宮ヶ瀬ダムに行ってきた

最近の休みの日は細君を育児から開放するため基本的にはムスメとデート。
ただ、来月の頭にアースライドに参加するので、今日は自転車のメンテナンス…
と思っていたのですが、自転車に乗ろうとするとムスメが
と~たんとあそびにいく~、いっしょにいく~」と
号泣しつつ駄々をこねるので、しぶしぶ(ちょっと嬉しい)ムスメを連れて外へ。

ムスメを連れ出す最近のコンセプトは、テレビや絵本などでも
ムスメの世界には登場してこないようなもの。
海とか水族館とか動物園とかは絵本などでムスメは「知識として」先に知っているため
実際に見ても「知識の追認」にしかならないのではないか?と
ない知恵絞って考えた結果、そうなりました。

というわけでダム。

流石に二歳児はダムは知らんだろうと思い、車で二時間ぐらいの
最寄りのダム」に行って来ました(すごい単語だ

で、ダムを見た瞬間、ムスメが発した言葉は
ちっちゃいうみ~」でした。

がっくり。

120922宮ヶ瀬ダム.jpg

で、帰り道に紙パックのオレンジジュースを買って飲ませて帰ってきたら
「何処に行ってきたの?」と聞く細君に対して
オレンジジュースをのんできたの~」と答えるムスメ。

そうか、知識として知らなければ概念として理解できないのか…。むぅ。

『シゴタノ!手帳術』

シゴタノ!手帳術

読後の感想
シゴタノというよりも、ほぼ日手帳とtoodledoの宣伝のような一冊でした。
批判ではなく、率直な感想。この二つのツールを使っていない僕は「アナタは効率が良くないよ」と言われているかのような印象を受けつつ読み進めました。
ちょっとツラカッタ(amazonのバカヤロー)。

それでも読み進めれたのは、著者たちの手帳に対する愛に他成りません。
愛については激しく同意でした。

印象的なくだり
今の自分が残したいと思う記録を残していくというのは、言い換えれば、自分の関心の対象についての記録を残していくということでもあります。
後から振り返ってみたときに、「この時は、睡眠時間を気にしていたのだな「この時は、この株式を保有していたのだな」「この時は、読んだ本からの書き抜きに夢中になっていたのだな」ということが分かります(P150)。

やっとかめ

タイトルは、名古屋弁で「久しぶり」の意。語源は八(や)十日(とうか)目。
山本正之以外で口語では聞いたことがありませぬ(タイトルと本文は関係あります

今日はお仕事で名古屋に日帰り出張してきました。

朝の11時からの契約(業務上の都合により特に秘す)やらなんやらで
名古屋には朝到着。

というわけで、コメダ珈琲でモーニングを洒落こんできました。

120919コメダ珈琲モーニング.jpg

アイスコーヒーにモーニングセットのトーストとゆで卵。
プラス100円で小倉あんです。

たまに食べたくなんだよね(褒めてます。

ちなみにお土産に、しるこサンドスティック買って帰ろうと思ったら名駅近くにはなかった…。
下調べ不足でした、反省。

ネットで買うと、12袋も来るらしい…そんなに要らないよぉ

『最後の授業』

最後の授業
ランディ・パウシュ

読後の感想
単に感傷的な文章以外のもの書こうと、読んだ後に少し寝かせたのですが、やはり感傷的になりそうです。

著者は享年48歳、子供が三人と妻が一人、大学教授で、余命までいくばくもない中、もともと依頼を受けていた講義の内容を「The Last Lecture」とし、後世に残そうとします。

と、これだけ書いてしまうとなんともないように思えてしまいますが、この気持ちに至るまでの心情や迷いが描かれていて、子供を持つ親として、自分の身に置き換えて考えざるをえませんでした。

著者は、子供の頃に抱いた夢を実現する方法と、それにどうやってチャレンジしてきたか、その過程で彼の夢に関わった(協力してくれた)人たちがどのように接してくれたか、と講義形式で進めていきます。

