『君はなぜ働くか』

『君はなぜ働くか』
渡邊美樹

読後の感想
正直なところ最近色々と労働問題でブラック的な部分が見え隠れするワタミには余りいい感情は持っていません。
でも、会長の書いた『夢に日付を!』はとっても大好き。
そんなプラスとマイナスの間で揺れ動く乙女の気持ちで読み進めました(おおげさ

繰り返しになりますが、『夢に日付を!』は本当にいい本。
僕は多くの影響をこの本から受けていますし、今でもたまに読み返すほど読むと元気が出てくる本です。
と、まぁここまで書いて分かったのですが、ワタミでの労働問題は僕みたいにちょっとばかり熱狂的になった人が無理しちゃうんでしょうね。

なにやら言い訳がましくなってしまいましたが、著者がどういう人であったとか、その後どんなことをしでかした、という本の内容以外の情報と、本の内容や自分が受けた印象は混同したくないなぁ、ということでございます(逆説的に言うと混同せざるを得ないということ

で、内容。

仕事に対しては相変わらず厳しい人で、僕のような甘ちゃんからすると本当に尊敬できます。
「厳しい」というのはどういう意味かというと、決して「他人のせいにはしない」。
うまくいかないのは「(常に)自分のせい」だということです。

たとえば

とどめを刺せる人間になれ!
「とどめを刺せ!」私は早朝の業革会議でよく叫んできた。社員にくり返し伝えているのである。
要するに、「やりなさい」で終わってしまうと不十分なのだ。やりなさいだけじゃ、とどめは刺さらない。やったかどうか、それを現場に行って現実を見なければいけない。さらに、現場で現実を見て、「よし、やった」と確認しても、まだそれだけでは不十分である。さらに、一週間後にまだ「やっているか」を確認して、そこで「とどめ」を刺す。それが仕事というものだ(P.100)。

これは「他人がやらない」という結論に帰着せず、「他人がやるように自分が仕向けていない」と帰着しています。
これは言われるほうからすると厳しい。
そう言われると、何か言おうとしても、全て言い訳がましく聞こえてしまうからです。
良くも悪くも「外部環境のせいにしない」のはそういった厳しい世界で生き抜いてきた証なのでしょうが、社員全員に求めるのはちょっとどうかなと思いますが。
(自分にはそういう態度であっても、他人には強いないというのが正しい姿勢かと

印象的なくだり

夢とは、見続けるものではなく、実現させるべきものだ。夢に日付を入れて、今日の行動を変えていくのである。当然、そのプロセスにおいて、どうしても計画に狂いが生じてくる。予測不可能な明日なんていくらでもある。それは、そのつど、計画を書き直しながら進むのだ。ただし、”夢の実現”と決めた日付だけは変更してはならないのだ(P.031)。

人生には、「六つの柱」がある。
その六つの柱がバランスのとれた状態であれば、豊かな人生になるだろう、と私は考える。その六つとは、仕事、家庭、教養、財産、趣味、健康である(P.058)。

ビジネスにおいては、数字で考える習慣を身につけることが大切である。
「だいたい」「とても」「少し」「多い」といった副詞や形容詞はビジネスには不要である。
「お客様の来店状況は?」-「かなり入られてます」
「新メニューの注文の状況は?」-「まだあまり入ってきていません」
「かなり」という言葉でどのくらいを思い浮かべるだろうか。当然、きみの「かなり」と私の「かなり」は違ってくる。大雑把な言い方はビジネスには役には立たない。
「お客様の来店状況は?」-「満席率で八〇%です」
最初のうちは、なかなか数字が出てこないのかもしれない。数字を言葉にするには、普段から数字を意識することによって慣れていく。
さらに、シゴトにおいての報告、連絡、相談には「主語と述語」で語ることである。
ビジネスにおいては、結論が重要だからである。もちろん、プロセスも大事だが、まずは「主語と述語」で明確に結論を語る。プロセスを語るのはその後でいい。
そして、語ることには責任をもて(P.107)。

そうそう、語ることには責任が伴う。
口先だけのやつが一番ダメだ。
そう思うようになってから、口は動かさず手を動かすようになりました。

サービスは、マニュアルではない。サービスとは、きみの人間性そのものなのだ。きみが優しくない人間ならば、きみは絶対によいサービスができない。きみが人の悲しみのわからない人間ならば、きみは絶対によいサービスができない(P.121)。

どきっとした。
この人は、「他人からのサービス」に何を求めているのだろうか。