴動の主原因は携帯電話のメールと失業率であり本作の裏テーマにもなっていたりします。

ド派手な動きでアクションシーンと、スパイらしく小道具(防弾傘、腕時計型の記憶をなくす装置、革靴から毒ナイフ、ライター型手榴弾)シーンの絶妙なバランスが、、、と思っていましたが、教会のシーンと威風堂々のシーンで全部持って行かれました。

なお、主人公のハリーは自他共に認める英国紳士なのですが、エグジーは若くアメリカナイズされています。

「マナーが人を作る( Manners make the man )」とハリーはいうのですが、
『大逆転』『ニキータ』『プリティ・ウーマン』も見たことのないエグジー。
でもなぜか更に古い『マイ・フェア・レディ』は見たことがある・・・という。

パートナー犬JBの名前の由来も「ジェームス・デーン」でも「ジェイソン・ボーン」でもなく「ジャック・バウアー」だったりするエグジーですが、厳しい訓練に残って残っていきます、エリートにいじめられながら。
(この辺が階級社会あるあるなんですかね、イギリスの寄宿舎小説でも必ずあるし)

それに対して、憎めない敵役はIT成り金の黒いスティーブ・ジョブズっぽいリッチモンド・ヴァレンタイン(サミュエル・L・ジャクソン)。
環境問題に熱中するあまり、環境に害を及ぼす人間を滅ぼしてしまえ、というありがちだけどかなり行きすぎた思想でありその過激な割には血が苦手で、必ずベースボールキャップにハンバーガーという典型的な(英国人観の)アメリカ人です。

最後にこれ、スウェーデン王室から文句でなかったんですかね、王女の扱いについて。
キーロックナンバーは26-25で、この番号を携帯電話のナンバーに当てはめるとanalになるという・・・

5点満点中4点です。