実は、これは彼の人生を振り返る作業(いわゆる走馬灯)であり、この講義はその過程をなぞるように進行していきます。もちろん、彼はこの講義の準備をするために、彼の人生をゆっくり振り返り、そして感謝し、別れることを悲しんだことであろうと思われます。

なんと残酷な作業だろう、と考えの浅い僕は思いました。
ところが、彼は文章の中でこのように書いて、別の形で悲しみを表現しています。

彼ら(注:彼の三人の子供たち)が大きくなったときに父親がいないと思うと。僕は悲しくなる。ただし、シャワーを浴びながら泣いているときに、「あの子たちがあんなことをするのを見ることができない」「こんな姿を見ることはできない」と、いつも考えているわけではない。僕が失うものより、彼らが失うものを考えているのだ(P.228)。

これから死にゆく自分のことを思うよりも、残された子供のことを思う。
この文章を読んで自分の考えの浅さを恥じました。と同時に、このように考えられる人に少しでも近づいていきたいと思いました。

文章自体は平易で読みやすく、特に難解な話も出てきませんが、途中から読み進めるのがつらくなりました。それは、読み進めると著者の「死」がどんどん近づいていることに気がついたからです。

是非子供が大きくなったら読ませてあげたい一冊です。

印象的なくだり

僕が失う配られたカードを変えることはできない。
変えられるのは、そのカードでどのようにプレーするかだけだ(P.033)。

自分の知恵を伝えようとすると、相手は聞き流すことが多い。
でも第三者の知恵を伝えるときは、傲慢さが薄れ、受け入れてもらいやすくなる(P.041)。

素晴らしい考え。実際に使っています。

何かひどいことをしたのに、だれもあえて何も言おうとしないなら、事態は深刻だ。自分に対する批判は聞きたくないかもしれないが、批判する人はたいていの場合、あなたを愛しているからこそ、よくなってほしいと語りかけるのだ(P.056)。

僕はいつも、自分にない専門知識をもっている人を信頼している(P.104)。

つまるところ、教育者のいちばんの役割は、学生が内省する手助けをすることだ。人間が向上する唯一の方法は-グレアム監督が教えてくれたように-自分を評価する能力を伸ばせるかどうかだ。自分を正確に評価できなければ、よくなっているのか、悪くなっているのか、知りようもない(P.130)。

この言葉を聞いてから、他人に意見を求められたら率直に評価を伝えるようになりました。
実は内心では評価を欲しがっていることを知ったからです。

僕はいつも、格好いい人よりまじめな人を高く評価する。格好いいのは一時的だが、まじめさは長つづきする。
まじめさは、かなり過小評価されている。まじめさは本質から生まれるのに対し。格好よさは表面で自分を印象づけようとするものだ(P.155)。

素敵な考え。

幸運は、準備と機会がめぐりあったときに起こる-紀元前一世紀に生まれた古代ローマの哲学者、セネカの言葉。少なくともあと二〇〇〇年は語り継ぐ価値がある(P.170)。

経験とは、求めていたものを手に入れられなかったときに、手に入るものだ。そして経験は、君が提供できるなかで、たいていもっとも価値のあるものだ(P.173)。

お願いごとにはひと工夫を
大学教員の仕事として、論文の批評をとりまとめたことがある。論文を読むのは退屈で眠くなる。そこで僕はあることを思いついた。教授たちに論文の批評を依頼するとき、ガールスカウト・シン・ミンツのクッキーを一箱添えて送ったのだ。

「引き受けてくださってありがとうございます」と、僕は手紙に書いた。「同封のクッキーはお礼です。ただし、批評がすむまで食べないようにしてください」

これには教授たちの顔もほころんだ。電話をかけてしつこく催促する必要はなかった。教授たちの机にはクッキーの箱がある。それを見れば、自分は何をしなければいけないかわかった・

念押しのメールを送るときも簡単だ-「もうクッキーは食べましたか?」

クッキーはすばらしいコミュニケーションの道具になる。仕事をきちんと片づけたあとは、甘いごほうびにもなる(P.186)。

なんてチャーミングなお願い方法だろうか。
僕にとってのカントリーマアムである。

人はさまざまな理由で嘘をつく。たいていは、少ない努力で何かを得られそうに思えるからだ。でも、短期的な戦略の多くは、長期的には非効率だ。嘘をついた人の大半は、その場で切り抜けたと思っている。でも実際は、嘘をついても終わりではない(P.193)。

彼らが大きくなったときに父親がいないと思うと。僕は悲しくなる。ただし、シャワーを浴びながら泣いているときに、「あの子たちがあんなことをするのを見ることができない」「こんな姿を見ることはできない」と、いつも考えているわけではない。僕が失うものより、彼らが失うものを考えているのだ(P.228)。

僕が思う親の仕事とは、子供が人生を楽しめるように励まし、子供が自分の夢をおいかけるように駆り立てることだ。親にできる最善のことは、子供が自分なりに夢を実現する方法を見つけるために、助けてやることだ(P.235)。

『人たらしの流儀』

『人たらしの流儀』
佐藤優

読後の感想
外交の問題になるとメディアによく登場する著者の佐藤優さん。
休職から失職になり、元の冠が付いたからなのでしょうか。
多筆だし、多弁だし、歯に衣着せぬ発言が受けているのだと勝手に邪推しております。

さて、そんな(どんな?)佐藤さんの著書。
対話方式で書かれており、インタビューアーに対して受け答えしながら
進めていくというもの。

佐藤さんの本全般に言えることですが、若干予定調和の香りがしてやみません。
もちろん、全部が全部後付けとは言いませんが。
中には「ムムム、これはすごい!」と脱帽する行動規範もあったりするのですが
全体としては「そこまで考えてないよね?」と感じてしまうことがありました。
(でも、すごく好きなので何冊も読みたいと思わせられてしまう)

いったい何が僕にそう思わせてるのだろうか?と考えたのですが
いわゆる「なんかズルイ」をそこに感じているのではないかと。

佐藤さんは狡猾さを隠さずに書いてくれているから、特にはそう思わないのですが
(本書の中では「ずるさを隠すことができる」のも能力と書かれています)
実際にこんな行動規範を持っている人がいて、会ってみたら
やっぱりずるいと思いながらも惹かれていくんだろうなぁと内心思ってしまいます。

くわばら、くわばら。

印象的なくだり

インテリジェンスの理想的人間像は、「ずるさを隠すことのできる程度の知恵のある、ずるい奴」なんです(P.015)。

決して嘘をつかずに、嘘を伝える。
ロシア人がよくやるやり方。
ここは熱帯です、大きな動物がいます。足はこんなに大きくて、皮膚はザラザラしている。ちょっと毛も生えていて細い尻尾がついています。さて、この動物は何でしょう?
普通は、象と答えるが、答えは犀。
「鼻がどうなっているか、訊かなかったお前が悪い」となる。
この過程で一番大切なのは、発言者は嘘をついていないこと。
だから、「鼻が長いのか?」と聞かれたら、
「鼻は長くないけれども角がついているとなる。
-ちゃんと質問していかないと、きちんとした答えに辿り着かない(P.023)。

-食事のあとの会計をスマートに済ませたいと悩む多くのビジネスマンがいます。よくあるご婦人同士の「今日は、私が払うわよ」闘争にならないためにはどうすればいいのでしょうか?
食事が始まる前に、もう一番最初に払ってしまうことです。
-えっ?
その「ここは、私が」闘争になる前に決着をつけておく。お店に今日のお客さんには、お支払いをさせるわけにはいかない事情があるといって、ぽーんと二万円なりを預けておくのです。そして会食終了後おつりだけもらうのがスマートなやり方です(P.055)。

こんな機会には滅多に遭遇しないけど、やるときはやっておこう!(とメモメモ